凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 目覚めたときには、すでに夕方だった。
 四月十五日、金曜日――。

 涼風家の自室で目覚めた琴音だが、起き上がる気力はなく、布団の中から出られなかった。

「おねえさま!」

 使用人から琴音が目を覚ましたと聞かされ、由松が部屋に飛び込んできた。

「大丈夫ですか!?」
「ええ、大丈夫よ」
「本当に?」

 透き通るほどに白い顔を真っ青にした由松に、琴音は微笑んでみせる。

「疲れて寝ちゃっただけですもの。何ということはないのよ」
「よかったぁ。帰ってこなくて心配していたら、町からお巡りさんがやってきて、もう、生きた心地しなかったんですから! 奥座敷で話を聞いたお父さまが、血相を変えて飛び出していって……。深夜に一緒に帰ってきたときはほっとしましたけど……。でも、おねえさま、全然目を覚まさないんだもの」

 気丈に話していた由松も、ついには目を潤ませて琴音に抱きついてきた。

「心配かけてごめんなさいね、由松」

 琴音も泣きそうになりながら由松を抱きしめ、頭を撫でる。

 血がつながっていようが、いまいが関係ない。自分の命に代えても惜しくないほど大事な存在だ。
 どんなに憂鬱でも、この村に帰ってくる、ただ一つの理由――。
 由松が、ここにいるからだ。

「栄八さんは酔っ払いに喧嘩売られて怪我したのでしょう?」
「えっ……?」

 落ち着きを取り戻した由松に訊かれて、琴音は反応できなかった。

「お父さまから、そう聞きましたけど……」

(そういう説明を由松にしたのね)

「そ、そうなの。栄八さんも災難だったわ。旧都の病院に入院しているのよ」

 もう死んでいることなど、どう説明したらいいかわからない。

「栄八さん、ほとんど喋らないから怖いけど、入院するくらい殴るなんて酷いや」

 頬を上気させて憤怒する由松に、琴音の胸はやりきれない痛みを覚える。

(栄八さんは、すでに……)

 由松がお見舞いに行くと言いだしたので、「遠いから、お父さまが代わりに行かれるはずよ」と、必死に宥(なだ)めすかすのだった。


 四月十七日、日曜日の昼下がり――。

 琴音はようやく自室から起きだすことが出来たが、食欲はほとんどなく、頭もすっきりしない。

 由松は村の外れにある剣道場まで稽古に行っており、琴音はひとり、庭に出てぼんやりと木々を見つめていた。

 養父の松之助は、庭の手入れに並々ならぬこだわりを持っている。折にふれて、わざわざ職人を旧都から呼び寄せて管理させているほどだ。そのため小綺麗な庭ではあるが、琴音にはその良さはあまりわからない。
 ただ、息の詰まる屋敷内にいるよりは幾分ましである。

 庭の景色に飽きた琴音は、天を仰いだ。
 青味が薄れて橙(だいだい)色になろうとしている空に、不吉な箒星の軌跡が浮かぶ。ハレー彗星の最接近にはまだ早いはずだが。

(あっ……八神さま!)

 光の軌跡に、見目麗しい八神幻十郎が重なる。それは、またもハレー彗星が見せてきた幻影ではあったが、今度はよりいっそう不吉であった。
 幻十郎の身体に、蛇神がその長いとぐろで巻きついていたのだ。苦悶の表情を見せる幻十郎に、琴音は咄嗟(とっさ)に手をのばした。

「お嬢さま!」

 ふいに呼びかけられ、手を下ろして振り返ってみれば、使用人が怪訝な顔をしている。
 琴音は平静を装って尋ねた。

「どうしたの?」
「あっ、旦那さまがお呼びです。お話があるそうで、すぐに奥座敷まで来るようにと……」
「わかったわ。ありがとう」

 ある意味、恐ろしい幻影を見せられるよりも憂鬱なことだ。

(きっと、お母さまも一緒ね)

 養父に呼ばれるなど滅多にあることではない。あるとしても叱責を受けるときだ。決していい話ではないだろう。
 この屋敷にいるときの自分は、【桜高女】で〝深紅の姫君〟として堂々と振る舞う自分とは別人だ。両親の顔色をうかがい、叱責されないよう従順な娘を演じるだけ……。

「琴音です」

 重い足取りで奥座敷までやってくると、襖(ふすま)越しに声をかけた。