「入れ」
冷たい声色で返され、襖を開けて「失礼します」と、中に身体を滑り込ませる。
やはり養母の富美も一緒だったが、意外なことに、両親ともに柔和な表情をしていた。
「身体の調子はもういいのか?」
存外に優しい養父の問いかけに、かえって琴音は身を硬くする。
「ええ、もうすっかり。ご心配をおかけしました」
「そうか。私も富美も心配しておったのだ。なあ?」
「ええ。それはもう、気が気じゃなかったのよ、琴音」
珍しく自分に対して猫なで声を出した養母に、琴音は言い知れぬ不安に襲われた。
「申し訳ありません。明日から学校にも行こうと思います」
「それなんだがな……」
松之助は富美と顔を見合わせたあと、切り出した。
「おまえが学校に行くのは、明日が最後だ。そのつもりで行きなさい」
「えっ……?」
「おまえは、蛇神さまへの捧げものに選ばれた」
急速に手足が冷えていき、胸の動悸が早まる。琴音は、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように口を半開きにし、肩を上下させた。
(やはり蛇神さまからは逃れられない……)
うまく言葉の出てこない琴音を前に、両親はどこまでも朗らかだ。
「どうしたんだ、喜べ」
「そうよ。これは名誉なことなのよ」
両親が、自分に笑いかけてくれるのは何年ぶりであろうか。ずっと望んでいたことでもある。だから琴音も、頬を引きつらせながらも微笑んだ。
「……大変、名誉なことだと……わたしも思います。喜ばしいかぎりです……」
「そうか! 行ってくれるか!」
松之助は膝を打って喜んだ。富美も満足げな笑みを浮かべて、
「ねえ旦那さま。あのことを琴音に教えてやってくださいな。もう最後なのですから、今日のうちに……」
と勧める様子は、無邪気にはしゃぐ少女だ。
「そうだな」
うなずいた松之助は、まるで天気の話でもするような調子で言った。
「琴音。おまえは〝凶星の子〟の血を引いている」
「〝凶星の子〟……?」
「いまより七十五年前にもハレー彗星がやってきた。その不吉な箒星から、ひとすじの光が、岡山の外れにある寒村に降ってきた。その光は、身籠っていたヒサという女の腹に入ったのだ。そして生まれた娘は、周囲に厄災をもたらす〝凶星の子〟として疎まれた。仕方なかろう。不吉な箒星が授けた子だからな」
松之助は、いかにもその場にいたかの如く、淀みなく喋る。
「その娘もやがて村を出て、一人の子をなした。また女子だった。やがて時は流れ、〝凶星の子〟に孫娘が生まれた。雪乃という名で、雪のように白い肌の女だった。その美貌を頼みにして生きるほかなく、旧都の芸妓になった。……そう、雪乃はおまえの母親だ」
海藤市松が、妾として世話していた旧都の芸妓に産ませたのが自分――。それは知っていたが、名前までは教えられていなかった。
「雪乃は、自分が〝凶星の子〟の血を引いていることを、おまえを産むまではひた隠しにしていた。兄さんに打ち明けたあと、おまえを置いて旧都から姿を消した。それで弱り果てた兄さんに、おまえを押しつけられたのだ」
そこへ、富美が口を挟む。
「本当におまえは〝厄介な子〟だったよ。幼い頃は『あやかしが見える』とか気味の悪いことを言うしねえ。海藤家の目もあるから、女学校まで通わせてやったのに、いつも辛気臭い顔して、鬱陶しいったら。まあ……捧げものになってくれるなら、ここまで育てた甲斐があるってもんさ」
「ああ。これで涼風家は安泰だな。旧都の名家に嫁に出すことを考えていたが、蛇神さまの生贄になってくれるなら、そちらのほうが家の行く末のためにはいいだろう。由松も、次期当主として面目が立つというものだ」
もはや拒否をするという考えは、琴音には微塵も浮かばなかった。ただ、唇を引き結んで二人の話を聞くだけだった。
(わたしは凶星のもとに生まれたのね)
血がつながっていないから、芸妓の子だから、今まで疎まれてきたのだと思っていた。無論、それらもあってのことだろうが、自らの不吉な出自は、すべてが腑に落ちるほどの説得力を持っていた。
――琴音。血にまとわりついた因果は厄介やで。
松之助や富美のものではない声を、琴音は聞いた。それは雪乃の声か、最初の〝凶星の子〟の声か。それとも心の声か。
もはや琴音には、何もわからぬ。
冷たい声色で返され、襖を開けて「失礼します」と、中に身体を滑り込ませる。
やはり養母の富美も一緒だったが、意外なことに、両親ともに柔和な表情をしていた。
「身体の調子はもういいのか?」
存外に優しい養父の問いかけに、かえって琴音は身を硬くする。
「ええ、もうすっかり。ご心配をおかけしました」
「そうか。私も富美も心配しておったのだ。なあ?」
「ええ。それはもう、気が気じゃなかったのよ、琴音」
珍しく自分に対して猫なで声を出した養母に、琴音は言い知れぬ不安に襲われた。
「申し訳ありません。明日から学校にも行こうと思います」
「それなんだがな……」
松之助は富美と顔を見合わせたあと、切り出した。
「おまえが学校に行くのは、明日が最後だ。そのつもりで行きなさい」
「えっ……?」
「おまえは、蛇神さまへの捧げものに選ばれた」
急速に手足が冷えていき、胸の動悸が早まる。琴音は、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように口を半開きにし、肩を上下させた。
(やはり蛇神さまからは逃れられない……)
うまく言葉の出てこない琴音を前に、両親はどこまでも朗らかだ。
「どうしたんだ、喜べ」
「そうよ。これは名誉なことなのよ」
両親が、自分に笑いかけてくれるのは何年ぶりであろうか。ずっと望んでいたことでもある。だから琴音も、頬を引きつらせながらも微笑んだ。
「……大変、名誉なことだと……わたしも思います。喜ばしいかぎりです……」
「そうか! 行ってくれるか!」
松之助は膝を打って喜んだ。富美も満足げな笑みを浮かべて、
「ねえ旦那さま。あのことを琴音に教えてやってくださいな。もう最後なのですから、今日のうちに……」
と勧める様子は、無邪気にはしゃぐ少女だ。
「そうだな」
うなずいた松之助は、まるで天気の話でもするような調子で言った。
「琴音。おまえは〝凶星の子〟の血を引いている」
「〝凶星の子〟……?」
「いまより七十五年前にもハレー彗星がやってきた。その不吉な箒星から、ひとすじの光が、岡山の外れにある寒村に降ってきた。その光は、身籠っていたヒサという女の腹に入ったのだ。そして生まれた娘は、周囲に厄災をもたらす〝凶星の子〟として疎まれた。仕方なかろう。不吉な箒星が授けた子だからな」
松之助は、いかにもその場にいたかの如く、淀みなく喋る。
「その娘もやがて村を出て、一人の子をなした。また女子だった。やがて時は流れ、〝凶星の子〟に孫娘が生まれた。雪乃という名で、雪のように白い肌の女だった。その美貌を頼みにして生きるほかなく、旧都の芸妓になった。……そう、雪乃はおまえの母親だ」
海藤市松が、妾として世話していた旧都の芸妓に産ませたのが自分――。それは知っていたが、名前までは教えられていなかった。
「雪乃は、自分が〝凶星の子〟の血を引いていることを、おまえを産むまではひた隠しにしていた。兄さんに打ち明けたあと、おまえを置いて旧都から姿を消した。それで弱り果てた兄さんに、おまえを押しつけられたのだ」
そこへ、富美が口を挟む。
「本当におまえは〝厄介な子〟だったよ。幼い頃は『あやかしが見える』とか気味の悪いことを言うしねえ。海藤家の目もあるから、女学校まで通わせてやったのに、いつも辛気臭い顔して、鬱陶しいったら。まあ……捧げものになってくれるなら、ここまで育てた甲斐があるってもんさ」
「ああ。これで涼風家は安泰だな。旧都の名家に嫁に出すことを考えていたが、蛇神さまの生贄になってくれるなら、そちらのほうが家の行く末のためにはいいだろう。由松も、次期当主として面目が立つというものだ」
もはや拒否をするという考えは、琴音には微塵も浮かばなかった。ただ、唇を引き結んで二人の話を聞くだけだった。
(わたしは凶星のもとに生まれたのね)
血がつながっていないから、芸妓の子だから、今まで疎まれてきたのだと思っていた。無論、それらもあってのことだろうが、自らの不吉な出自は、すべてが腑に落ちるほどの説得力を持っていた。
――琴音。血にまとわりついた因果は厄介やで。
松之助や富美のものではない声を、琴音は聞いた。それは雪乃の声か、最初の〝凶星の子〟の声か。それとも心の声か。
もはや琴音には、何もわからぬ。

