平安後宮おてんば女房と氷の陰陽師

「愚かな小童たちじゃ」

 わたしを見下ろしている蛇神の口元には鋭い牙が光り、長い舌からは涎(よだれ)が滴(したた)った。
 秋風に乗って、鼻先にまつわった匂いが生臭い。

(罰が当たったんじゃ。言いつけを守らんかったから……)

 死が間近に迫ったことに、諦めにも似た気持ちになる。

「喰うんじゃったら、俺からにせえ!」

 割って入った彦丸が、わたしを守るように立ちはだかる。
 全身が小刻みに震えているのは恐怖の為だろうが、ふり返ることなく叫んだ。

「そら! いまのうちに逃げえ!」

 わたしは色んな感情がないまぜになって、泣きじゃくりながら首を何度もふった。

「嫌じゃ! 嫌じゃ! そんなことできん! 彦丸もいっしょに帰るんじゃ!」
「馬鹿! 早く逃げえ!」

 蛇神のとぐろが、彦丸に巻きついた。

「ほほほ。安心せえ、小娘。ふたりまとめて喰うちゃるからな。仲よく、あの世に行けばよい」

 蛇神が愉悦(ゆえつ)の微笑を浮かべた、その刹那――。

「ぐがっ!」

 重い何かにのしかかられたような低い声とともに、蛇神のとぐろが緩んで、彦丸の身体は解き放たれた。

「な、なんじゃ!? 護符(ごふ)!?」

 いつのまにか、蛇神のとぐろに数枚の符のようなものが貼り付いている。

「おのれ、陰陽師かっ!?」

 蛇神の視線をたどると、狩衣姿の老人が立っていた。
 しかも手で印を結び、よくわからぬ言葉を詠唱(えいしょう)している。

「貴様ぁ!」

 怒声を発したきり、蛇神は動きを止めて、まるで石になったかのごとく固まってしまった。

 老人は肩で息をして、片膝をつくと、
「もう大丈夫じゃ。こいつはもう、二度と動くことはない」
 と、ほほ笑みかけてくれた。

 恐怖から解放され、わたしは彦丸といっしょに老人に駆け寄った。

「爺さんは、ほんまに陰陽師なんか!? さっき何をしたんじゃ!?」

 お礼を言おうとしたわたしを押しのけて質問攻めにする彦丸に、老人は苦笑いしながら応じる。

「わしは賀茂(かもの)忠光(ただみつ)と申す者。見ての通りの老いぼれじゃが、かつては京の陰陽寮(おんみょうりょう)に身を置いておった。隠居したあと、こうして国中を旅して回っとる。ここのように妖気が集まっとる場所を見回るようにしておるんじゃが……。おぬしらがあやかしの餌食になるのを防げてよかったわい」
「あやかし……? 蛇神ではなかったということでしょうか?」

 わたしが小首をかしげると、忠光さまは笑い飛ばした。

「なにが神なもんか! おおかた、この土地で恨みを抱いたまま死んだ女が、成仏しきれず蛇と合体したんじゃろう。まあ、若い時分のわしなら跡形もなく滅することもできたが、いまは封印するのが精一杯じゃ」
「これが陰陽師の封印……」

 石になった蛇女を呆然と見つめたまま、彦丸がつぶやく。
 そこへ足音もなく、水干(すいかん)姿の男の子が歩いてきた。手には、わたしが落とした竜胆の花を持っている。

「君の花でしょう?」

 そう言って、わたしに花を差し出してくれた。

「あ、ありがとう……」

 受け取ると、男の子は霧のように消え去った。

「わしの式神じゃ。自由に使役できる存在で……」

 忠光さまが言い終わらぬうちに、彦丸が平伏したかと思うと、声を張りあげた。

「お願いです、忠光さま! 俺を弟子にしてください!」