平安後宮おてんば女房と氷の陰陽師

「彦丸……?」
「それは幼名だ。とうに捨てた」
「やっぱり彦丸じゃないの!」

 わたしが思わず叫ぶと、光宗さまは唇に人差し指をあてた。

「静かに。みんな起きてしまうぞ」
「ご、ごめんなさい……」

 だけど、これが驚かずにいられるだろうか。

「あれからどうしていたの? ずっと心配していたのよ」
「色々あったさ……」

 光宗さまは月を見上げ、滔々(とうとう)と語りはじめた。

「忠光さまに弟子入りして、国中を回ったさ。字の読み書きを教わり、呪術や占星術も学んだ。見込みがあるってことで、養子にもしてもらえた。だが二十才のとき、旅先で忠光さまは亡くなられた」
「まあ……」
「そこからは陰陽師として独り立ちして、奈良に居を構えていた。紆余曲折あって、京に来たのは三年前だ。忠光さまの威光のおかげで陰陽寮に入れた」
「三年前に来ていたのね!」

 いまの地位に至るまで、わたしの想像も及ばないような苦難があったはずだ。語っているときの苦しげな表情から伝わってきた。

「もっと早く会いたかったわ」
「いや、俺だって、そらが宮廷女房になっているなんて知ったのは、つい最近だったんだ。ああ、いまは衛門だったな」

 こちらに向き直った光宗さまが、繁々(しげしげ)とわたしを見つめる。

「ええ……」
「見違えたぜ。あの清少納言といっしょに宮中に出仕するなんてな」
「清少納言さまを覚えてる?」
「ああ、みくりさまだろ? 俺たちが再会できたのは、ある意味、清少納言のおかげだぜ」
「えっ……?」

 目をぱちくりさせるわたしに、光宗さまは教えてくれた。

「登花殿に物の怪が出るってんで、夜回りを買って出た女房がいるらしいと……。そいつを守ってやれ、と藤原行成さまから個人的に頼まれたのさ」
「行成さまから個人的に……ということは……」
「ああ、陰陽寮は預かり知らぬことだ。主上や中宮さまには内密に調伏したいということだった。行成さまを動かしたのは清少納言だ」

(さすがは清少納言さまだわ!)

 いつだって清少納言さまは、先々を読み、最適な対応をとられる。

「清少納言は凄い女房だな。機知に富んだやり取りで数多(あまた)の公達をやり込めたって、大内裏の評判になってるぞ。行成さまだって、手のひらの上ってわけだ」
「清少納言さまなら、これくらい容易(たやす)いわ! わたしの御主人さまだし!」

 自分が褒められるよりも、ずっと嬉しい。

「なぜ衛門が誇らしげなんだよ」

 光宗さまは苦笑しながら言葉を継ぐ。

「おまえは変わらんな。いつだって、他人のために必死になって、男勝りで……。さっきも俺がいなかったら危なかったぞ」
「それは、そうだけど……」

 頬をふくらませつつ、わたしは訊ねた。

「あの霊鬼はどうするの? 誰のものかはわからないんでしょう?」
「そいつは俺にまかせておけ。細工は流々(りゅうりゅう)だ。明日、子(ね)の正刻(せいこく)(※午前0時)に、ここで会おう」

 わたしの返事も待たず、光宗さまは去っていった。