凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「親父たちは、どう言ってるんだ?」

 啓治が、幻十郎に向きなおった。

「手紙で伝えましたら、母さんから返事が来ましたよ。母さんは喜んでいます。父さんの反応はよくわかりませんが、ひとまず反対はしていないようで……」
「反対してないってことは、賛成だろう。親父は、素直に感情を表すってことを知らんからな」
「文子がもう少し大きくなったら、兄さんたちも帝都に帰省してみては?」
「……考えておこう」

 啓治と父親の間に確執があることは、琴音も幻十郎に教えられていた。

 啓治の実父、幻十郎にとっては養父の八神啓太郎は現役の陸軍大臣であり、元老院の一員に名を連ねている。
 そんな偉い人が、息子と、不祥事により没落した涼風家の娘との結婚を快く思うものだろうか?

 不安は尽きないが、幻十郎が「大丈夫だ」と言ってくれている以上、信じようと思う。


 啓治たちに別れを告げて、露草書房を後にすると、琴音たち三人は旧都の繁華街へと出た。
 人でごった返しており、なかなか人力車も見つからない。

「ここから駅まではそう遠くない。買い物がてら歩いていこうか。由松は、なにか欲しいものはあるか?」
「よろしいのですか!? ええっと……新しい竹刀とか……」
「それは荷物になるから、帝都で買ってやろう」
「やったあ!」

 由松と幻十郎の会話が微笑ましくて、琴音はくすっと笑ってしまった。

 あの惨劇で辛い思いをしただろうに、由松は弱音を吐かない。幻十郎のことも信頼しているようだ。
 帝都に移ることに難色を示さなかったのも、琴音にとっては有難いことだった。そのいじらしさに、またも胸の痛みを覚える。

 養母の富美は警察署から釈放されたあと、一人で逃げるように村を出ていった。遠縁の親戚を頼って九州へと向かったのだ。琴音はともかく、あんなに溺愛していた由松すら連れていこうとはしなかった。

 これからは自分が、由松の母親代わりにならねば……という思いもある。

「帝都って、この旧都よりも栄えているのでしょう?」

 あまり蛇ノ目村を出る機会が多くなかった由松は、好奇心に目を輝かせ、モダン建築の商店が立ち並ぶ大通りの景色に興奮している。
 自然と早歩きになる由松に、琴音は後ろから声をかける。

「由松。そんなに速く行かないで。迷子になるわよ」
「大丈夫ですよ。子ども扱いしすぎです」

 口をとがらせて返事をした由松は、ふり返って、
「おねえさまと義兄さん、もうすっかり、おしどり夫婦ですね」
「こらっ! ませたこと言って!」
 顔を真っ赤にして怒る琴音の隣で、幻十郎が首の後ろを手でさする。

「……由松は、いい子だな」
「ええ。しっかりしている子です」
「あの家で、琴音を守ろうとして身につけた強さなのだろうな」
「由松には感謝しているんです。あの子がいなかったら、わたしは耐えられなかったかもしれません」

 数か月前、ハレー彗星の最接近で「この世の終わり」などと大騒ぎになっていたのが嘘のように、街は活気で溢れ返っている。
 琴音は旧都には数えるほどしか来たことがないが、これで見納めかと一抹の寂しさを覚える。

 馴染み深い桜町には、昨日のうちに別れを済ませてある。

 やるべきことが二つあって、その一つが、【桜高女】の退学手続きだった。
 幻十郎は「俺がやっておく」と言ってくれたけれど、やはり自分のことでもあるので、二人いっしょに職員室を訪れた。

 あの日以来、休学扱いになっていて、結局卒業できなかったのは残念だけど仕方ない。
 授業中に訪れたので、よし江や弥生たちと顔を合わせることはなかった。ほっとしたのと、最後に会っておきたかった気持ちと。

 海藤千賀子は、琴音より先に自主退学していた。

 泉家や涼風家のように一気に没落したわけではないものの、海藤家とて無傷ではいられなかった。あの惨劇を契機として、泉家や警察幹部との癒着は新聞にも取り沙汰され、悪評が立った。
 商家にとっては信用が第一である。その信用に傷がついてしまっては、距離を置く取引先が出てくるのは必然だった。

「海藤家もゆっくり傾いていくだろうな」

 冷徹に言い放ったのは、幻十郎だ。

 気位が高い千賀子であるから、【桜高女】で以前のように居丈高でいられなくなった自分に耐えられなかったのであろう。

 実父の市松と話すことなど何もないが、行方をくらましたという実母の雪乃とは会って話がしたい、と思う。
 それが叶わなかったのは、心残りではある。

 もう一つ、桜町でやるべきことは、栄八を弔うことであった。

 【桜高女】の退学手続きを済ませた琴音と幻十郎は、その足で徒名池の近くにある寺に向かった。
 栄八は骨も残らなかったが、形見の半纏(はんてん)を共同墓地に埋めてもらい、供養した。
 よく笑い、面倒見の良かった栄八こそが、本当の姿だったのだ。もはや遠い記憶となっているが、胸に刻みつけておきたい。

(安らかに眠ってほしい)

 ただ、それだけを願って、琴音は手を合わせた。

 そして今日、いよいよ帝都に向けて出発する日――。
 旧都にやってきた琴音たちは、幻十郎の兄夫婦に挨拶をするために露草書房を訪れたのであった。