凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 とっくに日は落ちたが、まるで昼間のような明るさだった。

 篝火(かがりび)の一つも焚(た)かれていないのに、蛇ヶ森の木々に囲まれた蛇淵沼においても、その禍々しい水面までよく見える。

 そして、沼の中央には、三十尺を超える巨体を持て余すように鎌首をもたげた白蛇の式神が、贄を求めて舌なめずりしている。

 その贄となる琴音は、久葉に命じられた沙世によって、両腕と足首を荒縄で縛られ、沼のほとりに転がされていた。
 眠らされた由松は、香世によって、木に縛り付けられている。

「七十六年に一度の、不吉な箒星か……」

 天空を流れるハレー彗星を見つめていた久葉は、琴音の傍に跪(ひざまず)いた。

「〝凶星の子〟の血を引く貴女に、何をもたらすのか気になりますわ。それを見届けたくて、この日を選びましたんや」

 白蛇と同じように舌なめずりしながら、琴音の顔に触れてくる。

「美しい……。まるで天女やな」
「触るな、下郎!」

 久葉の黒い霧の臭気に吐きそうになりながら、琴音は唾を吐きかけた。

「……ほう。上品な乙女やと思ってたら……」

 久葉から余裕ぶった笑みが消えた。

「兄さま! 村に軍人と警官が入り込んだようです!」

 香世と沙世が駆け寄ると、久葉は立ち上がった。

「軍人はともかく、警官まで……? あの署長は役立たずやったか。……まあ、ええわ」

 久葉が手で印を結ぶと、地面から、ぬっと五つの影が出てきた。

「貧弱な人間を相手するのに、白蛇を使うまでもないわ。こいつらを使うか」

 琴音は、思わず声を出しそうになった。見覚えのある姿が、そこにあったのだ。
 河童と烏天狗に、傘化け。さらに、かまいたちと猫又――。
 幼かった琴音が、心を通わせていたあやかしたちだ。

(久葉に、式神に造り替えられていたの……?)

 不気味がる養父母に気兼ねして、自らあやかしとの繋がりを断ったのだと、今まで思いこんでいた。だが実際は、村にいたあやかしは久葉に式神にされていたのだ。

(だから、あやかしが見えなくなったんだ……)

 真相がわかり、さらに久葉への憎悪が高まる。

「兄さま。涼風松之助が、こちらに向かっております」
「いかがいたしましょう?」

 香世と沙世が告げると、久葉は「通してやれ」とだけ返した。

 しばらくして、二人の使用人を連れた松之助が、本当にやってきた。愛されたことも、愛したこともない養父だが、その姿を見て、琴音はどこか安堵していた。

 だが、やはり松之助には由松しか見えていない。

「久葉さん! 話が違うじゃないですか! なぜ由松まで連れていったんです!?」

 松之助は声を荒げ、木に縛り付けられた由松を見つけるや、助けるよう使用人に命じた。
 駆け寄った使用人に、河童と烏天狗が立ちはだかる。

「逃げて!」

 琴音が叫ぶのと、使用人二人の首が跳ね飛んだのは同時だった。

(なんということを……)

 琴音は顔をそむけた。あの心優しい河童たちを手足のように使い、人殺しまでさせるとは……。

「お、おい! どういうつもりなんだ!」

 松之助の怒声に、怯えが混じる。

「禁足地に無断で入ったから、天罰や」
「ふん、何が禁足地だ。俺は気づいてるんだぞ。あの蛇神は神さまでも何でもないってな。ただの式神……」

 傘化けの尖った頭に、背後から胸を貫かれ、松之助は血を吐いた。

「ど、どうなって……」

 どさり、と音を立てて松之助は倒れた。
 あまりに残酷な光景に、琴音は言葉も出ない。

「兄のほうはまだ使えるが、おまえさんは商才が無いしなぁ。従順にしとればいいものを」

 久葉がせせら笑うと、沙世がまた告げた。

「兄さま。今度は、軍人が四人来ます」
「これはこれは、忙しいこっちゃ」

 久葉はため息を吐きながら、五体の式神を散開させた。
 ――と、瞬く間に河童と傘化けは細切れになり、黒煙となって消えた。

「なっ……!?」

 久葉は絶句した。

「琴音さん! 助けにきました!」

 永井軍曹たちが駆け寄ってきたのを見て、琴音は安堵のあまり泣きそうになった。
 彼らは不思議な色をした刀を持っている。あれが悪しきあやかしを撃滅できる妖刀だろう。

 残った烏天狗たち三体が立ちはだかり、すばやい動きで永井軍曹たちを翻弄する。
 だが、程なくしていずれも妖刀に斬られ、同じく黒煙となった。

「あやかしたちを操り人形にするとは……。この外道め!」

 榎本軍曹が肩で息をしながら、久葉を睨みつける。