少しの間、気まずい沈黙が続いたが、口火を切ったのは幻十郎のほうだ。
「能登の奴、君に失礼はなかっただろうか?」
「いえ、とんでもございません! 優しくしてくださいました」
琴音はかぶりを振って、微笑んだ。
「それならいいが……」
幻十郎はベッドの背もたれに体を預けて、ため息を吐く。
能登からは、二人は士官学校の同期であったと教えてもらった。幻十郎に意外とおっちょこちょいな面があることも聞かされたが、これは黙っておくことにした。
幻十郎に丸椅子を勧められ、ベッドの傍らに腰かけた琴音は、まずお礼を口にする。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました」
「なに、これが私の仕事だ。戦闘要員ではないが、必要とあらば命を懸ける」
事もなげに言うと、幻十郎は琴音の足に視線を落とした。
「それより、もう歩いていいのか?」
琴音の足が動かなかったのを、怪我のせいだと思ったようだ。
「あっ、いえ、怪我はしておりません。あのとき動けなかったのは……怖かったからです」
足が恐怖ですくんだばかりか、腰が抜けたようになったのだ。
琴音がうつむいたのを見るや、幻十郎は慌てて言った。
「いや、怖いのは当然だ。突然あんな目に遭ってしまっては……。それより、君に謝らなければならない」
「えっ?」
「任務のためとはいえ、私と能登は身分を偽って、君たちに近づいた。さらに、君の友人のよし江さんに〝化けて〟君を尾行した。申し訳なかった」
幻十郎が頭を下げると、琴音は目をぱちくりさせた。
「いえ……あの……どうして尾行を……?」
「それは……君を催眠術で眠らせ、君に〝化けて〟蛇ノ目村に潜入するつもりだったからだ。俺はあやかしで、妖狐一族の生き残りだ。半妖だから見た目は人間と同じで、妖力も弱いが、目に焼き付けた相手の姿に〝変化〟することができる」
突拍子もない説明ではあるが、琴音にはあっさりと理解できる話だ。
(やはり、幻十郎さまはあやかしだったのね)
あの懐かしい匂いがしたのも、当然だったのだ。
「――あまり驚かないんだな」
ふいに幻十郎に言われて、琴音はぎくりとした。
「君が怖がっていたのは確かだが、それでもどこか冷静だ」
「そんなことは……」
「よし江さんに〝化けた〟のを、君は見破った。いや、あの〝変化〟は正直、完成度は低かったからな。見破られたのは、そう不思議なことじゃない。だが、どうしても理解できないのは――」
ひと呼吸置いた幻十郎は、固い面持ちになっていた。
「君に催眠術が通用しなかったことだ」
「…………」
「私は君を眠らせる必要があったが、失敗した。君は言ったね。『自分には効かない』と。君はいったい……」
「わたしは普通ではないのです」
誤魔化すつもりはなかった。ずっと秘してきたことだが、この人なら言っても構わない。むしろ聞いてほしかった。
「あやかしが存在することを、わたしは知っておりました」
琴音が告げても、幻十郎は動じなかった。
「幼いころ、わたしはあやかしを見ることができました。会話することだって出来ました。両親はそんなわたしを不気味がり、あやかしの話をすると怒りました。ですからわたしは目も耳もふさいで、あやかしとの繋がりを自ら断ったのです」
「まれに無垢な子どもが、あやかしと意志疎通する事例は報告されている。だが、大抵は成長とともに、あやかしとの結びつきは失われる」
幻十郎の言葉に、琴音はうなずいて、
「ええ。いま、わたしにもあやかしが見えませんし、声を聞くこともありません。ですが、普通の女にはなれなかったのですわ」
「どういうことだ?」
「妙な異能を持ってしまったようです」
「異能……?」
「人が強い悪意を抱いたとき、わたしの目には黒い霧になって映るのです。自分の身を守るために身についた異能かもしれません」
「そのような異能は聞いたことがないな……」
幻十郎は眉間にしわを寄せ、視線をさまよわせている。
「八神さまの目が光ったとき、意識が遠くなるような感覚もあったのですが、同時に『わたしには効かない』という自信もありました」
「ふむ。自分の身を守るために、自然と私の妖力を打ち消したのか……」
「やはりわたしは普通ではありません」
琴音が自嘲気味に言うと、幻十郎は小首をかしげた。
「君は普通ではないことをまるで悪いことのように言うが、己を守るための力を天から授かったと思えばいい」
(天から授かった力……)
今までそんなふうに思ったことは一度としてなかった。異能など、自分で望んだものじゃない。人の悪意に気づけたとて、何一ついいことはなかった。
「能登の奴、君に失礼はなかっただろうか?」
「いえ、とんでもございません! 優しくしてくださいました」
琴音はかぶりを振って、微笑んだ。
「それならいいが……」
幻十郎はベッドの背もたれに体を預けて、ため息を吐く。
能登からは、二人は士官学校の同期であったと教えてもらった。幻十郎に意外とおっちょこちょいな面があることも聞かされたが、これは黙っておくことにした。
幻十郎に丸椅子を勧められ、ベッドの傍らに腰かけた琴音は、まずお礼を口にする。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました」
「なに、これが私の仕事だ。戦闘要員ではないが、必要とあらば命を懸ける」
事もなげに言うと、幻十郎は琴音の足に視線を落とした。
「それより、もう歩いていいのか?」
琴音の足が動かなかったのを、怪我のせいだと思ったようだ。
「あっ、いえ、怪我はしておりません。あのとき動けなかったのは……怖かったからです」
足が恐怖ですくんだばかりか、腰が抜けたようになったのだ。
琴音がうつむいたのを見るや、幻十郎は慌てて言った。
「いや、怖いのは当然だ。突然あんな目に遭ってしまっては……。それより、君に謝らなければならない」
「えっ?」
「任務のためとはいえ、私と能登は身分を偽って、君たちに近づいた。さらに、君の友人のよし江さんに〝化けて〟君を尾行した。申し訳なかった」
幻十郎が頭を下げると、琴音は目をぱちくりさせた。
「いえ……あの……どうして尾行を……?」
「それは……君を催眠術で眠らせ、君に〝化けて〟蛇ノ目村に潜入するつもりだったからだ。俺はあやかしで、妖狐一族の生き残りだ。半妖だから見た目は人間と同じで、妖力も弱いが、目に焼き付けた相手の姿に〝変化〟することができる」
突拍子もない説明ではあるが、琴音にはあっさりと理解できる話だ。
(やはり、幻十郎さまはあやかしだったのね)
あの懐かしい匂いがしたのも、当然だったのだ。
「――あまり驚かないんだな」
ふいに幻十郎に言われて、琴音はぎくりとした。
「君が怖がっていたのは確かだが、それでもどこか冷静だ」
「そんなことは……」
「よし江さんに〝化けた〟のを、君は見破った。いや、あの〝変化〟は正直、完成度は低かったからな。見破られたのは、そう不思議なことじゃない。だが、どうしても理解できないのは――」
ひと呼吸置いた幻十郎は、固い面持ちになっていた。
「君に催眠術が通用しなかったことだ」
「…………」
「私は君を眠らせる必要があったが、失敗した。君は言ったね。『自分には効かない』と。君はいったい……」
「わたしは普通ではないのです」
誤魔化すつもりはなかった。ずっと秘してきたことだが、この人なら言っても構わない。むしろ聞いてほしかった。
「あやかしが存在することを、わたしは知っておりました」
琴音が告げても、幻十郎は動じなかった。
「幼いころ、わたしはあやかしを見ることができました。会話することだって出来ました。両親はそんなわたしを不気味がり、あやかしの話をすると怒りました。ですからわたしは目も耳もふさいで、あやかしとの繋がりを自ら断ったのです」
「まれに無垢な子どもが、あやかしと意志疎通する事例は報告されている。だが、大抵は成長とともに、あやかしとの結びつきは失われる」
幻十郎の言葉に、琴音はうなずいて、
「ええ。いま、わたしにもあやかしが見えませんし、声を聞くこともありません。ですが、普通の女にはなれなかったのですわ」
「どういうことだ?」
「妙な異能を持ってしまったようです」
「異能……?」
「人が強い悪意を抱いたとき、わたしの目には黒い霧になって映るのです。自分の身を守るために身についた異能かもしれません」
「そのような異能は聞いたことがないな……」
幻十郎は眉間にしわを寄せ、視線をさまよわせている。
「八神さまの目が光ったとき、意識が遠くなるような感覚もあったのですが、同時に『わたしには効かない』という自信もありました」
「ふむ。自分の身を守るために、自然と私の妖力を打ち消したのか……」
「やはりわたしは普通ではありません」
琴音が自嘲気味に言うと、幻十郎は小首をかしげた。
「君は普通ではないことをまるで悪いことのように言うが、己を守るための力を天から授かったと思えばいい」
(天から授かった力……)
今までそんなふうに思ったことは一度としてなかった。異能など、自分で望んだものじゃない。人の悪意に気づけたとて、何一ついいことはなかった。

