凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「出してくれ!」

 松之助の号令で人力車が動き出す。その周りを囲むようにして、使用人と小作人が歩く。
 眠そうな与平の代わりに車を引いているのは、貧しい農家の息子の清兵衛だ。琴音の一つ年上で、尋常小学校の上級生だった。よくからかわれた思い出があるが、いまや働き者の青年である。

「清兵衛さん、遅くにごめんなさいね」
「いや、無事でよかった」

 二人が言葉を交わすと、松之助が「余計な話をするな」と言わんばかりに咳払いを入れた。

 桜町にはあちこちに街灯が灯っていたが、蛇ノ目村に入ると、そんなものは一つとしてない。真っ暗な畦道(あぜみち)を進むことになる。月明かりとて三日月では助けにならぬ。
 海の底のように深く、息苦しい闇が満ちている。
 使用人が手にしているカンテラ(※携帯用の石油ランプ)、小作人が手にしている提灯でも抗えぬ闇だ。

 だが、琴音にとっては、それが良かったかもしれない。久葉のいる蛇好神社も、蛇神さまの眠る沼を隠すように広がる蛇ヶ森も、見なくて済んだのだから。

 疲れきった琴音は、今度こそ深い眠りに落ちた。
 天空には、まだ凶星は現れていない――。