凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「琴音さん!」

 よし江と弥生が追いかけてきた。

「私たちは、くだらない噂なんか信じちゃいないわ」
「本当よ。……ね? 私たちは味方だから、教室に戻りましょう?」

 気持ちはありがたかったが、またあの教室に戻る気にはなれない。この場にいるのも嫌だ。

「ごめんなさい。やっぱりまだ体調が万全じゃないみたい。今日のところは帰るから、どうか先生に宜しく伝えておいてね」

 琴音はよし江と弥生に微笑みかけ、千賀子の横をすり抜けようとしたのだが。

「お待ちなさい!」

 おもむろに左腕をつかまれ、琴音は「はなして!」と振りほどこうとしたが、千賀子の力は存外に強い。

 そして、千賀子は琴音の着物の袖をまくると、
「これは驚きね!」
 と、わざとらしい声をあげた。

 琴音はぎょっとして、自分の左腕を凝視した。
 見たこともない禍々しい紋様が、左腕に浮かび上がっていたのだ。しかも赤い色をしている。琴音の着物やリボンより、ずっと赤い。まるで血のようだ。

「お父さまから聞いたことがあるわ。神さまの生贄に選ばれた乙女の体には、赤い紋様が浮かび上がるって。琴音さんがお住まいになってる蛇ノ目村は、蛇神さまが守っているのでしょう? 貴女、蛇神さまに選ばれたのではなくって?」

 千賀子の声が廊下に響きわたり、よし江と弥生だけでなく、通りかかった生徒たちは皆、顔を強張らせた。

「琴音さんは、私との縁談話が進んでいた丹羽先生を誘惑して、淫(みだ)らな関係になったのでしょう? 神さまが天罰を与えたに違いないわ」

 千賀子は勝ち誇ったように言い放った。

(噂を流したのは、千賀子さんだわ)

 琴音は確信した。泉久葉、もしくは養父の松之助が、海藤家に情報を流したとしか考えられぬ。
 だが、なぜこんな紋様が左腕に浮かぶのか……?

「琴音さん……」

 憐れむような、蔑むような、よし江と弥生の眼差しが心を抉(えぐ)ってくる。
 琴音は千賀子を突き飛ばし、むせ返るほど黒い霧で覆い尽くされた廊下を走った。

(ここにはもう、わたしの居場所はない……)

 校舎を出ると、止めていた自転車に乗り、そのまま正門から外に出るのだった。