「おーい、八神。いるか~?」
不躾に部屋に入ってきた男の呑気な声に、幻十郎の悪夢の余韻は消えた。
「能登……」
紺色の郵便配達夫の制服に身を包んだこの男は、能登勇作。幻十郎と同じ特務第四小隊の別働隊に所属している。階級は少尉だ。
「おお、畳だ~」
挨拶もそこそこに、能登は幻十郎と同じように畳に寝転がった。
「郵便配達夫のふりして、あちこちの村で情報を集め回ったんでな。いや~、歩いた歩いた。もう足が棒のようだ……」
能登は人間なので、〝変化〟ではなく、郵便配達夫の格好をしているだけの変装だ。
互いに帝都を離れ、それぞれ単独で諜報活動をしていたから、顔を合わせるのは数か月ぶりだが……。
面倒な奴と鉢合わせてしまったと、幻十郎は嘆息する。
「おまえも、こっちに来るように指示が出たのか?」
「ああ……」
欠伸まじりに返事した能登は、体を横向きにして肘枕で幻十郎のほうを見る。
「門番がやたらと不機嫌だったが、おまえ、何かしたか?」
「いや、何も……」
幻十郎は白を切ったが、能登もそれ以上は訊いてこない。
能登よりも幻十郎のほうが階級が上だが、能登はまったく敬語を使わない。というのも、二人は元々、士官学校の同期だった。卒業後、能登はすぐに特務第四小隊の本隊に配属され、悪しきあやかし撃滅に貢献し、一時は幻十郎と同じ中尉になったのだが……。
女癖の悪い能登は、上官の妻に手を出し、それが元で少尉に降格。本隊から別働隊に左遷となってしまった。出世街道から外れたと、同僚たちは陰で嘲笑った。
ところが当の本人は飄々としたもので、面倒くさそうにしながらも、諜報員としての任務をそつなくこなしている。もっとも、這い上がろうという強固な意志は感じられない。
(もったいない……)
そんな軽薄な生き方が、幻十郎には腹立たしい。
士官学校を首席で卒業した幻十郎は、中尉までは昇進できたが、所詮ここまでだろうと諦めている。あやかしが中尉より上に行けた前例がないからだ。
あやかしゆえに、別働隊から本隊に行ける見込みもない。
日の当たる場所で活躍できる立場にありながら、どうして自ら転がり落ちるような真似をするのか。
幻十郎の苛立ちを知る由もない能登が、薄笑いを浮かべながら言う。
「ハレー彗星がやって来るってんで、どこもかしこも偉い騒ぎだな。この世の終わりだって、自棄になってる奴を腐るほど見たぞ。ただの彗星なのにな。あやかしの方がよっぽど恐ろしいぜ。……おっと、八神のことじゃないからな」
「ふん、言ってろ」
相変わらずの軽口にため息が出る。憎みきれぬ男ではあるのだが。
「しかしまあ、せっかく旧都に来たんだ。夜になったら、ここを抜け出して、花街に繰り出さないか? 旧都は別嬪が多いぜ。いつも過酷な任務をやらされてるんだからな。今夜くらい遊んでも罰は当たるまい」
「馬鹿を言うな。どうせ明日には新たな任務に就くことになる。しっかり休息をとることが先決だ」
幻十郎が睨みつけると、能登は仰向けになった。
「ちぇっ。相変わらず、八神はお堅いね~。西国の任務なんて知れてるだろうさ。もっと肩の力を抜きゃいいのに」
たしかに、悪しきあやかしの脅威の少ない西国で諜報活動を命じられるのは珍しい。ただ……同時に能登と二人、旧都まで呼ばれたのが気になる。
(まさか、能登と組まされるのか……?)
最悪な予想が脳裏をよぎったが、そんなことはあるまいと、すぐに打ち消した。基本的に、諜報員は単独行動をとるからだ。
「能登。言っておくがな、過酷な任務というのは、本隊の連中がやっている命がけの任務のことなんだ。大体、おまえはそんな調子だから……」
能登の腑抜けた態度は目に余る。これでは門番の兵士たちを責められない。
この機会に注意してやろうと思ったが、能登はすでに寝息を立てていた。
不躾に部屋に入ってきた男の呑気な声に、幻十郎の悪夢の余韻は消えた。
「能登……」
紺色の郵便配達夫の制服に身を包んだこの男は、能登勇作。幻十郎と同じ特務第四小隊の別働隊に所属している。階級は少尉だ。
「おお、畳だ~」
挨拶もそこそこに、能登は幻十郎と同じように畳に寝転がった。
「郵便配達夫のふりして、あちこちの村で情報を集め回ったんでな。いや~、歩いた歩いた。もう足が棒のようだ……」
能登は人間なので、〝変化〟ではなく、郵便配達夫の格好をしているだけの変装だ。
互いに帝都を離れ、それぞれ単独で諜報活動をしていたから、顔を合わせるのは数か月ぶりだが……。
面倒な奴と鉢合わせてしまったと、幻十郎は嘆息する。
「おまえも、こっちに来るように指示が出たのか?」
「ああ……」
欠伸まじりに返事した能登は、体を横向きにして肘枕で幻十郎のほうを見る。
「門番がやたらと不機嫌だったが、おまえ、何かしたか?」
「いや、何も……」
幻十郎は白を切ったが、能登もそれ以上は訊いてこない。
能登よりも幻十郎のほうが階級が上だが、能登はまったく敬語を使わない。というのも、二人は元々、士官学校の同期だった。卒業後、能登はすぐに特務第四小隊の本隊に配属され、悪しきあやかし撃滅に貢献し、一時は幻十郎と同じ中尉になったのだが……。
女癖の悪い能登は、上官の妻に手を出し、それが元で少尉に降格。本隊から別働隊に左遷となってしまった。出世街道から外れたと、同僚たちは陰で嘲笑った。
ところが当の本人は飄々としたもので、面倒くさそうにしながらも、諜報員としての任務をそつなくこなしている。もっとも、這い上がろうという強固な意志は感じられない。
(もったいない……)
そんな軽薄な生き方が、幻十郎には腹立たしい。
士官学校を首席で卒業した幻十郎は、中尉までは昇進できたが、所詮ここまでだろうと諦めている。あやかしが中尉より上に行けた前例がないからだ。
あやかしゆえに、別働隊から本隊に行ける見込みもない。
日の当たる場所で活躍できる立場にありながら、どうして自ら転がり落ちるような真似をするのか。
幻十郎の苛立ちを知る由もない能登が、薄笑いを浮かべながら言う。
「ハレー彗星がやって来るってんで、どこもかしこも偉い騒ぎだな。この世の終わりだって、自棄になってる奴を腐るほど見たぞ。ただの彗星なのにな。あやかしの方がよっぽど恐ろしいぜ。……おっと、八神のことじゃないからな」
「ふん、言ってろ」
相変わらずの軽口にため息が出る。憎みきれぬ男ではあるのだが。
「しかしまあ、せっかく旧都に来たんだ。夜になったら、ここを抜け出して、花街に繰り出さないか? 旧都は別嬪が多いぜ。いつも過酷な任務をやらされてるんだからな。今夜くらい遊んでも罰は当たるまい」
「馬鹿を言うな。どうせ明日には新たな任務に就くことになる。しっかり休息をとることが先決だ」
幻十郎が睨みつけると、能登は仰向けになった。
「ちぇっ。相変わらず、八神はお堅いね~。西国の任務なんて知れてるだろうさ。もっと肩の力を抜きゃいいのに」
たしかに、悪しきあやかしの脅威の少ない西国で諜報活動を命じられるのは珍しい。ただ……同時に能登と二人、旧都まで呼ばれたのが気になる。
(まさか、能登と組まされるのか……?)
最悪な予想が脳裏をよぎったが、そんなことはあるまいと、すぐに打ち消した。基本的に、諜報員は単独行動をとるからだ。
「能登。言っておくがな、過酷な任務というのは、本隊の連中がやっている命がけの任務のことなんだ。大体、おまえはそんな調子だから……」
能登の腑抜けた態度は目に余る。これでは門番の兵士たちを責められない。
この機会に注意してやろうと思ったが、能登はすでに寝息を立てていた。

