凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 栄八が梶棒(かじぼう)を大きく右に切り、人力車は蛇皮川にかかった橋を渡っていく。

 川向こうに入ると、そこはもう隣の桜町だ。
 淀んだ空気が一気に清らかなものになる。まだ景色はさほど変わらぬというのに、まるで別世界だ。

 琴音は、ほっと安堵のため息を漏らす。毎朝、橋を渡りきったあとは無意識にそうなる。逆に、帰りに村に入って行くときは、苦い唾がこみ上げる。

(いつか、わたしもこの村を出ていくのかしら……)

 琴音を疎ましく思っている養父母は、早く〝厄介な子〟を追い出そうと、縁談について考えはじめている。本家の意向を無視してでも、旧都の良家に嫁入りさせたいようだった。
 自分の意思とは関係なく、家の繁栄のために嫁ぐことになるのだ。
 好き合っているわけでも、ましてや会ったこともない男と夫婦になるのは不安だが、この牢獄のような村を出られるなら、そんな不安など瑣末(さまつ)なことだ。

(でも……由松を置いていきたくないわ)

 蛇ノ目村で始まった涼風家を、さらに村に根付かせ、盤石なものとする使命を由松は背負わされている。
 村を出るなら、由松といっしょに……という気持ちはあれど、それは叶わないだろう。

 それに……村を出て、別の土地で幸せになることなど、ありえないような気がする。
 大蛇のとぐろに巻きつかれ、身じろぎもできない――。
 微かな希望を抱くたびに、そんな自分の姿が脳裏に浮かぶのだ。

(わたしが村を出ることは、蛇神さまが許してくださらない)

 そうした暗澹(あんたん)たる気持ちを、琴音はいつも胸の奥底に抱えている。