凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

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 女学校を飛び出し、ひたすら自転車を漕いでいたら、【徒名池】に行き着いた。
 黒い霧の臭気は、琴音自身をも蝕(むしば)んだらしい。凶星が、この大地を焼き尽くしてしまえばいい……という願いすら、頭をもたげてくる。

 そんなことをぼんやりと考えながら池を眺めていたら、傍らに幻十郎が立っていたのだ。
 我に返って己の醜さに恐ろしくなったのと、ほっと安堵したのと。
 訳もわからぬまま、琴音は泣いた。
 他の誰でもない、幻十郎だったから、子どものように泣き続けることができた。

(わたしは、すでに八神さまを恋い慕っていたのだわ……)

 だが、幻十郎に会えるのは、おそらくこれが最後となるだろう。自らの未練を断ち切るように、琴音は淡々と事実を告げた。

「わたしは、凶星のもとに生まれた女です」

 よし江たちのように態度を変えてくれたら、どんなに気持ちが楽になっただろう。

「納得する必要など……断じてない!」

 幻十郎は激しい怒りを見せた。

(わたしのために怒ってくださった……)

 暗く閉ざされていた心に、眩い光が射し込んだような心地になる。その一方で、覚悟が鈍ってしまわないかと、焦りが生じる。

 気まずい雰囲気になると、幻十郎は琴音の複雑な感情を察したのか、普通に接してくれた。
 いっしょに鯉に餌やりをしたり、団子屋で雑談したり……。いつか恋愛小説で読んだような〝男と女の幸せな時間〟を過ごせていることが、何より嬉しい。

(この時間が永遠に続けばいいのに……)

 そう願ってしまうほどに、穏やかに時が流れる。
 清少納言の話題になったとき、琴音は言った。

「人からはこう思われているけど、実は違った……ということは案外多いと思います」

 言いながらも、これは自身にも当てはまるのではないか……と気づく。
【桜高女】にいる自分は自由闊達で、〝深紅の姫君〟と誉めそやされ、自信たっぷりに振る舞っていた。

 だが、蛇ノ目村に帰れば、養父母の顔色をうかがい、屋敷で目立たぬように息を潜める陰気な娘だ。
 しかも……【桜高女】の皆に慕われている自分こそが本当の自分だと思っていたが、それはただの思い込みだったかもしれぬ。〝凶星の子〟から引き継がれてきた因果にも、村の忌まわしき因習にも抗(あらが)おうとしない、意気地のない女――。

(これが、涼風琴音という女の正体なのだわ)

 そのことに得心がいったから、左腕に浮かぶ赤い紋様を見られようとも、説得されようとも、お守りを渡されようとも、琴音は揺らがなかった。

(わたしには、八神さまに救われる価値などない……)

 そう確信した以上は、幻十郎にすがりつく真似はできない。

「私は君と……おまえとともに生きていきたい……」

 自転車に跨った琴音は、幻十郎の悲痛なまでの願いを、背中で聞いた。手を差し伸べてくれたであろうことも、気配で感じられた。

 けれども、琴音は振り返ることなく、そのまま自転車を走らせた。
 幻十郎の手を取り、逃げだした後の悲劇を思えば……これでいい。幻十郎を不幸にはしたくない。

(そう、これでいい)

 必死に自分を納得させながら、ペダルを漕ぐ。
 怪しげな一団が「凶星がやってくる!」と騒いでいたが、彼らの言葉は薄っぺらで、ただ耳障りなだけだった。

 大通りを抜けたあと、自転車を止めて天を仰ぐ。村に帰るにはまだ早い。

 残酷なまでに青い空に、不吉な箒星の軌跡が浮かぶ。二十日の夜、蛇神に捧げられたあと、自分の魂はどうなるのか。凶星が、暗黒の彼方に連れ去ってくれるのか。そこに天国や地獄はあるのか。

 その問いに、答えてくれる者はいない。