「あのとき、丹羽先生からも黒い霧が見えました」
「さっき治療を受ける前に、能登から少しだけ聞いた。あの男、君に下劣な真似をしたらしいな」
幻十郎は忌々しげに片頬をゆがめる。
「ええ。ですから、あのようなことになって、因果応報だと思ってしまう自分がおります。わたしは罰当たりな女です」
こんなことを口走るつもりじゃなかった。
だが、もう遅い。
(いまのわたしはきっと、夜叉のような顔をしているに違いないわ)
「私も因果応報であると思うがな。思うのは自由だ。君が罰当たりなら、私も罰当たりだろう」
共犯だ、とでも言わんばかりに幻十郎は口角を上げた。
「いえ、それは……」
「あの男のしたことは校長の耳に入っている。怪我が治っても、学校に戻ることは叶わないはずだ」
「そうですか……」
幻十郎の前では取り繕う必要なんかないのだと思える。あやかしだと知ってさらに、心を許している自分がいる。
「それで、栄八という車夫のことだが……」
「はい」
「能登から聞いていると思うが、残念ながら彼はすでに死んでいた――というのが私の見立てだ。強力な呪力を操る者が、栄八の身体を式神に造り替えた、というところだろう。犬の式神と合体していたから、人や動物を使って実験を繰り返している呪術使いが背後にいるはずだ」
「なんてことを……」
琴音は吐き気を催して口をおさえる。
「あの式神は見た目よりも脆かった。それは遠方から操っていたからだ。おそらく一里以上は離れていたと思う」
「一里以上ですか……」
【桜高女】から蛇ノ目村まで、およそ一里と少しだ。
琴音は、式神に襲われたときの様子を詳しく幻十郎に話した。
「仕置きで顔に傷だと……? 殺意まではなかったようだが、君への執着が感じられるな。犯人に心当たりはあるか? 君に歪んだ愛情を抱いているような……」
「いいえ」
「では、質問を変えよう。式神の声に聞き覚えはないか? 西国訛りの声だったが……」
「雑音がまじっていて、よく聞こえなかったのですが……」
琴音の歯切れは悪い。たしかに聞き覚えのある声ではあったが、あの男の名を出すのは躊躇われた。
養父の松之助とも仲がいい、あの男の名を――。
とはいえ、幻十郎には出来るかぎり協力したいし、隠し立てもしたくない。
「おそらくは……泉家の次期当主・泉久葉ではないかと……」
琴音がその名を出しても、幻十郎の顔色は変わらず、「そうか……」と短く答えただけだった。
(もしかしたら、ある程度は当たりをつけていたのかしら)
よそ者の松之助がすんなりと蛇ノ目村に馴染めたのも、古くから蛇好神社の神主を務めている泉家の後ろ盾があったからだ。
だが、栄八を式神にしたのは、どういう目的があってのことなのか。毎日送り迎えする栄八の目を通して、自分のことを見張っていたのか……?
今更ながらぞっとして、琴音の全身に戦慄が走る。
「私たちが動いているのは、他でもない。蛇ノ目村が蛇神に生贄を捧げている……という噂の真偽を確かめるためだ。聞いたことはあるだろう?」
「ええ、ございます。ですが、それは大昔の話ですわ。蛇神さまは生贄を求めたりはしておりません」
「だが、村では数年に一度、神隠しが続いているはずだ。それも年若い娘ばかり」
「それは……」
「土地の神を悪く言うつもりはないんだ。ただ、あの式神……久葉の言動から判断するに、いまでも生贄を捧げている可能性が高い。事実ならば、それは糾さねばならん」
「…………」
何と言っていいかわからない琴音に、幻十郎が言い放つ。
「もう気づいているだろうが、次の生贄に選ばれたのは、琴音さん。君ではないのか」
はっきりと言われることを恐れていた一言だった。どこかで覚悟していたことでもあったのだが。
「だが安心してほしい。そんなことは絶対にさせない。私たちが守ってみせる。久葉には栄八殺しの容疑もあるしな。村に警察も入ることになるだろう」
「警察も……ですか……」
「ただ、久葉が絡んでいる証拠を掴まねばならん。それには君の協力が必要になる。協力してもらえるだろうか?」
「……わかりました。わたしに出来ることでしたら、何でも」
「ありがとう」
幻十郎の柔らかい微笑みに、琴音の胸に温かな灯りがともる。
「村のことをもっと教えてほしいが、すっかり遅くなった。君も疲れただろう? 今日はこの屯所で休みたまえ」
「えっ、でも……」
真っ先に頭に浮かんだのは、由松だ。養父母ではない。由松だけは心配してくれているだろう。
「大丈夫だ。地元の警官を今すぐ蛇ノ目村に行かせる。『悪しきあやかしに琴音さんが襲われ、守ろうとした栄八は重症を負って、旧都の病院に運ばれた。琴音さんは警察署で保護している』と、君のご両親に報告させるつもりだ。嘘の情報を流すのは、久葉の出方を見たい、というのもある」
「そうですか……。わかりました」
琴音は、こくりとうなずいた。
「さっき治療を受ける前に、能登から少しだけ聞いた。あの男、君に下劣な真似をしたらしいな」
幻十郎は忌々しげに片頬をゆがめる。
「ええ。ですから、あのようなことになって、因果応報だと思ってしまう自分がおります。わたしは罰当たりな女です」
こんなことを口走るつもりじゃなかった。
だが、もう遅い。
(いまのわたしはきっと、夜叉のような顔をしているに違いないわ)
「私も因果応報であると思うがな。思うのは自由だ。君が罰当たりなら、私も罰当たりだろう」
共犯だ、とでも言わんばかりに幻十郎は口角を上げた。
「いえ、それは……」
「あの男のしたことは校長の耳に入っている。怪我が治っても、学校に戻ることは叶わないはずだ」
「そうですか……」
幻十郎の前では取り繕う必要なんかないのだと思える。あやかしだと知ってさらに、心を許している自分がいる。
「それで、栄八という車夫のことだが……」
「はい」
「能登から聞いていると思うが、残念ながら彼はすでに死んでいた――というのが私の見立てだ。強力な呪力を操る者が、栄八の身体を式神に造り替えた、というところだろう。犬の式神と合体していたから、人や動物を使って実験を繰り返している呪術使いが背後にいるはずだ」
「なんてことを……」
琴音は吐き気を催して口をおさえる。
「あの式神は見た目よりも脆かった。それは遠方から操っていたからだ。おそらく一里以上は離れていたと思う」
「一里以上ですか……」
【桜高女】から蛇ノ目村まで、およそ一里と少しだ。
琴音は、式神に襲われたときの様子を詳しく幻十郎に話した。
「仕置きで顔に傷だと……? 殺意まではなかったようだが、君への執着が感じられるな。犯人に心当たりはあるか? 君に歪んだ愛情を抱いているような……」
「いいえ」
「では、質問を変えよう。式神の声に聞き覚えはないか? 西国訛りの声だったが……」
「雑音がまじっていて、よく聞こえなかったのですが……」
琴音の歯切れは悪い。たしかに聞き覚えのある声ではあったが、あの男の名を出すのは躊躇われた。
養父の松之助とも仲がいい、あの男の名を――。
とはいえ、幻十郎には出来るかぎり協力したいし、隠し立てもしたくない。
「おそらくは……泉家の次期当主・泉久葉ではないかと……」
琴音がその名を出しても、幻十郎の顔色は変わらず、「そうか……」と短く答えただけだった。
(もしかしたら、ある程度は当たりをつけていたのかしら)
よそ者の松之助がすんなりと蛇ノ目村に馴染めたのも、古くから蛇好神社の神主を務めている泉家の後ろ盾があったからだ。
だが、栄八を式神にしたのは、どういう目的があってのことなのか。毎日送り迎えする栄八の目を通して、自分のことを見張っていたのか……?
今更ながらぞっとして、琴音の全身に戦慄が走る。
「私たちが動いているのは、他でもない。蛇ノ目村が蛇神に生贄を捧げている……という噂の真偽を確かめるためだ。聞いたことはあるだろう?」
「ええ、ございます。ですが、それは大昔の話ですわ。蛇神さまは生贄を求めたりはしておりません」
「だが、村では数年に一度、神隠しが続いているはずだ。それも年若い娘ばかり」
「それは……」
「土地の神を悪く言うつもりはないんだ。ただ、あの式神……久葉の言動から判断するに、いまでも生贄を捧げている可能性が高い。事実ならば、それは糾さねばならん」
「…………」
何と言っていいかわからない琴音に、幻十郎が言い放つ。
「もう気づいているだろうが、次の生贄に選ばれたのは、琴音さん。君ではないのか」
はっきりと言われることを恐れていた一言だった。どこかで覚悟していたことでもあったのだが。
「だが安心してほしい。そんなことは絶対にさせない。私たちが守ってみせる。久葉には栄八殺しの容疑もあるしな。村に警察も入ることになるだろう」
「警察も……ですか……」
「ただ、久葉が絡んでいる証拠を掴まねばならん。それには君の協力が必要になる。協力してもらえるだろうか?」
「……わかりました。わたしに出来ることでしたら、何でも」
「ありがとう」
幻十郎の柔らかい微笑みに、琴音の胸に温かな灯りがともる。
「村のことをもっと教えてほしいが、すっかり遅くなった。君も疲れただろう? 今日はこの屯所で休みたまえ」
「えっ、でも……」
真っ先に頭に浮かんだのは、由松だ。養父母ではない。由松だけは心配してくれているだろう。
「大丈夫だ。地元の警官を今すぐ蛇ノ目村に行かせる。『悪しきあやかしに琴音さんが襲われ、守ろうとした栄八は重症を負って、旧都の病院に運ばれた。琴音さんは警察署で保護している』と、君のご両親に報告させるつもりだ。嘘の情報を流すのは、久葉の出方を見たい、というのもある」
「そうですか……。わかりました」
琴音は、こくりとうなずいた。

