凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 遺体をすべて運び終えたところで、幻十郎と琴音は蛇淵沼から離れた。

 二人は言葉少なに寄り添って歩いたが、鬱蒼とした蛇ヶ森を抜け出したところで、幻十郎の方から口を開いた。

「ありがとう。琴音さんがいなければ、私は……」
「いえ、ハレー彗星のお陰です……」

 二人は空を見上げた。すでに凶星は、暗黒の彼方へと去ってしまった。先程までの明るさが嘘のように、闇夜が村に戻りつつある。
 幻十郎が狐火を出してくれたので、周囲が見えなくて怖い、という思いはしないで済んでいるが。

「君の、あの異能は、ハレー彗星が与えたものだろうか?」
「そう……だと思います。あやかしを治癒し、力を引き出す異能かと……」

 〝凶星の子〟の血を引く自分に、新たな力を授けてくれたのだ。

「わたしはずるい女です。自分の命を守ってもらうために、貴方を利用したのですから」

 幻十郎は愉快そうに笑った。

「いいじゃないか。私は琴音さんを……琴音を守りたいんだ。これからも、私の傍にいて、力を与えてくれないか」
「八神さま……それは……」

 頬が火照(ほて)ってきた。きっと顔は真っ赤に違いない。

「ああ。婚約の申し込みだ」

 照れ笑いしながら、幻十郎が続ける。

「大変なことがあったばかりだし、いま言うことではないかもしれんが……。村を出て、私といっしょに帝都で暮らさないか。もちろん由松くんもいっしょだ」

 琴音は胸がいっぱいになって、すぐには返事できなかった。

(八神さまは、わたしを恋うてくださっている……)

 ずっと縛り付けられるはずだった蛇ノ目村から連れ出してくださる。しかも、由松もいっしょに……。
 それは願ってもない話だ。あまりに出来すぎた話だ。
 まるでおとぎ話のようだ。

 だから……だろうか。幻十郎が差しのべてくれた幸せを前にして、琴音は怯えを見せた。
 このわたしが、よその土地で幸せになってもいいの? という戸惑いに襲われる。

 琴音の逡巡(しゅんじゅん)を察したか、幻十郎が言い添える。

「即答しなくてもいい。ゆっくり考えてからで……」
「い、いえ! いますぐにお返事させていただきます!」

 ひと呼吸置いて、琴音は言った。

「わたしには勿体ないお話です。とっても嬉しいです。ですが……危惧しておりますのは……あとで八神さまが後悔なさらないかと……」
「後悔……?」
「わたしはじゃじゃ馬なところがあります。思ったこともすぐ口に出してしまうほうですし、鼻っ柱も強いほうです。そんな女ですから……」
「なんだ、そんなことか」

 幻十郎は苦笑いして、肩をすくめた。

「それは承知の上だ。カフェーで口喧嘩した仲だろう?」
「そうでした!」

 二人は顔を見合わせ、微笑みあう。

「八神さま。こんなわたしでよろしければ……よろしくお願いします!」

 腰を折って、深々と頭を下げた琴音に、幻十郎も応じる。

「こちらこそ、よろしく頼む。いろいろと村の後処理もあるし、大変だけどな……」
「ええ、栄八さんも弔ってあげたいんです」
「そうだな。やることが山積みだ」

 二人はまた、空を見上げた。

 ふたたびハレー彗星がやってくるのは、今から七十六年後――一九八六年である。