平安後宮おてんば女房と氷の陰陽師

「これ以上ない誉(ほまれ)だわ! わたしは出仕するわよ、衛門!」

 みくりさまの弾んだ声が、清原邸の母屋に響いた。

 正暦(しょうりゃく)四年(九九三年)、晩秋から冬へと移ろいはじめたころ――。京の大内裏から南東方向に大きく外れた、ひっそりとした一角に、みくりさまがお住まいになられている清原邸がある。
 母屋(おもや)の畳にお座りになっていたみくりさまは、おもむろに立ち上がって、室内をうろうろとお歩きになる。

「落ち着いてくださいませ、みくりさま」

 おそばでお仕えしているわたしは、慌ててたしなめた。

「いいえ、落ち着いていられるものですか! 中宮さまにお仕えできるなんて、これ以上の喜びがあると思う?」

 喜色満面のみくりさまを見ると、わたしも嬉しくなるけれど、やはり寂しさのほうが勝ってしまう。

(みくりさまと離ればなれになるなんて……)

 わたしは今でこそ〝周防(すおうの)衛門(えもん)〟と名付けられた女房として、みくりさまにお仕えしているが、元々は貧しい雑仕女であった。

 あのとき、幼なじみの彦丸とともに酒垂山に登って手に入れた竜胆の根は、すぐにみくりさまに献上した。それを薬師(くすし)が煎じたものを飲んだみくりさまは食欲が戻り、体調も回復したのだった。
 それにより、わたしはみくりさまの近くに控え、話し相手ともなる女童(めのわらわ)に格上げされた。

 清原元輔さまの周防守の任期が終わったときも、わたしは親元を離れ、みくりさまに付いて京へとやってきた。
 みくりさまに字の読み書きを教わり、歌を嗜(たしな)むことも覚えたんだ。

 数年後、古株の女房が身体を壊して田舎に下がると、わたしは〝周防衛門〟なる女房になった。

 それからも色んなことがあった。みくりさまは貴族の橘(たちばなの)則光(のりみつ)さまと結婚され、一子ももうけられたが、性格の不一致で離婚なさった。そして三年前には元輔さまがお亡くなりになってしまった。

 このところ重苦しい空気に支配されていた清原家にもたらされたのが、いまをときめく一条帝(いちじょうてい)の中宮(ちゅうぐう)――藤原(ふじわらの)定子(ていし)さまがいらっしゃる後宮への出仕話であった。

「父上に読み書きを教わって、漢籍を読み込んできたことは無駄じゃなかったわ! わたしの学識が、噂で宮中にまで届いたのよ! それで中宮さまが、わたしを招きたいと仰せになったの! 信じられないでしょう?」
「ええ、たしかにめでたきお話ではありますが……」

 ひとたび後宮へと入ってしまえば、おいそれとは出てこられない。みくりさまと会えなくなることを思えば、わたしの顔は曇ってしまう。

「なにを言っているの! そなたもいっしょに出仕するのよ、衛門」
「ええっ!?」

 みくりさまの思わぬ言葉に、わたしは飛び上がらんばかりに驚いた。

「そなたのことを推挙(すいきょ)しておいたの。これまでよく尽くしてくれたもの。そなたを置いて行ったりはしないわ」

 そうした経緯で、みくりさまとわたしは建礼門(けんれいもん)を通って、荘厳な内裏の内側へ足を踏み入れることになった。もちろん、ふたりとも裳(も)と唐衣(からぎぬ)をつけた華々しい女房装束で……。

 ただ、女房といっても身分によって上臈(じょうろう)・中臈(ちゅうろう)・下臈(げろう)に別れており、みくりさまは中臈で、わたしは当然ながら下臈の扱いであった。

 みくりさまは清原の苗字と、一族の先祖の官職から、〝清(せい)少納言(しょうなごん)〟という女房名が与えられた。わたしは〝周防衛門〟のまま。

 中宮さまの御座所(おましどころ)にして、後宮の殿舎のひとつ――登花殿(とうかでん)がわたしたちの仕事場であり、寝起きする場でもあった。母屋の外側にある廂(ひさし)の間を、几帳で仕切ったものが〝局(つぼね)〟として女房一人ひとりに与えられる。

 身分の差は、局や仕事内容にあらわれる。

 中宮さまのおそばに控え、御顔を拝見できるのは上臈だけ。
 上臈や中臈の局は広々としているが、下臈の局は狭くて、文机(ふづくえ)を入れると、もう身動きがとれない。
 そして、上臈や中臈は来客の対応をするが、下臈は雑用に追われるばかり。貴人と出会う機会も巡ってこない。

(これでは、殿方と恋することもできない!)

 そうした不満はいくつもあったけれど、清少納言さまとともに宮中にいられる幸せの前には、何程のことがあろうか。

「気がかりなのはね……わたしたち、もう二十八じゃない? すっかり年増よ。浮き上がらないかしら?」

 出仕前、清少納言さまは年齢について不安を抱いていた。
 中宮さまは数えで十八才であり、一条帝はまだ十四才であらせられた。後宮に集められた女房たちも年若い娘ばかりと聞いていたからだ。

 ところが数十名いる女房たちを束ねていた上臈女房の〝宰相(さいしょう)の君(きみ)〟はわたしたちより年配であった。
 宰相の君は実直で、気配りのきく御方であったから、登花殿の女房たちはある種の連帯感で結ばれていた。わたしを下臈だからと蔑んでいびるような女房がいなかったのは、ひとえに宰相の君の人柄のおかげ、と思える。

 そもそも、一条帝が足繁く通われることを願い、麗しく雅(みやび)やかな後宮にするため、中宮さま自らお選びになった女房たちなのだ。
 清少納言さまは、中宮さまの意図されるところをいち早く汲み取り、貴人と当意即妙(とういそくみょう)のやり取りをすることで登花殿に〝華やぎ〟をもたらしていく。

 出仕して半年が過ぎた正暦五年(九九四年)の夏――。
 いまや「清少納言と話がしてみたい」と、内裏の貴公子たちがこぞって登花殿を訪れるようになっていた。

(さすがは清少納言さま!)

 幼きころにわたしが憧れたみくりさまは、いまや中宮さまのおそばに控えることを許された筆頭女房の一人だ。
 それは中臈女房としては、まさに異例の扱いであった。