凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「……にしても、この餌は何でできているんだろうな?」

 幻十郎は、今更ながら、老人から買った餌をしげしげと見つめる。そんなに美味しいのだろうか。鯉の食いつきが激しい。

「蚕(かいこ)の蛹(さなぎ)をすり潰したものですわ」

 意外にも、琴音が答えを知っていた。

「養蚕の農家から買ったのを加工したものでしょう。わたしの父も養蚕をやっておりますので……」
「そうか……」

 幻十郎は「しくじった」と痛恨の思いで唇を噛む。

(今このときだけは、村の嫌なことを忘れてほしいのに……)

 すぐ近くにある団子屋が目に入り、幻十郎は気を取り直すように言った。

「鯉ばかり満腹にさせても仕方ないな。私たちも腹ごしらえしないか? 団子でよければ……」
「大好物です」
「では行こう」

 幻十郎が琴音の自転車を押していくと、琴音は遠慮がちに半歩後ろを付いてきた。

 他に客のいない団子屋でみたらし団子を注文し、軒先の床几(しょうぎ)(※縁台)に腰かける。
 甘じょっぱいみたらし団子を食べつつ、琴音の愛読書であるという清少納言の『枕草子』の話題で盛り上がった。幻十郎はしっかりと読み込んだ記憶はないが、琴音の説明が上手い。

「なるほど。清少納言と聞けば、高飛車で文才を鼻にかける女……という印象だったが、琴音さんの話を聞けば、また変わってくるな」
「清少納言は、仕えた中宮定子の存在と〝華〟を永遠のものとするために懸命でした。それに……繊細な女性であったことは、『枕草子』に滲(にじ)み出ていますわ。人からはこう思われているけど、実は違った……ということは案外多いと思います」
「そうかもしれぬな」

 茶をすすってうなずいた幻十郎に、琴音が訊いてきた。

「八神さまは、何かお好きな本はありますか? 小説とか……」
「私はあまり読書家ではないので……。ああ、手元に『高野聖』という小説があったかな。まだ読んでいないが……」
「まあ! 泉鏡花ですね! わたし、大好きです! 幻想的で、妖しくて……。ぜひ読んでみてください」
「ああ、そうしよう」

 奇しくも、泉久葉と同じ苗字の作家だった。またもしくじってしまったが、琴音はそんなことは気にしていないようだ。

 団子屋を後にすると、琴音は「ご馳走さまでした」と律義に頭を下げた。

「腹ごなしに散歩しようか」

 幻十郎はふたたび自転車を押して歩きだすが、またも琴音は遠慮がちに半歩後ろだ。

「遠慮はいらない」

 振り返って促すと、琴音はおずおずと真横に来た。
 しばらく池の周りをゆっくり歩いて雑談したあと、幻十郎は意を決して切り出した。

「そろそろ話してもらえるだろうか。何かあったのだろう?」

 琴音は考えこむ仕草をしたあと、口を開いた。

「……〝凶星の子〟の血を引いていると知って、心では受け止めきれなかったようです。自分でも訳がわからないほど取り乱して……」
「それだけか?」
「よし江さんたちと仲違いをしてしまいまして……」

(違う! 私が知りたいのは、もっと別な……)

 幻十郎は自転車を桜の木に寄りかからせ、琴音に向きなおる。

「失礼!」

 おもむろに幻十郎は琴音の左手首をつかみ、持ち上げた。

「な、何を……!?」

 琴音は戸惑いの声をあげたが、振りほどこうとはしない。左袖がめくれて、細い腕が露わになったのだが……。

「これは……!?」

 今度は幻十郎が驚く番だった。さきほど琴音が泣いたとき、袖がめくれて血のような赤が見えたのだ。しかも琴音の左腕からは、禍々しい臭いが立ち込めていた。
 実際に赤い紋様を目にすると、暗い予感が頭をもたげる。

「……わたしが蛇神さまの生贄に選ばれたことの証のようです」
「そんな……」
「海藤千賀子から聞いた話です」

(海藤千賀子……市松の長女だな。本来であれば、琴音さんの妹になったはずだが……)

 幻十郎は、琴音の赤い紋様を穴があくほど見つめる。

「これはおそらく……呪符(じゅふ)が埋めこまれている。呪力を操る陰陽師のやり口だ。村で久葉に会ったか?」
「今朝、蛇好神社の前で会いました」

 心の内で、幻十郎は舌打ちした。

(久葉の仕業か!)

 どうあっても琴音を生贄にしたいようだ。その執着はどこから来ているのか。

「わたしは決心しました。蛇神さまへの捧げものになります」
「え……?」

 幻十郎は頭が真っ白になった。琴音の言葉が理解できなかった。