失態だった。数時間だけ眠るつもりが、気づけば翌日の夜になっていた。
四月十五日、金曜日――。
桜町にある陸軍の屯所で目を覚ました幻十郎は、自分を殴りつけたい気分だった。
右肩の傷口はまだ痛むが、妖力はすっかり回復している。それでも深夜に松之助が屯所に乗り込んできて喚きちらし、琴音を連れ帰ったと聞けば、
「どうして起こしてくれなかったんだ」
と永井軍曹たちに恨み言をぶつけてしまったが、それも詮無きことだ。自分が起きていたとて、何か出来たとも思えぬ。
そう思い直した幻十郎は、時を稼いで能登少尉を逃がしたという永井軍曹たちを労っておいた。
「これ、渡しそびれていたのですが……」
闇にまぎれて屯所を出ようとした幻十郎に、永井軍曹は頼んでおいた警察の調書を持たせてくれた。
定宿にしている館山堂に戻ったが、やはり能登はいなかった。女将に聞けば、昼間に出掛けたきりらしい。
(俺の目がないことをいいことに、遊び歩いていやがるな)
ため息を吐き、食事のあと調書に目を通す。
【カフェー夢見草】で聞き込んだとおりの内容だった。
二年前の四月七日、昼下がり――。蛇ノ目村の猪川松五郎という小作人の長女で、十六歳のツネが忽然と姿を消した。家族と一緒に田圃で作業していたにも関わらず、だ。
このツネは村内一の器量好しと添え書きされており、四月下旬には桜町の商家の次男・高橋福次郎に嫁ぐ予定であったという。ツネが神隠しに遭ってから二日後、福次郎はようやく事態を把握した。
福次郎が桜町の警察署に通報し、警官が蛇ノ目村一帯を捜索。しかし、村人たちは非協力的であったことが調書から伺える。泉久葉と涼風松之助の反抗的な言動がわざわざ付記されているあたり、相当揉めたようだ。
警官は「ツネは生贄にされたのではないか」と疑ったようだが、確証は得られず。結局、ツネは見つからないまま一週間で捜索は打ち切られている。
娘が神隠しに遭ったというのに、家族でさえさほど騒いだ様子はないのが異様だ。
(まるで、行方知れずになることを知っていたかのようじゃないか)
幻十郎の眉間に、自然と深いしわが刻まれる。
調書は他にも四冊あった。村では二、三年ごとに神隠しは起きている。一番古いのは十二年前の記録で、これまた貧しい農家の娘、戸沢はるが忽然と消えた。
このときも警官が村に入っているが、捜索は僅か二日で打ち切られている。時を遡るほどに警察の対応はおざなりだ。裏を返せば、以前は村の閉鎖性が外部の干渉を防いでいたが、近年はそうでもなくなっている……ということが言える。
(時代の流れが、忌まわしき因習を許さなくなってきたのだ)
そうなると村は二択を迫られる。因習を廃するか、あるいは村の閉鎖性を高めるか。
後者を選択するなら、帝の憂慮は深まるばかりだ。その前に、自分たちの手で何とかしたい。
「あっ……」
当時の警官が、村人から聞き取りをした際の記述が目に留まる。
――戸沢はるは、蛇淵沼にいる。そのように烏天狗から聞いた。五歳になる涼風松之助の長女の証言なり。
これはまだ幼かったころの琴音の証言だ。幼児の虚言として一顧だにされないのが普通だが……。わざわざ書き留めたからには、この警官は、琴音の言葉に何かしら感じるものがあったのか。
――あやかしが存在することを、わたしは知っておりました。
琴音に言われたことが思い返される。
「おいおい、もう戻ってたのか」
ふいに能登が入ってきて、調書を読みふけっている幻十郎を見るや、呆れ声を出した。
「もっと寝てればよかったのに」
「いや、もう充分、休んだ。それより、どこに行ってたんだ?」
「すこぶるつきの別嬪を探す旅に……というのは冗談で」
幻十郎が殺気を迸らせたのを感じたか、能登は言い直した。
「俺としちゃ不本意だが、探してたのは老婆だ」
「老婆……?」
「ほら、【カフェー夢見草】で聞いたのを覚えていないか? 蛇ノ目村に迷い込んだ物乞いの婆さんが袋叩きにされたって……」
「覚えているが、その婆さんを探してどうする?」
「村人が泉久葉や涼風松之助の命令に従ったとするなら、そっちの線から取り調べができるかもしれんと……」
「それは難しいのじゃないか」
幻十郎とて、一度考えはしたが、あまり現実的ではないと諦めていた。
ふたたび調書に目を落とした幻十郎を見て、能登が鼻を鳴らす。
「まあ、最後まで聞け。おまえが寝てる間に、俺だって遊んでいたわけじゃない。情報をたどって、婆さんの居所を見つけたんだよ」
「えっ、見つけたのか!?」
幻十郎は顔を上げ、目を見張った。
四月十五日、金曜日――。
桜町にある陸軍の屯所で目を覚ました幻十郎は、自分を殴りつけたい気分だった。
右肩の傷口はまだ痛むが、妖力はすっかり回復している。それでも深夜に松之助が屯所に乗り込んできて喚きちらし、琴音を連れ帰ったと聞けば、
「どうして起こしてくれなかったんだ」
と永井軍曹たちに恨み言をぶつけてしまったが、それも詮無きことだ。自分が起きていたとて、何か出来たとも思えぬ。
そう思い直した幻十郎は、時を稼いで能登少尉を逃がしたという永井軍曹たちを労っておいた。
「これ、渡しそびれていたのですが……」
闇にまぎれて屯所を出ようとした幻十郎に、永井軍曹は頼んでおいた警察の調書を持たせてくれた。
定宿にしている館山堂に戻ったが、やはり能登はいなかった。女将に聞けば、昼間に出掛けたきりらしい。
(俺の目がないことをいいことに、遊び歩いていやがるな)
ため息を吐き、食事のあと調書に目を通す。
【カフェー夢見草】で聞き込んだとおりの内容だった。
二年前の四月七日、昼下がり――。蛇ノ目村の猪川松五郎という小作人の長女で、十六歳のツネが忽然と姿を消した。家族と一緒に田圃で作業していたにも関わらず、だ。
このツネは村内一の器量好しと添え書きされており、四月下旬には桜町の商家の次男・高橋福次郎に嫁ぐ予定であったという。ツネが神隠しに遭ってから二日後、福次郎はようやく事態を把握した。
福次郎が桜町の警察署に通報し、警官が蛇ノ目村一帯を捜索。しかし、村人たちは非協力的であったことが調書から伺える。泉久葉と涼風松之助の反抗的な言動がわざわざ付記されているあたり、相当揉めたようだ。
警官は「ツネは生贄にされたのではないか」と疑ったようだが、確証は得られず。結局、ツネは見つからないまま一週間で捜索は打ち切られている。
娘が神隠しに遭ったというのに、家族でさえさほど騒いだ様子はないのが異様だ。
(まるで、行方知れずになることを知っていたかのようじゃないか)
幻十郎の眉間に、自然と深いしわが刻まれる。
調書は他にも四冊あった。村では二、三年ごとに神隠しは起きている。一番古いのは十二年前の記録で、これまた貧しい農家の娘、戸沢はるが忽然と消えた。
このときも警官が村に入っているが、捜索は僅か二日で打ち切られている。時を遡るほどに警察の対応はおざなりだ。裏を返せば、以前は村の閉鎖性が外部の干渉を防いでいたが、近年はそうでもなくなっている……ということが言える。
(時代の流れが、忌まわしき因習を許さなくなってきたのだ)
そうなると村は二択を迫られる。因習を廃するか、あるいは村の閉鎖性を高めるか。
後者を選択するなら、帝の憂慮は深まるばかりだ。その前に、自分たちの手で何とかしたい。
「あっ……」
当時の警官が、村人から聞き取りをした際の記述が目に留まる。
――戸沢はるは、蛇淵沼にいる。そのように烏天狗から聞いた。五歳になる涼風松之助の長女の証言なり。
これはまだ幼かったころの琴音の証言だ。幼児の虚言として一顧だにされないのが普通だが……。わざわざ書き留めたからには、この警官は、琴音の言葉に何かしら感じるものがあったのか。
――あやかしが存在することを、わたしは知っておりました。
琴音に言われたことが思い返される。
「おいおい、もう戻ってたのか」
ふいに能登が入ってきて、調書を読みふけっている幻十郎を見るや、呆れ声を出した。
「もっと寝てればよかったのに」
「いや、もう充分、休んだ。それより、どこに行ってたんだ?」
「すこぶるつきの別嬪を探す旅に……というのは冗談で」
幻十郎が殺気を迸らせたのを感じたか、能登は言い直した。
「俺としちゃ不本意だが、探してたのは老婆だ」
「老婆……?」
「ほら、【カフェー夢見草】で聞いたのを覚えていないか? 蛇ノ目村に迷い込んだ物乞いの婆さんが袋叩きにされたって……」
「覚えているが、その婆さんを探してどうする?」
「村人が泉久葉や涼風松之助の命令に従ったとするなら、そっちの線から取り調べができるかもしれんと……」
「それは難しいのじゃないか」
幻十郎とて、一度考えはしたが、あまり現実的ではないと諦めていた。
ふたたび調書に目を落とした幻十郎を見て、能登が鼻を鳴らす。
「まあ、最後まで聞け。おまえが寝てる間に、俺だって遊んでいたわけじゃない。情報をたどって、婆さんの居所を見つけたんだよ」
「えっ、見つけたのか!?」
幻十郎は顔を上げ、目を見張った。

