凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「お待ちしておりましたよ、琴音さま」

 いつもより仰々しい狩衣をまとった久葉は、何故に嬉しそうなのか。

「おねえさま……?」

 困惑した声がして、琴音が振り返ると、泣き腫らした顔の由松が立っていた。

「由松!」
「おねえさま!」

 もう二度と会えぬと諦めていた由松が、琴音に抱きついてきた。

「どうしてここに……?」
「僕もよくわからないんです。月曜日、おねえさまが地蔵堂に自転車だけ残して神隠しに遭って……。僕、あちこち探したんだよ。でも、お父さまたちは全然心配してないし、警察にも知らせなくて……。それでお父さまと喧嘩になって、部屋に閉じ込められていたら、いきなり香世さんと沙世さんが……。ああ、いったいどうなってるの……?」

 混乱の極みにある由松は、呼吸を荒くする。

「由松さま」

 おもむろに近づいてきた久葉は、笑顔を引きつらせていた。「これをご覧ください」と、由松の顔の前で人差し指を動かす。

「あ……」

 たちまち由松の体から力が抜けて、気を失ったようになった。

「由松に何をしたのです!?」

 琴音が怒気をふくめた声を出したが、久葉は事もなげに、
「安心なさい。催眠術で眠らせただけや」
 とだけ言うと、香世と沙世を睨みつける。

「兄さま、お許しください」
「最後ですから、琴音さまに一目会わせてあげたかったのです」

 香世と沙世が、無表情な顔に怯えの色を濃くして、許しを乞う。

「私が指示していないことを勝手にするな!」

 癇(かん)走った声とともに、久葉が手で印を結ぶと、香世と沙世は吹っ飛ばされ、後ろの木に叩きつけられた。

「おまえたちは、私の妹である前に、式神や。それを忘れたらあかんで」
「も、申し訳ございません……」

 香世が、倒れたまま詫(わ)び言(ごと)を口にする。

「どうしてそんな酷いことを……」

 由松を抱きしめながら、琴音は震える声で怒りをあらわにした。

「いや、これは好都合というものやな。弟の眼前で、姉を凌辱するというのも一興か」

 久葉の言葉に、琴音は血の気が引いた。

「な、何を言っているのです……?」
「凌辱すると言うたんですわ。貴女はもう、私のために捧げられた贄ですからね」

 下卑た笑みを浮かべる久葉は、もはや悪意を隠しきれていない。これでもかと黒い霧をまき散らしているのが、琴音には見える。

「兄さま、おやめください。由松さまはすぐに戻しますので……」

 木に叩きつけられた痛みに耐えながら、沙世が懇願するが……。

「黙れ」

 久葉は冷徹にはねつけた。もはや全身が黒い霧に包まれて、その顔がよく見えないほどだ。

「わたしは……貴方に捧げられた覚えはありません! わたしは蛇神さまの贄になったのです!」

 鼻先に漂う臭気に眉をしかめながら、琴音は叫んだ。
 久葉は動じることなく、また手で印を結び、呪文を呟く。

「蛇神さまというのは、これのことやろか?」

 とたんに、蛇淵沼の水面を突き破って、巨大な白蛇が姿を現した。

(これが……蛇神さま……?)

 身体が痛むほどの強烈な邪気を放っているものの、琴音には神々しさが感じられない。それは何故か?

「……これは、ただの式神ですね?」

 琴音が問い掛けると、久葉の片眉がぴくりと動いた。

「ただの式神とは、あんまりな言い様ですわ。我ら泉家が、九百年もの時をかけて造りあげた最高傑作やというのに……」
「蛇神さまはどうしたのです? この村の守り神は!」
「最初にこの村にやってきた、我が先祖の陰陽師が退治したとか……」
「えっ……!?」

 頭が真っ白になった。考えることを放棄してしまったかのようだ。

「神やいうても、気まぐれに災いをもたらす存在やからな。村人たちを守るために退治したんやろう。代わりに白蛇を捕まえて、式神に造り替え、神とした……と泉家に伝わる書物にあったわ」
「何ということを……」

 それでは、これまでに生贄となった乙女たちは、何のために……?
 琴音の疑問を見透かしたかのように、久葉は続ける。

「汚れていない乙女の肉体は、式神を強化するのに具合がええんや」

(そのために、何人もの命が……)

 琴音は、怒りと悲しみで正気を保っていられそうになかった。

「せやけどな、凌辱した乙女を喰わせると、式神の呪力はもっと高まるんや」

 久葉はぞっとするような笑みを浮かべた。

「陰陽師にとっては、陰陽道が呪力の根源や。処女の肉体を陽とするなら、凌辱したばかりの乙女の肉体は、陰と陽が絶妙に均衡を保った存在……ということになりますやろ」

 理解できなかった。何もかも常軌を逸している。

「それで代々、泉家は陰陽師の家系を守ると同時に、白蛇の式神を強化しつづけた。汚れを知らぬ乙女の肉体を使ってな……」

 高笑いする久葉の形相は、悪鬼そのものであった。


 ――助けがほしいとき、その蓋をあけてみるといい。


(八神さま!)

 脳裏に幻十郎の言葉がよみがえった琴音は、帯に忍ばせていた小瓶を取り出し、蓋をあけた。