九月になると、蛇ノ目村は北隣の村に吸収合併された。
村長や地主らの顔ぶれは一新され、長きにわたって続いた忌まわしき因習もようやく終わりを告げたのである。
変化の兆しを見届けた幻十郎に、帝都への帰還命令が出た。
合わせて、特務第四小隊の本隊への転属命令も出た。有馬隊長が、自分を妖刀持ちの隊員として認めたことになる。
(やはり、そうなるか)
予想していたことでもある。琴音の異能によって格段に妖力が上がった自分だ。悪しきあやかし撃滅のための戦力に数えられるのは必然であった。
とはいえ諜報員として帝国内を駆けずり回る日々が終わり、帝都に留まれるのは幻十郎にとっても望ましい。
(琴音といっしょにいられる……)
それは何よりも嬉しいことだ。
実家とは別に、帝都の南側に自分の一軒家を構えている。そこに琴音と由松とともに暮らす自分を想像してみると、自ずと笑みが浮かぶ。
これまでの自分には望むべくもなかった、あたたかな幸福――。
戦闘要員となって悪しきあやかしと戦うことが日常になろうとも、それは大したことではない。
そうして幻十郎は、琴音と由松を伴って帰途についたのである。
◆
「かわいい~」
母親の腕に抱かれて眠る赤ん坊を見て、琴音は思わず声を漏らした。
「本当だぁ」
由松も興味津々で、顔をほころばせる。
旧都の繁華街の片隅にある古書店――露草書房の二階に、琴音は由松とともにいた。
赤ん坊を抱いているのは、店主の八神啓治の妻・春子である。
「女の子なんよ。難産やったけど、元気に産まれてきてくれて、よかったわぁ」
母親の春子は琴音に微笑みかけて、
「抱いてみる?」
「よろしいのですか?」
おそるおそる、春子から赤ん坊を受け取る。存外に軽く、とてもいい匂いがした。
「いいなあ。あとで僕にも抱かせてね」
赤ん坊の頬を指で撫でながら、由松が訊ねる。
「名前はもう決まったんですか?」
「あの人と話し合ったんやけど、文子がええかなって……」
文子――。とてもいい名だと思う。
新しく産まれてきた命を抱き、琴音は涙腺がゆるむ。
蛇ノ目村では、あまりに簡単に人が死にすぎた。あんな惨劇はもう二度とあってはならぬ。
目覚めて欠伸した文子の可愛さに癒されていると、一階で話し込んでいた啓治と幻十郎が二階に上がってきた。
「幻十郎さま。抱かせてもらっています」
琴音が言うと、幻十郎は一瞬、呆けたような顔になって、首の後ろを手でさすった。
「そ、そうか……」
(あっ、いまのは照れているときの幻十郎さまの癖……)
呼び方が「八神さま」から「幻十郎さま」に変わったのは、二人の距離が縮まったことの証だ。細かい癖などもわかるようになってきた。
それに、幻十郎が照れている理由も手に取るようにわかってしまう。
(わたしたちも、いずれ子を……)
まだ婚約したばかりで、正式に結婚してはいないのだし、いささか気が早いが、自分も母親になる日が来る。
それを思うと、琴音も照れ臭くなって、顔が火照ってくるのだった。
ただ……幻十郎には内緒にしているが、〝凶星の子〟の血を引く自分が、子をなしていいのか、という迷いもある。
(いいえ、ハレー彗星は凶星なんかじゃなかったわ!)
一方で、その迷いを打ち消してくれる、確かな想いが琴音の胸のなかにある。
ハレー彗星が授けてくれた新たな異能は、幻十郎の妖力と重なり合い、忌まわしき因果を断ち切ってくれたではないか、と――。
「次は、僕の番だよ!」
急かす由松に、琴音はゆっくりと文子を渡して、抱き方を教えた。
その様子を目を細めて見ていた啓治が、口を開く。
「琴音さん。本当に幻十郎でいいのかい? 軍人の妻は気苦労も多かろうが……」
気遣わしげな啓治に、琴音は慌てて居住まいを正す。
「いえ、幻十郎さまが、わたしを闇から救ってくださいました。これより先、幻十郎さまをお支えするのが、わたしの生きがいとなりましょう。今後とも、よろしくお願い申し上げます、お義兄さま」
深々と頭を下げた琴音に、啓治も頭を下げて、
「こちらこそ、よろしく。なにぶん、気が利かん弟であるが、こらえてほしい」
「気が利かんは余計ですよ……」
幻十郎がぼそりと言ったので、琴音は春子と顔を見合わせて吹きだした。
住居にあてている二階の一室が、あたたかな空気で満たされていく。
啓治は気難しい、と幻十郎から聞かされていたので身構えていたが、杞憂に終わった。たしかに堅い雰囲気はあれど、心根の優しさが伝わってくる。
露草書房の店内も、本を選びやすいようにきっちりと分類されていて、啓治の几帳面な性格がよく出ていると感じた。これからの帝都までの道行きの退屈しのぎに、何冊か買っていくつもりだ。
村長や地主らの顔ぶれは一新され、長きにわたって続いた忌まわしき因習もようやく終わりを告げたのである。
変化の兆しを見届けた幻十郎に、帝都への帰還命令が出た。
合わせて、特務第四小隊の本隊への転属命令も出た。有馬隊長が、自分を妖刀持ちの隊員として認めたことになる。
(やはり、そうなるか)
予想していたことでもある。琴音の異能によって格段に妖力が上がった自分だ。悪しきあやかし撃滅のための戦力に数えられるのは必然であった。
とはいえ諜報員として帝国内を駆けずり回る日々が終わり、帝都に留まれるのは幻十郎にとっても望ましい。
(琴音といっしょにいられる……)
それは何よりも嬉しいことだ。
実家とは別に、帝都の南側に自分の一軒家を構えている。そこに琴音と由松とともに暮らす自分を想像してみると、自ずと笑みが浮かぶ。
これまでの自分には望むべくもなかった、あたたかな幸福――。
戦闘要員となって悪しきあやかしと戦うことが日常になろうとも、それは大したことではない。
そうして幻十郎は、琴音と由松を伴って帰途についたのである。
◆
「かわいい~」
母親の腕に抱かれて眠る赤ん坊を見て、琴音は思わず声を漏らした。
「本当だぁ」
由松も興味津々で、顔をほころばせる。
旧都の繁華街の片隅にある古書店――露草書房の二階に、琴音は由松とともにいた。
赤ん坊を抱いているのは、店主の八神啓治の妻・春子である。
「女の子なんよ。難産やったけど、元気に産まれてきてくれて、よかったわぁ」
母親の春子は琴音に微笑みかけて、
「抱いてみる?」
「よろしいのですか?」
おそるおそる、春子から赤ん坊を受け取る。存外に軽く、とてもいい匂いがした。
「いいなあ。あとで僕にも抱かせてね」
赤ん坊の頬を指で撫でながら、由松が訊ねる。
「名前はもう決まったんですか?」
「あの人と話し合ったんやけど、文子がええかなって……」
文子――。とてもいい名だと思う。
新しく産まれてきた命を抱き、琴音は涙腺がゆるむ。
蛇ノ目村では、あまりに簡単に人が死にすぎた。あんな惨劇はもう二度とあってはならぬ。
目覚めて欠伸した文子の可愛さに癒されていると、一階で話し込んでいた啓治と幻十郎が二階に上がってきた。
「幻十郎さま。抱かせてもらっています」
琴音が言うと、幻十郎は一瞬、呆けたような顔になって、首の後ろを手でさすった。
「そ、そうか……」
(あっ、いまのは照れているときの幻十郎さまの癖……)
呼び方が「八神さま」から「幻十郎さま」に変わったのは、二人の距離が縮まったことの証だ。細かい癖などもわかるようになってきた。
それに、幻十郎が照れている理由も手に取るようにわかってしまう。
(わたしたちも、いずれ子を……)
まだ婚約したばかりで、正式に結婚してはいないのだし、いささか気が早いが、自分も母親になる日が来る。
それを思うと、琴音も照れ臭くなって、顔が火照ってくるのだった。
ただ……幻十郎には内緒にしているが、〝凶星の子〟の血を引く自分が、子をなしていいのか、という迷いもある。
(いいえ、ハレー彗星は凶星なんかじゃなかったわ!)
一方で、その迷いを打ち消してくれる、確かな想いが琴音の胸のなかにある。
ハレー彗星が授けてくれた新たな異能は、幻十郎の妖力と重なり合い、忌まわしき因果を断ち切ってくれたではないか、と――。
「次は、僕の番だよ!」
急かす由松に、琴音はゆっくりと文子を渡して、抱き方を教えた。
その様子を目を細めて見ていた啓治が、口を開く。
「琴音さん。本当に幻十郎でいいのかい? 軍人の妻は気苦労も多かろうが……」
気遣わしげな啓治に、琴音は慌てて居住まいを正す。
「いえ、幻十郎さまが、わたしを闇から救ってくださいました。これより先、幻十郎さまをお支えするのが、わたしの生きがいとなりましょう。今後とも、よろしくお願い申し上げます、お義兄さま」
深々と頭を下げた琴音に、啓治も頭を下げて、
「こちらこそ、よろしく。なにぶん、気が利かん弟であるが、こらえてほしい」
「気が利かんは余計ですよ……」
幻十郎がぼそりと言ったので、琴音は春子と顔を見合わせて吹きだした。
住居にあてている二階の一室が、あたたかな空気で満たされていく。
啓治は気難しい、と幻十郎から聞かされていたので身構えていたが、杞憂に終わった。たしかに堅い雰囲気はあれど、心根の優しさが伝わってくる。
露草書房の店内も、本を選びやすいようにきっちりと分類されていて、啓治の几帳面な性格がよく出ていると感じた。これからの帝都までの道行きの退屈しのぎに、何冊か買っていくつもりだ。

