まさか授業を受けることなく【桜高女】を出ていくことになるとは思わなかった。
琴音は幻十郎と別れたあと、ゆっくりと自転車を走らせ、できる限り時間を潰してから蛇ノ目村に入ったが……。田圃に出ている者がいないため、昼食時であると知れた。
人がいても、いなくても、この村は陰気だ。立ち並ぶ案山子は風もないのに揺れ動き、遠くから聞こえてくる牛の鳴き声は女の悲鳴のようだ。昼間から烏が群れをなして飛んでいるのが見えた。
田圃に佇み、自転車を走らせる琴音をじっと見つめているのは、一匹の白鳥だ。もう四月も半ばを過ぎたのに、なぜに北へ帰らぬのか。
桜町に引き返しても決心が鈍りそうで、そのまま地蔵堂に向かう。神隠しに遭う時間にはまだ早いが、そこでじっと待っていればいい。
だが、それは杞憂に終わった。
地蔵堂に着いて自転車を降りると、すぐさま二つの人影が現れたのだ。
「えっ……」
琴音はぎょっとして、身じろぎ一つできなかった。香世と沙世が急に現れたのだが、二人は一糸まとわぬ姿であった。小柄だが豊満な肢体が、太陽の光を受けている。
しかも……香世の背中には黒い翼、沙世の背中には白い翼が生えているのだった。
「お迎えに上がりました」
手をつないだ二人が、同時にしゃべった。
「さあ、お手をどうぞ」
「…………」
琴音は言われるまま、二人と手をつなぐ。三人が円陣になった刹那、琴音の視界は薄闇に支配された。
場所を移動したのだと理解するのに、かなり時間を要した。
「こ、ここは……?」
「蛇好神社の本殿裏にある蔵でございます」
香世が、相変わらず感情のこもらぬ声で答える。
いくつかの燭台の火と、一つきりの高窓から射し込む光とが、かろうじて室内の様子を浮かび上がらせている。次第に目が慣れてくると、確かにここは、狭苦しい蔵の中だろうと判った。
やや湿っぽい空気が充満しているが、掃除が行き届いているのか、板張りの床は綺麗だ。その床に脱ぎ散らかされていた巫女装束をまとった香世と沙世は、琴音に向き直った。
「すでにお察しのことと思いますが、私たちは兄さまの手によって、式神に造り替えられております」
今度は沙世が話したが、己が抱いた疑念が正しかったことに、琴音は愕然とする。
(なんてことを……)
さらに沙世は続ける。
「私たちの異能で、ここまで瞬時に移動しました。大人数を移動させるのは兄さまの手助けが必要になりますが、お一人くらいでしたら、私と香世だけで可能です」
「異能……」
同じ異能でも、これだけ違うのか。自分は、人の悪意が見えてしまうだけだ。
村で数年ごとに起こっていた神隠しのからくりがわかった気がする。泉家に操られた式神が、贄に選ばれた者を移動させていたのか。
「でも……わたしはずいぶんと早く着いたのに……」
琴音の疑問に、双子が淀みなく答える。
「私は烏の式神と、沙世は白鳥の式神と合体しております。それぞれの能力を取り込んでおりますれば……」
「私たちは、村内を飛んでいる烏と白鳥を操れます。香世は烏、私は白鳥の視覚を共有できるのです」
「そんなことが……」
泉久葉が、ただの神主ではなく、陰陽師の家系であることはとっくに気づいていたが、ここまでくると、神の領域へと踏み込んでいるような気がする。
それに……香世と沙世自身が式神であるならば、久葉もまた、二人の視覚を共有できることになる。
(いま、久葉がわたしを見ているかも……)
薄闇のなかで鋭く光る双子の瞳の奥に、久葉のまとわりつくような視線を感じて、琴音は戦慄した。
「二十日の夜まで、こちらで過ごしていただきます。精進潔斎のお手伝いは私たちがいたします」
「では、あとでお食事をお持ちしますので」
二人が扉から出ていこうとしたので、琴音は香世を呼び止めた。
「あの……この紋様は……」
左袖をめくってみせたが、香世は眉ひとつ動かさずに応じる。
「今朝、兄さまの指示で、私が呪符を埋め込みました。蛇神さまに選ばれたという証だそうです」
香世は肩の塵を払う振りをして、一瞬のうちに呪符を埋め込んできたのだ。
「どこに逃げようとも、たちまち蛇神さまに居所は知られます」
(蛇神さまにではなくて、久葉に……ですよね)
吐き捨てたいのを、ぐっと堪える。
「逃げるつもりは毛頭ございません」
琴音がきっぱりと言い切ると、重い扉が閉まって、閂が掛けられた。念入りに南京錠で施錠された音が響く。
静寂が訪れ、心細くなった琴音は、手に持っていた巾着袋を開けた。中には返しそびれた幻十郎のハンケチと、お守りだからと渡された小瓶が入っている。
それらを握りしめ、琴音は身体の震えを抑えこむのだった。
琴音は幻十郎と別れたあと、ゆっくりと自転車を走らせ、できる限り時間を潰してから蛇ノ目村に入ったが……。田圃に出ている者がいないため、昼食時であると知れた。
人がいても、いなくても、この村は陰気だ。立ち並ぶ案山子は風もないのに揺れ動き、遠くから聞こえてくる牛の鳴き声は女の悲鳴のようだ。昼間から烏が群れをなして飛んでいるのが見えた。
田圃に佇み、自転車を走らせる琴音をじっと見つめているのは、一匹の白鳥だ。もう四月も半ばを過ぎたのに、なぜに北へ帰らぬのか。
桜町に引き返しても決心が鈍りそうで、そのまま地蔵堂に向かう。神隠しに遭う時間にはまだ早いが、そこでじっと待っていればいい。
だが、それは杞憂に終わった。
地蔵堂に着いて自転車を降りると、すぐさま二つの人影が現れたのだ。
「えっ……」
琴音はぎょっとして、身じろぎ一つできなかった。香世と沙世が急に現れたのだが、二人は一糸まとわぬ姿であった。小柄だが豊満な肢体が、太陽の光を受けている。
しかも……香世の背中には黒い翼、沙世の背中には白い翼が生えているのだった。
「お迎えに上がりました」
手をつないだ二人が、同時にしゃべった。
「さあ、お手をどうぞ」
「…………」
琴音は言われるまま、二人と手をつなぐ。三人が円陣になった刹那、琴音の視界は薄闇に支配された。
場所を移動したのだと理解するのに、かなり時間を要した。
「こ、ここは……?」
「蛇好神社の本殿裏にある蔵でございます」
香世が、相変わらず感情のこもらぬ声で答える。
いくつかの燭台の火と、一つきりの高窓から射し込む光とが、かろうじて室内の様子を浮かび上がらせている。次第に目が慣れてくると、確かにここは、狭苦しい蔵の中だろうと判った。
やや湿っぽい空気が充満しているが、掃除が行き届いているのか、板張りの床は綺麗だ。その床に脱ぎ散らかされていた巫女装束をまとった香世と沙世は、琴音に向き直った。
「すでにお察しのことと思いますが、私たちは兄さまの手によって、式神に造り替えられております」
今度は沙世が話したが、己が抱いた疑念が正しかったことに、琴音は愕然とする。
(なんてことを……)
さらに沙世は続ける。
「私たちの異能で、ここまで瞬時に移動しました。大人数を移動させるのは兄さまの手助けが必要になりますが、お一人くらいでしたら、私と香世だけで可能です」
「異能……」
同じ異能でも、これだけ違うのか。自分は、人の悪意が見えてしまうだけだ。
村で数年ごとに起こっていた神隠しのからくりがわかった気がする。泉家に操られた式神が、贄に選ばれた者を移動させていたのか。
「でも……わたしはずいぶんと早く着いたのに……」
琴音の疑問に、双子が淀みなく答える。
「私は烏の式神と、沙世は白鳥の式神と合体しております。それぞれの能力を取り込んでおりますれば……」
「私たちは、村内を飛んでいる烏と白鳥を操れます。香世は烏、私は白鳥の視覚を共有できるのです」
「そんなことが……」
泉久葉が、ただの神主ではなく、陰陽師の家系であることはとっくに気づいていたが、ここまでくると、神の領域へと踏み込んでいるような気がする。
それに……香世と沙世自身が式神であるならば、久葉もまた、二人の視覚を共有できることになる。
(いま、久葉がわたしを見ているかも……)
薄闇のなかで鋭く光る双子の瞳の奥に、久葉のまとわりつくような視線を感じて、琴音は戦慄した。
「二十日の夜まで、こちらで過ごしていただきます。精進潔斎のお手伝いは私たちがいたします」
「では、あとでお食事をお持ちしますので」
二人が扉から出ていこうとしたので、琴音は香世を呼び止めた。
「あの……この紋様は……」
左袖をめくってみせたが、香世は眉ひとつ動かさずに応じる。
「今朝、兄さまの指示で、私が呪符を埋め込みました。蛇神さまに選ばれたという証だそうです」
香世は肩の塵を払う振りをして、一瞬のうちに呪符を埋め込んできたのだ。
「どこに逃げようとも、たちまち蛇神さまに居所は知られます」
(蛇神さまにではなくて、久葉に……ですよね)
吐き捨てたいのを、ぐっと堪える。
「逃げるつもりは毛頭ございません」
琴音がきっぱりと言い切ると、重い扉が閉まって、閂が掛けられた。念入りに南京錠で施錠された音が響く。
静寂が訪れ、心細くなった琴音は、手に持っていた巾着袋を開けた。中には返しそびれた幻十郎のハンケチと、お守りだからと渡された小瓶が入っている。
それらを握りしめ、琴音は身体の震えを抑えこむのだった。

