凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「な、何やら明るくなってきましたぞ!」

 先頭の成田曹長が叫んだとおりだった。闇に覆われても仕方ない時刻になってきたというのに、まるで昼間のようだ。

「ハレー彗星だ!」

 能登の大声は、馬の蹄音(ていおん)にかき消されたが……。
 天空を見上げれば、巨大な彗星が、尾を引いて流れていくのが見える。

(これが……ハレー彗星か……!)

 幻十郎の背中を、冷たい汗が伝う。
 何度となく、不穏な夢や幻影を見せてきた不吉な箒星――。

 願わくば、琴音が背負わされた忌まわしき因果を打ち消してほしい。〝凶星の子〟から受け継がれてきた因果だ。

(解放してやってくれ)

 七十六年ぶりに戻ってきた彗星に、幻十郎は心から願った。

 ――と、前を行く成田曹長たちの馬が止まったのを見て、殿(しんがり)の幻十郎は慌てて手綱(たづな)を引いた。
 田圃に身を潜めて待ち構えていた村人の一団が、飛び出してきたらしかった。

「性懲りもなく、また軍人が来よった! なんの用や!」
「いまは大切な儀式の最中や! 邪魔はさせんで!」
「はよ帰れや!」

 鍬や鎌を手にした数十人が、幻十郎たちを取り囲む。

「貴様ら離れろ!」
「邪魔だ!」

 飯島軍曹や榎本軍曹が声を張り上げるが、一団は怯まない。

「ああ……凶星が来てもうた……」
「不吉や! この世の終わりや!」
「大丈夫や! いま蛇神さまに生贄を捧げとるから、この村だけは助かる!」
「せや! こいつらを禁足地に行かせたらあかん!」

 村人たちが喚(わめ)き、鍬を振り回すと、馬は前足を上げて興奮状態になった。振り落とされそうになった幻十郎と能登は飛び降りて、必死に馬を宥(なだ)める。

「大丈夫ですか!?」

 馬上から叫んだ成田曹長に、幻十郎が大声で指示を出す。

「おまえたちだけで先に行け! 早くしろ!」
「承知しました!」

 成田曹長は部下三人を引き連れ、蛇ヶ森に向かった。

「こいつらを袋叩きにすんぞ!」

 村人たちはさらに殺気立った。ハレー彗星を恐れるあまり、極度の錯乱状態にある。若い男だけでなく、女や老人もいる。

「やるしかあるまい。ほら」

 能登が「俺たちに妖刀はないから、せめてこれくらいは」と、持ってきていた二本の木刀のうちの一本を投げてよこした。

「ああ。手加減はしろよ」

 受け取った木刀を構えた幻十郎の口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。

(結局、私たちは汚れ仕事を引き受けるしかないのだな)

「いてもうたれ!」

 奇声をあげて飛びかかってきた村人たちを、木刀で迎え撃つ。鍬や鎌を避けつつ、村人の手足や腹を打って、動けなくする。いかに剣術を磨いてきた二人であっても、これは骨の折れる作業だ。
 間違って頭に当たれば命にかかわるし、女や老人が相手では、まともに打つのは躊躇(ためら)われる。

 しかも、後から駆けつけてくる者もいて、相手の数が一向に減らない。
 業を煮やした能登が「きりがないぞ!」と叫ぶ。幻十郎も焦り始めたときだ。
 馬の蹄音が響いてきた。

「警察だ!」

 馬上から、警察官が叫んだ。総勢十名は超える警察官の姿が、そこにあった。

「すみやかに散れ! さもなくば拘束する!」

 警察官の一声で、一団のうち半分は逃げ出したが、まだ半分は敵意剥きだしだ。

「あんたら、永井軍曹と同じ陸軍やな? ここは我らが引き受けた」

 最初に叫んだ巡査が、幻十郎たちに言ってくれた。

「有り難い! 感謝する!」

 幻十郎たちは、ふたたび騎乗した。

「しかし……どうしてだ……?」

 不思議そうな能登に、にやりとして巡査は応じた。

「うちの警察署にも〝変化のとき〟がやってきたんや。泉家や海藤家と癒着してた署長らは更迭(こうてつ)されたわ。以前から内々で綱紀粛正の動きがあったんやが、あんたらが泉葉太からとった供述が決め手になったんや。……さあ、はよ行け」

 そう言って、巡査は村人たちの対応に戻った。

「行くぞ、能登!」
「よし!」

 幻十郎たちは、軍馬を走らせた。