凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 英語教師の丹羽が一命をとりとめたと聞いたとき、琴音は安堵した。
 危うく破廉恥(はれんち)な行為をされる寸前であったから、同情はできないまでも、それでも助かったのは良かったと思う。

 怪物と化した栄八は丹羽に重症を負わせ、さらに琴音も襲った。寸手のところで陸軍の軍人によって救出されたのだが……。
 そしていま、桜町の陸軍の屯所で聞き取りを受けている。

「いや~、危ういところでしたね」

 のんびりした声をかけたのは、呉服屋の三男坊の石清水国吉……ではなく、陸軍の能登少尉だ。

 琴音は、能登からすべてを打ち明けられた。
 執事の菊地は偽りの身分であり、本当の名は八神幻十郎で、陸軍中尉であることも。

 そして……幻十郎と能登は、ともに悪しきあやかし撃滅を任とする特務第四小隊に所属しており、諜報員として活動していることも。

 次から次へと奇怪なことが起こったばかりか、衝撃的な事実を告げられ、琴音は混乱の極みにあった。

 だが、能登は軽薄だった石清水と何ら変わらない話し方をする。本当に軍人なのかと呆れるほどだが、軽口をまじえた話しぶりが、返って琴音の心を落ち着けてくれたのも事実だ。

「栄八という車夫は、もうとっくに死んでいたんです。正体不明の呪術使いが、栄八を式神に変えてしまった。かろうじて人間の姿をしていただけで、いわば生ける屍(しかばね)のような状態だったのですよ」

 能登の説明は荒唐無稽ながら、腑(ふ)に落ちるものでもあった。

 栄八は、養父の松之助が蛇ノ目村に移り住むにあたって、桜町から連れてきた男だ。したがって、琴音が物心つく前から涼風家に雇われていた。

 幼い頃の琴音の記憶では、栄八は明るい働き者だった。元々は博打好きで借金を重ね、愛想をつかした妻子に逃げられるほどだらしない男だったという。借金を肩代わりしてくれた松之助に恩義を感じ、心を入れ替え、涼風家のためによく尽くした。
 琴音にも優しく接し、遊び相手にもなってくれた。

 ところが琴音が桜町の女学校に通うことになり、送り迎えしてくれるようになった頃から栄八の様子が変わった。よく笑っていたのが無表情になり、口数も減ったのだ。
 最初は訝しんだ琴音も、時間が経つにつれ、「年を取って偏屈になったのだろう」と納得するようになっていった。

(性格が変わったのは、式神にされてしまったからなんだわ)

 すべての辻褄が合ってしまったようで、琴音は全身から血の気が引くのを感じた。

「失礼します!」

 手狭な応接間に、よく日焼けをした大柄な軍服姿の男が入ってきた。

(たしか……榎本軍曹……だったかしら)

 榎本軍曹が能登に告げる。

「能登少尉殿! 八神中尉殿の治療が終わりました」
「そうか! すぐ行く」

 立ち上がった能登に、榎本軍曹が言葉を継ぐ。

「それが……涼風家の御令嬢も呼んでほしいとのことで……」
「ん……? どうします?」

 訊いた能登に、琴音はこくりとうなずく。
 幻十郎といろいろ話してみたい気持ちがある。

「では、行きましょうか」

 能登に連れられ、幻十郎が治療を受けている医務室に行った。
 そこは応接間よりさらに狭く、幻十郎は簡素な西洋式ベッドで横になっていた。
 二人が入っていくと、白衣を着た壮年の軍医が立ち上がった。

「傷の具合はどうです? 先生?」

 能登の問い掛けに軍医は苦笑いして、
「式神にやられたそうやないか。妖刀もないのに、この程度で済んだら御(おん)の字やで。半妖やったら人間よりは幾分、傷の治りも早いはずや。せやけど無理はあかんで。二、三日は安静にしとかんと」
 と西国訛りで言って、琴音たちの横をすり抜けて出て行った。能登たちと違って、地元の先生らしい。

 能登が礼を言うと、琴音も頭を下げた。

「おいおい、言われたそばから無理すんなって」

 呻(うめ)きながら上半身を起こした幻十郎を見て、能登が呆れ声を出す。

「大丈夫ですか!?」

 琴音は思わず駆け寄って、幻十郎を支えた。

「ああ、大丈夫だ」

 痛みに顔をしかめながら応じた幻十郎と至近距離で目が合う。しかも幻十郎は上半身裸で、右の肩口から包帯で覆っているとはいえ、素肌も見えている。

「ご、ごめんなさい!」

 琴音は慌てて離れた。

「おっと、榎本に話があるんだった。てなわけで八神。俺たちの事情はすべて琴音さんに説明してある。後はおまえに任せたからな」

 能登は意味深な笑みを浮かべながら踵を返した。

「おい、怪我人に全部任せるな」

 幻十郎の制止を無視して、能登は医務室を出ていった。