◆
「引き返せ。ここは部外者の立ち入りは禁止だ」
歩哨に立っていた若い兵士が、威圧的な声を出した。
旧都を管轄地とする帝国陸軍第十六師団司令部――。
市街地から少し離れた、ひっそりとした広大な敷地に、その庁舎はあった。異国式のレンガ造りで、豪奢な見た目ではあるものの、何者も寄せつけない、異様なまでの威圧感を放っている。
兵士が声を荒げたのは、そんな司令部の正門に堂々と近づいてくる者がいたからだ。
薄汚れた着物姿で、大きな風呂敷包みを背負っている老人だ。どこかの行商人あたりが迷いこんだのだろう、と兵士は思ったのだが……。
背中の荷物が重すぎるのか、よたよたとおぼつかない足取りで、それでいて引き返す素振りもなく門に近づいてくる。
兵士は舌打ちすると、声を荒げた。
「おい、聞こえないのか! 引き返せ! 貴様には用のない所だ!」
右足のそばに立て銃にしていた銃剣を持ち上げ、兵士は老人を威嚇した。それでも老人はたじろぐことなく、兵士の正面に立った。
「何事だ!」
門番の詰所から、もう一人の兵士が飛びだしてきた。
「いや、こいつが引き返さんのだ」
「なんだ、年寄りじゃないか。まあ落ち着け。耳が遠いんだろうよ」
後から来た兵士が苦笑してなだめると、最初の兵士はようやく銃剣を下ろした。
「爺さん。ここはな、陸軍の施設なんだよ。どこに行きたいのか知らんが、こっちは通れんのだ」
ゆっくりと、大きな声で言い含めるように話すが、老人は聞こえているのか、いないのか、しわがれた声で自分勝手に話しだす。
「わしゃ、身寄りもおらんし、こうして国中を回っとります。小間物を扱っておるんじゃが、この孤独な老いぼれを憐れんで、何か買うてはくださらんか。白粉や紅はどうじゃろう? 兵隊さんにも、好い人がおられるでしょう? 贈り物にちょうどいいものじゃて。綺麗な簪もありますがの……」
「おいおい、この爺さん、俺たちに物を売りつけようってのか」
「いや、なかなか街まで出られんからな。櫛はあるか?」
「へい、もちろんございやす」
兵士が乗り気になったところで、老人は背中の風呂敷き包みを下ろした。
「――この中に武器が入っていたら、どうするつもりだったんだ?」
老人の口から発されたのは、若々しい男の声だった。
「あるいは、私が悪しきあやかしだったなら……おまえたちの命はとうにない」
「貴様ッ!」
「何者だ!?」
二人の兵士は息を呑み、銃剣を構えた。
「※※※※※※※」
老人が口にした合言葉に、兵士たちは慌てて銃剣を下ろす。
すぐに門は開けられた。
敷地に足を踏み入れた老人は、歩きながらその姿を変えた。薄汚れた着物はぱりっと糊のきいた絣になり、曲がっていた腰もしゃんと伸びた。老いが刻まれた肌は、張りのある美しい肌へと。さらには、切れ長の瞳が凛々しい、鼻すじの通った美青年の面差しへと変貌をとげたのである。
彼は〝変化〟を解いて、本来の姿へと戻ったにすぎないのだが。
この男の名は、八神幻十郎。
数え二十五歳ではあるが、もっと若く見える。書生風のいで立ちながら、れっきとした軍人である。階級は中尉。
所属は帝国陸軍特務第四小隊。特務部隊は第一から第四まであり、悪しきあやかし撃滅を任務としている。
人ならざる異形のもの――あやかしは大人しく無害なのが多いが、中には人間に敵意を持ち、危害を加えるものもいる。そういった悪しきあやかしを、帝の命により特務部隊の精鋭たちが人知れず退治しているわけである。
とりわけ第四小隊は特殊で、本隊とは別に、情報収集を任務とする別働隊が置かれている。その特殊な任務から、人間の隊員よりむしろ、人間に与している善良なあやかしのほうが多く徴用されている。
幻十郎もまた、別働隊の任務に就いているのだが……。
この見目麗しき軍人は、人ではない。あやかしであった。
妖狐の一族の末裔であるが、母は人間であったから、半妖として人間の姿でこの世に生まれ出た。その後、数奇な運命をたどって軍人となった男である。
あやかしとしての能力は最低限のもので、別人の姿に化けたり、催眠術のようなものを限定的に使えるくらいだ。攻撃的な妖術も殺傷能力はきわめて低い。
それが故に陸軍に信頼され、徴用されることに繋がった。幻十郎の能力は諜報員に適していると言えた。
「引き返せ。ここは部外者の立ち入りは禁止だ」
歩哨に立っていた若い兵士が、威圧的な声を出した。
旧都を管轄地とする帝国陸軍第十六師団司令部――。
市街地から少し離れた、ひっそりとした広大な敷地に、その庁舎はあった。異国式のレンガ造りで、豪奢な見た目ではあるものの、何者も寄せつけない、異様なまでの威圧感を放っている。
兵士が声を荒げたのは、そんな司令部の正門に堂々と近づいてくる者がいたからだ。
薄汚れた着物姿で、大きな風呂敷包みを背負っている老人だ。どこかの行商人あたりが迷いこんだのだろう、と兵士は思ったのだが……。
背中の荷物が重すぎるのか、よたよたとおぼつかない足取りで、それでいて引き返す素振りもなく門に近づいてくる。
兵士は舌打ちすると、声を荒げた。
「おい、聞こえないのか! 引き返せ! 貴様には用のない所だ!」
右足のそばに立て銃にしていた銃剣を持ち上げ、兵士は老人を威嚇した。それでも老人はたじろぐことなく、兵士の正面に立った。
「何事だ!」
門番の詰所から、もう一人の兵士が飛びだしてきた。
「いや、こいつが引き返さんのだ」
「なんだ、年寄りじゃないか。まあ落ち着け。耳が遠いんだろうよ」
後から来た兵士が苦笑してなだめると、最初の兵士はようやく銃剣を下ろした。
「爺さん。ここはな、陸軍の施設なんだよ。どこに行きたいのか知らんが、こっちは通れんのだ」
ゆっくりと、大きな声で言い含めるように話すが、老人は聞こえているのか、いないのか、しわがれた声で自分勝手に話しだす。
「わしゃ、身寄りもおらんし、こうして国中を回っとります。小間物を扱っておるんじゃが、この孤独な老いぼれを憐れんで、何か買うてはくださらんか。白粉や紅はどうじゃろう? 兵隊さんにも、好い人がおられるでしょう? 贈り物にちょうどいいものじゃて。綺麗な簪もありますがの……」
「おいおい、この爺さん、俺たちに物を売りつけようってのか」
「いや、なかなか街まで出られんからな。櫛はあるか?」
「へい、もちろんございやす」
兵士が乗り気になったところで、老人は背中の風呂敷き包みを下ろした。
「――この中に武器が入っていたら、どうするつもりだったんだ?」
老人の口から発されたのは、若々しい男の声だった。
「あるいは、私が悪しきあやかしだったなら……おまえたちの命はとうにない」
「貴様ッ!」
「何者だ!?」
二人の兵士は息を呑み、銃剣を構えた。
「※※※※※※※」
老人が口にした合言葉に、兵士たちは慌てて銃剣を下ろす。
すぐに門は開けられた。
敷地に足を踏み入れた老人は、歩きながらその姿を変えた。薄汚れた着物はぱりっと糊のきいた絣になり、曲がっていた腰もしゃんと伸びた。老いが刻まれた肌は、張りのある美しい肌へと。さらには、切れ長の瞳が凛々しい、鼻すじの通った美青年の面差しへと変貌をとげたのである。
彼は〝変化〟を解いて、本来の姿へと戻ったにすぎないのだが。
この男の名は、八神幻十郎。
数え二十五歳ではあるが、もっと若く見える。書生風のいで立ちながら、れっきとした軍人である。階級は中尉。
所属は帝国陸軍特務第四小隊。特務部隊は第一から第四まであり、悪しきあやかし撃滅を任務としている。
人ならざる異形のもの――あやかしは大人しく無害なのが多いが、中には人間に敵意を持ち、危害を加えるものもいる。そういった悪しきあやかしを、帝の命により特務部隊の精鋭たちが人知れず退治しているわけである。
とりわけ第四小隊は特殊で、本隊とは別に、情報収集を任務とする別働隊が置かれている。その特殊な任務から、人間の隊員よりむしろ、人間に与している善良なあやかしのほうが多く徴用されている。
幻十郎もまた、別働隊の任務に就いているのだが……。
この見目麗しき軍人は、人ではない。あやかしであった。
妖狐の一族の末裔であるが、母は人間であったから、半妖として人間の姿でこの世に生まれ出た。その後、数奇な運命をたどって軍人となった男である。
あやかしとしての能力は最低限のもので、別人の姿に化けたり、催眠術のようなものを限定的に使えるくらいだ。攻撃的な妖術も殺傷能力はきわめて低い。
それが故に陸軍に信頼され、徴用されることに繋がった。幻十郎の能力は諜報員に適していると言えた。

