「やあ……」
幻十郎は無理やり口角を上げてみたが、ぎこちない笑顔になっているのは自分でもわかる。
「あの……どうしてここへ?」
「いや、勧商場のあたりを歩いていたら、自転車に乗っている君を見かけたのでね。これから学校なのにどうしたのかと思って……」
「えっ、えっ、それで追いかけてきてくださったのですか!? その御姿で……?」
驚いて立ち上がった琴音が、幻十郎の全身をまじまじと見る。幻十郎はいつものように執事の装いで、革靴だ。
「あ、ああ。どうも様子がおかしかったのでね……」
まさか見張っていました、とも言えぬ。かといって偶然を装うには不自然すぎた。
琴音の頬がみるみる赤くなっていったと思ったら、その瞳から雨粒のように涙が流れ落ちた。こちらのすべてを見透かすのでは……と身構えさせた瞳はいま、何も映してはいない。
「ど、どうしたのだ!?」
両手で顔を覆って、なおも泣き続ける琴音に、幻十郎は狼狽するばかりだ。
(こいつは不味い……)
傍から見れば、洋装の男が女学生を泣かせている構図になる。いかがわしい関係すら想起させるかもしれない。周囲を歩いている人が少ないことだけが救いだ。
「も、申し訳ございません……」
詫びながらも琴音の涙は止まらない。幻十郎は背広のポケットから取り出したハンケチを渡しながら、言葉をかける。
「好きなだけ泣いていい」
もっとましな言い回しはないのかと、自分に腹が立つ。こういう時の対応は、能登なら上手くやりそうだが。
「ありがとう存じます」
ハンケチを受け取り、そっと目元を拭う琴音を前に、幻十郎の胸は早鐘を打った。守ってやりたいという庇護欲が高まっている。
(これが恋……というものだろうか……?)
ぼんやりと思いつつ、幻十郎は片手でベンチを差した。
「座って話そう」
ようやく落ち着いた琴音をベンチに座らせ、自分も横に腰掛ける。
「申し訳ありません。八神さまのお顔を見た瞬間、安堵いたしまして……。自分でもよくわからないのですが……」
我に返って恥ずかしくなったのか、琴音は身体を縮こませて目を伏せた。
「気にすることはない……が、村で何かあったのか? それとも女学校で……?」
琴音は顔を上げたが、幻十郎の問いには答えずに切り出した。
「八神さま。わたしは、凶星のもとに生まれた女です」
「凶星のもとに……?」
「ええ、父から聞きました。わたしは〝凶星の子〟の血を引いているのです」
琴音は養父の松之助から聞かされたという、自らの出自と因果を滔々と話した。
「わたしは父と母の実の子ではありませんし、それは知っておりましたが……。弟の由松が生まれてからというもの、両親に可愛がられた記憶がありません。血がつながっていない故かと思っておりましたが、すべて納得がいきました。わたしは周囲に厄災をもたらす存在なのですわ」
「そんなこと! 琴音さんが気にすることではない! 納得する必要など……断じてない!」
幻十郎は怒りのあまり、声を荒げた。
琴音の実父が海藤市松であることは、警察を通じて、すでに耳に入れていた幻十郎であるが。〝凶星の子〟の血筋うんぬんは初耳だ。
(しかし、松之助も今更どういうつもりで、そんな話をしたのか?)
松之助に対してこみ上げた怒りは、次第に自分にも向かう。
事情を知らなかったとはいえ、【カフェー夢見草】で養父母をなじった琴音を窘めた自分を殴りつけたい。〝変化〟のために怒らせる意図があったにせよ、だ。
気まずい沈黙が流れると、池で泳いでいた鯉が跳ねた。幻十郎は、初めて【徒名池】の水面をじっくりと眺めた。鯉がたくさん泳いでおり、浅瀬ではイシガメが甲羅干しをしている。
そこへ具合よく、鯉の餌の売り子がやってきた。
「餌をもらおう」
幻十郎が声をかけると、暇そうにしていた売り子の老人は喜色満面になった。人の良さそうな老人なので、代金を払うついでに幻十郎から話しかける。西国式の雑談にはすっかり慣れている。
「景気はどうだい?」
「いや~全然ですわ。もうすぐハレー彗星が来ますやろ? 不吉やからいうて、旅行者がめっきり減ってもうて……」
なるほど、観光地なのに人が少ないのは時間帯の所為ばかりでもなかったらしい。
「せやけど、ほんま絵になるお二人やなぁ」
世辞という風でもなく、心底感心したように呟きながら老人は去っていった。
幻十郎と琴音は顔を見合わせ、なんとなく面映ゆい心地で微笑みあう。
「鯉に餌をあげてみないか」
「はい」
二人並んで、いっしょに鯉に餌やりをしてみる。
池には思った以上に鯉がいて、軽く手を打つだけで一斉に水面から顔を出した。その勢いに二人は思わず笑ってしまった。
「たくさん鯉がいるんだな」
「この近くのお寺が管理しているのですわ。元々は殺生を戒めるための儀式として放生していたのが、いまも続いているそうです。インドが起源だとか」
「なるほど。それはいい慣習だな。……おっと、さっきからこの黒い奴ばかり食べてるぞ」
「食いしん坊ですわね。丸々としていますもの」
二人の緊張はすっかり解け、柔らかな時が流れる。
幻十郎は無理やり口角を上げてみたが、ぎこちない笑顔になっているのは自分でもわかる。
「あの……どうしてここへ?」
「いや、勧商場のあたりを歩いていたら、自転車に乗っている君を見かけたのでね。これから学校なのにどうしたのかと思って……」
「えっ、えっ、それで追いかけてきてくださったのですか!? その御姿で……?」
驚いて立ち上がった琴音が、幻十郎の全身をまじまじと見る。幻十郎はいつものように執事の装いで、革靴だ。
「あ、ああ。どうも様子がおかしかったのでね……」
まさか見張っていました、とも言えぬ。かといって偶然を装うには不自然すぎた。
琴音の頬がみるみる赤くなっていったと思ったら、その瞳から雨粒のように涙が流れ落ちた。こちらのすべてを見透かすのでは……と身構えさせた瞳はいま、何も映してはいない。
「ど、どうしたのだ!?」
両手で顔を覆って、なおも泣き続ける琴音に、幻十郎は狼狽するばかりだ。
(こいつは不味い……)
傍から見れば、洋装の男が女学生を泣かせている構図になる。いかがわしい関係すら想起させるかもしれない。周囲を歩いている人が少ないことだけが救いだ。
「も、申し訳ございません……」
詫びながらも琴音の涙は止まらない。幻十郎は背広のポケットから取り出したハンケチを渡しながら、言葉をかける。
「好きなだけ泣いていい」
もっとましな言い回しはないのかと、自分に腹が立つ。こういう時の対応は、能登なら上手くやりそうだが。
「ありがとう存じます」
ハンケチを受け取り、そっと目元を拭う琴音を前に、幻十郎の胸は早鐘を打った。守ってやりたいという庇護欲が高まっている。
(これが恋……というものだろうか……?)
ぼんやりと思いつつ、幻十郎は片手でベンチを差した。
「座って話そう」
ようやく落ち着いた琴音をベンチに座らせ、自分も横に腰掛ける。
「申し訳ありません。八神さまのお顔を見た瞬間、安堵いたしまして……。自分でもよくわからないのですが……」
我に返って恥ずかしくなったのか、琴音は身体を縮こませて目を伏せた。
「気にすることはない……が、村で何かあったのか? それとも女学校で……?」
琴音は顔を上げたが、幻十郎の問いには答えずに切り出した。
「八神さま。わたしは、凶星のもとに生まれた女です」
「凶星のもとに……?」
「ええ、父から聞きました。わたしは〝凶星の子〟の血を引いているのです」
琴音は養父の松之助から聞かされたという、自らの出自と因果を滔々と話した。
「わたしは父と母の実の子ではありませんし、それは知っておりましたが……。弟の由松が生まれてからというもの、両親に可愛がられた記憶がありません。血がつながっていない故かと思っておりましたが、すべて納得がいきました。わたしは周囲に厄災をもたらす存在なのですわ」
「そんなこと! 琴音さんが気にすることではない! 納得する必要など……断じてない!」
幻十郎は怒りのあまり、声を荒げた。
琴音の実父が海藤市松であることは、警察を通じて、すでに耳に入れていた幻十郎であるが。〝凶星の子〟の血筋うんぬんは初耳だ。
(しかし、松之助も今更どういうつもりで、そんな話をしたのか?)
松之助に対してこみ上げた怒りは、次第に自分にも向かう。
事情を知らなかったとはいえ、【カフェー夢見草】で養父母をなじった琴音を窘めた自分を殴りつけたい。〝変化〟のために怒らせる意図があったにせよ、だ。
気まずい沈黙が流れると、池で泳いでいた鯉が跳ねた。幻十郎は、初めて【徒名池】の水面をじっくりと眺めた。鯉がたくさん泳いでおり、浅瀬ではイシガメが甲羅干しをしている。
そこへ具合よく、鯉の餌の売り子がやってきた。
「餌をもらおう」
幻十郎が声をかけると、暇そうにしていた売り子の老人は喜色満面になった。人の良さそうな老人なので、代金を払うついでに幻十郎から話しかける。西国式の雑談にはすっかり慣れている。
「景気はどうだい?」
「いや~全然ですわ。もうすぐハレー彗星が来ますやろ? 不吉やからいうて、旅行者がめっきり減ってもうて……」
なるほど、観光地なのに人が少ないのは時間帯の所為ばかりでもなかったらしい。
「せやけど、ほんま絵になるお二人やなぁ」
世辞という風でもなく、心底感心したように呟きながら老人は去っていった。
幻十郎と琴音は顔を見合わせ、なんとなく面映ゆい心地で微笑みあう。
「鯉に餌をあげてみないか」
「はい」
二人並んで、いっしょに鯉に餌やりをしてみる。
池には思った以上に鯉がいて、軽く手を打つだけで一斉に水面から顔を出した。その勢いに二人は思わず笑ってしまった。
「たくさん鯉がいるんだな」
「この近くのお寺が管理しているのですわ。元々は殺生を戒めるための儀式として放生していたのが、いまも続いているそうです。インドが起源だとか」
「なるほど。それはいい慣習だな。……おっと、さっきからこの黒い奴ばかり食べてるぞ」
「食いしん坊ですわね。丸々としていますもの」
二人の緊張はすっかり解け、柔らかな時が流れる。

