凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 かつて蛇ノ目村で暮らし、大事に育てあげた一人娘を蛇神に捧げた女――戸沢みさを。
 夫も失い、頼れる身寄りもなかったみさをは旧都周辺を転々とした挙句、物乞いに身を落とした。

 娘や夫との再会を箒星に願いながら、みさをは死出の旅に出た。安らかな顔で……。

 幻十郎と能登少尉が見守るなか、亡骸(なきがら)は桜町の共同墓地に葬られた。

「みさをさん。あんたの無念は、私が晴らしてやる」

 幻十郎は誓いを立てた。

 みさをに暴行を加えたのは村民の大野清兵衛たちであるとの証言も得ている。指示をしたのは泉久葉であることも教えてくれた。
 永井軍曹が秘密裡(り)に動き、地元警察と検討に入っている。清兵衛や久葉を取り調べるため、村に強制捜査で入ることを……。

 四月十八日、月曜日の朝――。

「おお、琴音さんだ!」

 町役場で入手した蛇ノ目村の地図を広げていた幻十郎は、能登の声で顔を上げた。
 二人は【桜高女】の正門がよく見える、乾物屋の二階にいる。陸軍で一時的に借りているのだ。

 能登は、先刻から英国製の双眼鏡で監視していた。幻十郎は慌てて駆け寄り、能登を押しのけるようにして目を凝(こ)らす。

「自転車か! 涼風家は何でも持ってるなぁ。いや、それにつけても麗しい……」

 呑気に鼻の下を伸ばしている能登に苛ついた幻十郎は、「貸せ!」と双眼鏡をひったくる。
 英国製は性能がいい。遠くにいる人や物も、まるですぐ近くにいるように感じられる。おかげで、琴音の姿もよく見えるが……。

 たしかに華麗であった。

 大通りからの脇道を、自転車に乗って颯爽と正門に向かってくる琴音は、圧倒的な華を放っている。凛とした佇まいで春風を受け、髪や袴をなびかせている様は、自信たっぷりなハイカラ乙女だ。

 だが、彼女の複雑な事情を知ってしまった幻十郎は、その表情に憂いを感じてしまう。

 正門を通り抜けていく琴音の背中を見送ると、安堵のため息が漏れる。

(とりあえず、村では何事も起こらなかったみたいだな……)

「琴音さんのことになると、おまえも我を忘れたようになるな。……惚れたな」
「言ってろ」

 にやにやしている能登に双眼鏡を突き返し、幻十郎はふたたび蛇ノ目村の地図に目を落とす。地理を隅から隅まで頭に叩き込んでおかねばならぬ。

「おっ、美人だ! あっちにも……。改めて見ると、【桜高女】は別嬪揃いだなぁ。しかも皆、家柄もいいときてる。あやかりたいものだ」

 能登は双眼鏡を使って嫁探しに夢中になっている。この男だけは食えない。

 しばらくして、また能登が声を張りあげた。

「えっ……出てきたぞ、八神!」
「誰が?」

 どうせまた美しい女学生に目を奪われているのだろうと、幻十郎も生返事を返す。

「琴音さんだよ! 血相を変えて飛び出していくぞ!」
「――っ!?」

 窓に駆け寄った幻十郎は、自転車で大通りに引き返していく琴音を肉眼で見た。

(どうしてだ? まだ授業は始まってもないのに?)

 気を利かせて能登が双眼鏡を差し出すが、そんなものを覗いている場合じゃない。

「行ってくる!」
「えっ、おい、八神!」

 幻十郎は乾物屋を飛び出し、琴音を走って追いかけた。

 琴音は大通りを自転車で泳ぐように進むが、こちらは半妖といっても走力は常人を大きく超えるものではない。見失わないように追いかけるだけで精一杯だ。しかも人混みを縫うようにして走るのは骨が折れる。

(蛇ノ目村とは反対方向に行ってるが、家に帰るわけではないのか?)

 次第に人通りも少なくなってきた。ようやく琴音が自転車を降りたのは、町の東端にある【徒名池(あだないけ)】のほとりであった。
 かなり大きな池で、周囲をぐるっと取り囲むように桜並木になっている。もう葉桜になってしまっているが。近くに有名な寺社が集中していることから、観光客に人気の名所である。住民にとっても憩いの場であるが、平日の朝であるから人はまばらだ。

 自転車を桜の木に寄り掛からせ、古びたベンチに腰かけている琴音を見つけた。
 ぼんやりと池を見つめている琴音の横顔は儚げで、こちらの胸が締め付けられる。

 幻十郎は肩で息をしながら近づいたが、琴音はなかなか気付かない。
 何も考えずにここまで追いかけてきたものの、どう声をかけたものか、及び腰になってしまう自分がいる。
 物憂げな表情の彼女を笑顔にできる自信もない。

 逡巡しながら立ち尽くしていると、ようやく琴音が気付いた。

「八神さま……」

 琴音はきょとんとして、幻十郎を見つめたまま身じろぎもしない。