(八神さまも来てくれたのかしら?)
なんとか身体を起こした琴音だったが、白蛇の巨体が動いたことに気づいた。
「気をつけてください!」
琴音が絶叫してからは、あっという間だった。永井軍曹たち四人の妖刀は折れ、鋭い牙で噛みつかれ、長い尾で吹っ飛ばされた。
そしていま、四人は動けなくなり、呻き声をあげている。
「ほう、さすがは陸軍の精鋭といったところやな。寸手のところで致命傷は避けよったわ」
かなり呪力を使ったのか、久葉の呼吸は荒くなっている。
「止めをさすのも面倒や。沙世。翼で風を起こして、こいつら全員、沼に落としてまえ」
「もうやめて!」
琴音が懇願したが、久葉は無視した。
「沙世、はよせえ」
「兄さま。この者たちはもう戦えませんし、これ以上は……」
沙世の姿が一瞬で消えた。白蛇が、その大きな口で飲み込んだのだった。
「式神であることを忘れるなと言うたやろ、阿呆が。せめて白蛇を強化する贄となって、この兄のために死んでいけや」
悪い夢を見ているようだった。すべては凶星が見せてきた悪夢であればいいのに……と、琴音は涙を流した。
対照的に、香世は無表情のままだ。
「おいおい、沙世を喰わせたんか。いくらなんでもやりすぎちゃうか?」
久葉と同じ装束をまとった初老の男が、ふらふらと千鳥足でやってきた。酒の一升瓶を手にしており、赤ら顔だ。
「兄に反抗する妹は必要ありませんよ、父上」
「ふん。二人の兄を追放したおまえが、それを言うんか」
「兄上たちに冷たく当たったのは、父上でしょうに」
「それは呪力を操る才が無かったから当然や。せやけど、なにも追放まで……」
この初老の男こそが、久葉の父である葉蔵であった。琴音もほとんど姿を見たことがなかった。酒浸りで、あまり表に出てこなかった所為であるが。
すると、葉蔵は突然、辺りをきょろきょろと見回した。
「ずいぶん霧が出てきよったな……。凶星の仕業か?」
しかし、霧などはどこにも出ていない。
「何を言うてるんです?」
久葉から薄ら笑いが消えて、訝しげな表情に変わった。
(八神さまだわ!)
琴音は直感した。幻術を使ったのだと……。
◆
幻十郎と能登が蛇淵沼の近くにたどり着いたとき、すでに成田曹長たちは倒れていた。その近くには、縛られて転がされた琴音もいる。
すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑え込んで、幻十郎たちは木陰から様子をうかがう。
琴音は気丈にも縄を解こうと、身をよじっていた。とりあえずは琴音が無事であったことに、幻十郎はほっと胸をなでおろす。
「成田たちも致命傷は負っていないようだな」
双眼鏡で状況を確認していた能登が、小声で告げる。
「あっちの木に、誰かが縛り付けられているようだが……」
幻十郎が視線で示した方向を、能登は確認して、
「少年だ。推定十二歳か十三歳」
「琴音さんの弟だろう」
幻十郎の直感が、そう確信させた。
(琴音さんが愛してやまない由松くんまで拉致するとは……)
「……あと、死体が三つ転がってやがる」
能登の声に、緊張の響きが混じる。
「見せてくれ」
能登が投げてよこした双眼鏡で、幻十郎は確認した。
洋装の死体が二体――いずれも首なしだ。もう一体はうつ伏せに倒れている男の死体で、品のいい藍染めの着物の背に、ぽっかりと穴があいている。
これまた直感だが、琴音の養父の松之助だろう、と幻十郎は思った。
そして……蛇淵沼の水面を突き破っている巨大な白蛇――。
幻十郎たちが慎重にならざるを得ないのは、この三十尺はゆうに超えるであろう蛇神の存在があるからだ。
(いや、神ではない。式神か……)
旧都の警察署で葉太から聴取したところ、「もはや蛇神は存在しない」とのことだった。
九百年もの長きにわたり、泉家によって強化されつづけた式神を、村人は神として崇めてきたのだ。
妖刀を携えた特務部隊の隊員たちですら、戦闘不能に追い込んだ巨大な白蛇に、幻十郎は死の恐怖を感じた。
考えなしに出て行けば、自分たちも只では済まぬ。
そのまま気配を消して、二人で様子をうかがっていると――。
離れたところに、狩衣姿の長髪の男が立っていることに気づいた。
(あいつが久葉だな)
顔は初めて見るのに、そんな気がしないのは、葉太とよく似た顔立ちだからか。
琴音を執拗に狙い、ついに拉致した張本人を目にしては、正気を保っていられないほどの怒りが湧きあがる。
その久葉は、同じような装束をまとった初老の男と話しこんでいる。酒の一升瓶を手にしているから葉蔵だろう。
葉太から「酒に溺れるようになった」と聞いていた通りだ。ひどく酔っているらしく、ふらふらと足元がおぼつかない。
(これを使わない手はない)
幻十郎は能登に目配せしたあと、葉蔵に対して幻術を発動した。
なんとか身体を起こした琴音だったが、白蛇の巨体が動いたことに気づいた。
「気をつけてください!」
琴音が絶叫してからは、あっという間だった。永井軍曹たち四人の妖刀は折れ、鋭い牙で噛みつかれ、長い尾で吹っ飛ばされた。
そしていま、四人は動けなくなり、呻き声をあげている。
「ほう、さすがは陸軍の精鋭といったところやな。寸手のところで致命傷は避けよったわ」
かなり呪力を使ったのか、久葉の呼吸は荒くなっている。
「止めをさすのも面倒や。沙世。翼で風を起こして、こいつら全員、沼に落としてまえ」
「もうやめて!」
琴音が懇願したが、久葉は無視した。
「沙世、はよせえ」
「兄さま。この者たちはもう戦えませんし、これ以上は……」
沙世の姿が一瞬で消えた。白蛇が、その大きな口で飲み込んだのだった。
「式神であることを忘れるなと言うたやろ、阿呆が。せめて白蛇を強化する贄となって、この兄のために死んでいけや」
悪い夢を見ているようだった。すべては凶星が見せてきた悪夢であればいいのに……と、琴音は涙を流した。
対照的に、香世は無表情のままだ。
「おいおい、沙世を喰わせたんか。いくらなんでもやりすぎちゃうか?」
久葉と同じ装束をまとった初老の男が、ふらふらと千鳥足でやってきた。酒の一升瓶を手にしており、赤ら顔だ。
「兄に反抗する妹は必要ありませんよ、父上」
「ふん。二人の兄を追放したおまえが、それを言うんか」
「兄上たちに冷たく当たったのは、父上でしょうに」
「それは呪力を操る才が無かったから当然や。せやけど、なにも追放まで……」
この初老の男こそが、久葉の父である葉蔵であった。琴音もほとんど姿を見たことがなかった。酒浸りで、あまり表に出てこなかった所為であるが。
すると、葉蔵は突然、辺りをきょろきょろと見回した。
「ずいぶん霧が出てきよったな……。凶星の仕業か?」
しかし、霧などはどこにも出ていない。
「何を言うてるんです?」
久葉から薄ら笑いが消えて、訝しげな表情に変わった。
(八神さまだわ!)
琴音は直感した。幻術を使ったのだと……。
◆
幻十郎と能登が蛇淵沼の近くにたどり着いたとき、すでに成田曹長たちは倒れていた。その近くには、縛られて転がされた琴音もいる。
すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑え込んで、幻十郎たちは木陰から様子をうかがう。
琴音は気丈にも縄を解こうと、身をよじっていた。とりあえずは琴音が無事であったことに、幻十郎はほっと胸をなでおろす。
「成田たちも致命傷は負っていないようだな」
双眼鏡で状況を確認していた能登が、小声で告げる。
「あっちの木に、誰かが縛り付けられているようだが……」
幻十郎が視線で示した方向を、能登は確認して、
「少年だ。推定十二歳か十三歳」
「琴音さんの弟だろう」
幻十郎の直感が、そう確信させた。
(琴音さんが愛してやまない由松くんまで拉致するとは……)
「……あと、死体が三つ転がってやがる」
能登の声に、緊張の響きが混じる。
「見せてくれ」
能登が投げてよこした双眼鏡で、幻十郎は確認した。
洋装の死体が二体――いずれも首なしだ。もう一体はうつ伏せに倒れている男の死体で、品のいい藍染めの着物の背に、ぽっかりと穴があいている。
これまた直感だが、琴音の養父の松之助だろう、と幻十郎は思った。
そして……蛇淵沼の水面を突き破っている巨大な白蛇――。
幻十郎たちが慎重にならざるを得ないのは、この三十尺はゆうに超えるであろう蛇神の存在があるからだ。
(いや、神ではない。式神か……)
旧都の警察署で葉太から聴取したところ、「もはや蛇神は存在しない」とのことだった。
九百年もの長きにわたり、泉家によって強化されつづけた式神を、村人は神として崇めてきたのだ。
妖刀を携えた特務部隊の隊員たちですら、戦闘不能に追い込んだ巨大な白蛇に、幻十郎は死の恐怖を感じた。
考えなしに出て行けば、自分たちも只では済まぬ。
そのまま気配を消して、二人で様子をうかがっていると――。
離れたところに、狩衣姿の長髪の男が立っていることに気づいた。
(あいつが久葉だな)
顔は初めて見るのに、そんな気がしないのは、葉太とよく似た顔立ちだからか。
琴音を執拗に狙い、ついに拉致した張本人を目にしては、正気を保っていられないほどの怒りが湧きあがる。
その久葉は、同じような装束をまとった初老の男と話しこんでいる。酒の一升瓶を手にしているから葉蔵だろう。
葉太から「酒に溺れるようになった」と聞いていた通りだ。ひどく酔っているらしく、ふらふらと足元がおぼつかない。
(これを使わない手はない)
幻十郎は能登に目配せしたあと、葉蔵に対して幻術を発動した。

