◆
「お父さまたちも、あんなに怒ることはないのになぁ」
琴音の隣で、由松がぷくっと頬をふくらませる。
二人は、使用人の栄八が引いている人力車に乗っていた。車輪はここらでは珍しい新式のゴムタイヤで、背もたれは柔らかいビロード張りになっており、頑丈な幌付きだ。
隣町の女学校まで琴音を送っていく人力車に、由松も途中まで相乗りしていく。
「仕方ないわ。わたしが悪かったんですもの」
琴音がなだめるように言うが、由松は納得がいかないらしい。
「そんなことありませんよ。おねえさまは何も間違っちゃいません。不吉だ凶星だって、やたら怖がるほうがおかしいんです。お父さまだって、異国の本をたくさんお読みになっているんですよ? ただの彗星だって、おわかりのはずなのに……」
「仕方ないわ。この村は迷信深い人が多いもの。由松がいくら正しいことを言っても、みんなはやっぱり怖いのよ。由松が学校で仲間はずれにならないよう、お父さまたちも気を配っておられるのだと思うわ」
「僕、仲間はずれなんか怖くないやい」
屋敷にいる時とは違って、由松は琴音と二人きりの時は年相応のあどけない表情を見せる。事あるごとに跡取り息子だからと言われては、自邸では気負って、大人びた振る舞いを見せるしかない。しかも、冷たい仕打ちを受ける琴音のことをいつも気遣っている。
そのいじらしさに、琴音の胸は痛みを覚える。
「それに……今朝だけのことを言っているんじゃありません。お父さまも、お母さまも、おねえさまを邪険にしているようで……」
由松が沈んだ声を出したので、琴音も思わず本心が口から突いて出そうになったが、ぐっと堪えた。
「いいのよ。わたしはちっとも気にしてないわ。こうして町の女学校まで通わせてもらっているんだもの。これ以上を望んだら罰が当たってしまうわ」
琴音とて、自分にばかり辛く当たる両親に思うところはある。だが、今は厳密には二人きりではない。車夫として涼風家に雇われている栄八が目の前にいるのだ。
栄八は髪に白いものが混じっているが、立派な体格で、難なく人力車を引く。不気味なほど無口で、笑顔を見せない男だ。
「子どもたちに何かあれば逐一知らせるんだよ」
栄八が、母にそうきつく言い含められているのを琴音は知っている。それだけに、栄八の前で両親を悪く言えば、筒抜けになる恐れがあった。
もっとも琴音自身は、自分だけが冷遇されていることに諦めにも似た境地にいる。
琴音と由松は、ともに涼しげな目元で、整った顔立ちだ。まるで雪国の生まれのように肌が白いのも同じ。しかし、露ほども似てはいない。
それもそのはずで、二人は血がつながっていないのだ。
琴音にとって松之助は養父であり、富実は養母だ。由松だけが涼風家の実子である。
そのことを、琴音は無論のこと、由松も承知していた。
松之助は元々、蛇ノ目村の東隣にある桜町の出身だ。名家として知られた海藤家の次男で、分家して独立することを認められ、苗字を涼風に改めて、蛇ノ目村に移り住んだのだ。村には海藤家の遠縁に当たる豪農がいた。
その豪農には富美という娘がいたが、海藤家・長男の市松が半ば強引に、松之助との縁談を取りまとめたのである。
松之助は労せずして村内の半分以上の田地を手に入れ、小作人に貸し与えた。
養蚕工場の経営にも乗り出したが、松之助の商才のなさから傾きかけたときは、本家が資金援助して、事なきを得た。以来、松之助は本家に頭が上がらない。
さらに涼風家を村に根付かせるべく、松之助は後継ぎを欲したが、富美との間にはいつまで経っても子ができなかった。
「おまえにいい話があるんだが……」
焦る松之助に、兄の市松は「養子をもらわないか」と持ちかけたのだ。市松は本妻とは別に妾が何人かいて、そのうちの一人が孕んだという話だった。雪乃という名の通り、肌の白い女で、どこか儚げな様子に惹かれて世話をしていたらしい。
「旧都で芸妓をしている女でな。産ませたはいいが、こっちで引き取ろうにも妻が承知せんのだ」
扱いに困ったので涼風家に押し付けようという腹だった。それでも松之助にとっては渡りに船だったが、その赤子が女と知って、顔色が変わった。
「困りますよ、兄さん。女子をもらったとて……」
「何が困るというんだ。婿養子をとればいいではないか」
結局、押し切られる形で涼風家に娘を迎えた。
それが琴音であった。
最初は大事に育てられた琴音だが、やがて富美が身籠ったことで状況は変わった。待望の実子が男だったこともあり、琴音は本家に押し付けられた〝厄介な子〟に成り果てたのである。
「お父さまたちも、あんなに怒ることはないのになぁ」
琴音の隣で、由松がぷくっと頬をふくらませる。
二人は、使用人の栄八が引いている人力車に乗っていた。車輪はここらでは珍しい新式のゴムタイヤで、背もたれは柔らかいビロード張りになっており、頑丈な幌付きだ。
隣町の女学校まで琴音を送っていく人力車に、由松も途中まで相乗りしていく。
「仕方ないわ。わたしが悪かったんですもの」
琴音がなだめるように言うが、由松は納得がいかないらしい。
「そんなことありませんよ。おねえさまは何も間違っちゃいません。不吉だ凶星だって、やたら怖がるほうがおかしいんです。お父さまだって、異国の本をたくさんお読みになっているんですよ? ただの彗星だって、おわかりのはずなのに……」
「仕方ないわ。この村は迷信深い人が多いもの。由松がいくら正しいことを言っても、みんなはやっぱり怖いのよ。由松が学校で仲間はずれにならないよう、お父さまたちも気を配っておられるのだと思うわ」
「僕、仲間はずれなんか怖くないやい」
屋敷にいる時とは違って、由松は琴音と二人きりの時は年相応のあどけない表情を見せる。事あるごとに跡取り息子だからと言われては、自邸では気負って、大人びた振る舞いを見せるしかない。しかも、冷たい仕打ちを受ける琴音のことをいつも気遣っている。
そのいじらしさに、琴音の胸は痛みを覚える。
「それに……今朝だけのことを言っているんじゃありません。お父さまも、お母さまも、おねえさまを邪険にしているようで……」
由松が沈んだ声を出したので、琴音も思わず本心が口から突いて出そうになったが、ぐっと堪えた。
「いいのよ。わたしはちっとも気にしてないわ。こうして町の女学校まで通わせてもらっているんだもの。これ以上を望んだら罰が当たってしまうわ」
琴音とて、自分にばかり辛く当たる両親に思うところはある。だが、今は厳密には二人きりではない。車夫として涼風家に雇われている栄八が目の前にいるのだ。
栄八は髪に白いものが混じっているが、立派な体格で、難なく人力車を引く。不気味なほど無口で、笑顔を見せない男だ。
「子どもたちに何かあれば逐一知らせるんだよ」
栄八が、母にそうきつく言い含められているのを琴音は知っている。それだけに、栄八の前で両親を悪く言えば、筒抜けになる恐れがあった。
もっとも琴音自身は、自分だけが冷遇されていることに諦めにも似た境地にいる。
琴音と由松は、ともに涼しげな目元で、整った顔立ちだ。まるで雪国の生まれのように肌が白いのも同じ。しかし、露ほども似てはいない。
それもそのはずで、二人は血がつながっていないのだ。
琴音にとって松之助は養父であり、富実は養母だ。由松だけが涼風家の実子である。
そのことを、琴音は無論のこと、由松も承知していた。
松之助は元々、蛇ノ目村の東隣にある桜町の出身だ。名家として知られた海藤家の次男で、分家して独立することを認められ、苗字を涼風に改めて、蛇ノ目村に移り住んだのだ。村には海藤家の遠縁に当たる豪農がいた。
その豪農には富美という娘がいたが、海藤家・長男の市松が半ば強引に、松之助との縁談を取りまとめたのである。
松之助は労せずして村内の半分以上の田地を手に入れ、小作人に貸し与えた。
養蚕工場の経営にも乗り出したが、松之助の商才のなさから傾きかけたときは、本家が資金援助して、事なきを得た。以来、松之助は本家に頭が上がらない。
さらに涼風家を村に根付かせるべく、松之助は後継ぎを欲したが、富美との間にはいつまで経っても子ができなかった。
「おまえにいい話があるんだが……」
焦る松之助に、兄の市松は「養子をもらわないか」と持ちかけたのだ。市松は本妻とは別に妾が何人かいて、そのうちの一人が孕んだという話だった。雪乃という名の通り、肌の白い女で、どこか儚げな様子に惹かれて世話をしていたらしい。
「旧都で芸妓をしている女でな。産ませたはいいが、こっちで引き取ろうにも妻が承知せんのだ」
扱いに困ったので涼風家に押し付けようという腹だった。それでも松之助にとっては渡りに船だったが、その赤子が女と知って、顔色が変わった。
「困りますよ、兄さん。女子をもらったとて……」
「何が困るというんだ。婿養子をとればいいではないか」
結局、押し切られる形で涼風家に娘を迎えた。
それが琴音であった。
最初は大事に育てられた琴音だが、やがて富美が身籠ったことで状況は変わった。待望の実子が男だったこともあり、琴音は本家に押し付けられた〝厄介な子〟に成り果てたのである。

