凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「あやかしの分際で偉そうに……」

 コケにされた、と憤慨する門番の兵士たちの恨みがましい声が背中に刺さったが、幻十郎は振り返らなかった。侮蔑されるのは慣れている。
 それよりも、兵士の緊張感のなさが気になった。

 明治に改元される数年前、この国で激しい内戦が勃発した。その結果、先帝は廃位させられ、若い帝が即位した。それに伴って西国から東国への遷都がなされることとなり、千年以上にわたって〝天子様の住まう都〟であり続けた京は旧都になった。
 新しい帝都となった東国の京――東京に帝や皇族は移っていき、政治や経済の中心地もまた東京に取って代わられた。

 光あふれる存在(帝)がいるところには影が付きまとう。国を転覆させようと目論む不逞(ふてい)の輩のみならず、人間に仇なそうとする悪しきあやかし達もまた、旧都から新しい帝都へと移っていった。

 おかげで旧都には平穏が訪れ、治安を守る軍人や警官の間には、緩慢な空気が流れていた。

(帝都と状況が違うとはいえ、能天気すぎやしないか)

 頻繁にあやかし退治が行われている帝都の現状を知る幻十郎だけに、旧都ののんびりした雰囲気は苛立たしいものがある。
 実際、特務部隊の第一~第四小隊までが帝都の東西南北にそれぞれ配置され、任務に当たっている。悪しきあやかしたちが暴れるのは大抵、帝都の中心部だ。隊員たちは皆、命がけで帝都を守っているのだ。

 しかしながら、地方で暴れるあやかしが皆無なわけでもなく、各小隊から数名ずつ各地に派遣されて常駐している。

 この旧都の陸軍司令部にも、帝都から第二小隊の隊員が四名派遣されている。庁舎に入った幻十郎は、その四名と会おうとしたが、任務で出払っていて明日まで戻らないと言われた。

「ご自由にお使いください」

 殺風景な六畳一間に通された幻十郎は、案内してくれた兵士がいなくなると、畳の上に大の字になって寝転んだ。
 ここ数日間、東国と西国の狭間の山間部で諜報活動に明け暮れ、野宿続きだった。清潔な畳の上で横になれる幸せを噛みしめる。

 しかも〝変化〟を解いた直後は必ず、どっと疲れが出る。
 まぶたが重くなり、幻十郎は布団を敷く気力も出ないまま眠りに落ちた。


   ◆


 眩(まばゆ)い光を放ちながら、彗星が尾を引いて夜空を流れていく。
 胸をざわつかせる黒い影をまとった不吉な箒星――。

 その星の軌跡に、美しい女学生の幻影が重なる。真っ赤なリボンがよく似合っている美少女だ。風もないのに、艶(つや)のある長い黒髪がなびいて、髪の隙間から覗く瞳には涙がきらりと光っている。

「なぜ、そんなに悲しそうな顔をしているんだ?」

 幻十郎は思わず声をかける。

「わたしを連れ出してくださいますか……?」

 桜の花びらのような色をした唇から、哀願の言葉が出た。

「おまえが望むなら、そうしよう。私が守ってやる」

(私は、この娘を知らない。だが、そんなことは関係ない……)

 幻十郎が女学生に手をのばした刹那――。大蛇が現れて、その長いとぐろで娘の身体に巻きついた。

「その娘を離せ!」

 幻十郎は叫んだが、妖術が発動しない。それどころか、指一本、思うように動かせない。そうこうするうちに、不吉な箒星が、大蛇を娘ごと遥か彼方へ飛ばしてしまった。

「待て!」


   ◆


 幻十郎は自分の叫び声で目を覚ました。

「ひどい夢だ……」

 上半身を起こした幻十郎は、伸び放題になっている前髪をかき上げた。額にイヤな汗をかいている。
 小一時間ほど眠っていたらしかった。

 夢に意味などない。そう考えている幻十郎でも、いまの夢は妙に気になった。
 ハレー彗星が近づいているから不吉な箒星の夢を見るのはわかるが、あの娘は見たこともない。似ている少女と会ったこともない。だが、ずっと以前から知っているような気がするのだった。

(あの大蛇は……?)

 たとえ夢の中とはいえ、まるで歯が立たなかったことが不快だった。