凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

【カフェー夢見草】で涼風琴音を目にしたとき、幻十郎は危うく声を出すところだった。
 先日、旧都の司令部の庁舎でうたた寝したときに見た、幻惑的な悪夢――。それに出てきた女学生が、目の前にいたからだ。

 涼風琴音――。

 この少女は使える、と幻十郎は踏んだ。あれが何かの予知夢であるなら、琴音を利用するのが最善策であるはずだ。

 幻十郎は、能登に目配せした。

(この娘に〝化けて〟蛇ノ目村に潜入する)

 そう決めた幻十郎は、長谷川よし江、岩崎弥生をまじえた会話の中で、さり気なく琴音の全身・表情・仕草を見つめ、声に耳を傾けた。
 誰もが〝変化の対象〟たる琴音を知る村に潜入するなら、〝変化〟の完成度が求められるからだ。その完成度はどれだけ強く網膜に焼き付けたか、耳に覚え込ませたか、で決まる。

 盲点ではあるが、相手が違和感を抱きやすいのは表情だ。「不自然な表情だ」と思われたら最後、正体が露見する可能性が高まる。
 それを避けるためにも、「喜・怒・哀・楽」の表情をしっかりと記憶せねばならぬ。特に「怒」は重要で、その人間の本質が出る。

 話題が家柄に及んだとき、琴音は両親を揶揄(やゆ)し、僅かに哀しみと怒りを覗かせた。そこで幻十郎は菊地として、あえて正論をぶつけ、怒らせてみた。

 ところが琴音は、幻十郎の予想以上に怒りの感情を爆発させ、席を立った。

(両親と確執があるのか……?)

 友人たちの前では気丈に振る舞っているが、あの少女は、胸の奥底に暗いものを秘めている――。
 出来るなら、それを取り除いてやりたい。幻十郎にそう思わせるほどに、琴音は美しかった。


 琴音たちが【カフェー夢見草】を出たあと、能登は永井軍曹たちを呼びに行き、幻十郎は琴音を尾行した。
 大通りでよし江たちと別れた琴音は、脇道に入っていった。……が、女学校の正門には行かず、わざわざ遠回りして裏門に向かっている。

(迎えは正門に来ているのではないのか……?)

 不審に思いながら、そのまま尾行を続ける。

 琴音が裏門を通っていったのを見届けると、幻十郎は周りに人がいないのを確認して、よし江に〝変化〟した。
 琴音ほどじっくり網膜に焼き付けたわけでもないので、完成度は低い。よし江をよく知る人間にまじまじと見られたら、偽者であることは露見してしまうだろう。だが、いまはそれを恐れている暇はない。

 門番の用務員に会釈して、忘れ物をした体(てい)で裏門をくぐった。琴音の後を追うが、なんだか様子がおかしい。

(こちらに勘付いているのか……?)

 気配を消して尾行するのに慣れている幻十郎だが、琴音には気づかれているようだった。

「よし江さん!」

 案の定、廊下を曲がったところで琴音は待ち構えていた。よし江になりきって会話をするが、琴音が訝しんでいるのがわかる。

「あなたは誰なの!?」

 琴音のなかで疑念は確信へと変わったらしい。この薄暗い廊下においても、目の前にいるよし江が偽者だと見破ってしまった。

(想定より早いが仕方あるまい。悪いが眠ってもらうぞ)

 幻十郎は催眠術を発動させた。常人ならば、幻十郎の光る眼によって眠りに落ちる。しかし……。

「……わたしには効かないわ」

 琴音が静かに告げたとき、幻十郎は冷水を浴びせられたような心地になった。
 ありえない。あやかしの妖術を跳ね返せるのは、同じあやかしか、陰陽師や法力僧か、あるいは妖刀を持った特務部隊の隊員くらいだ。

 琴音が踵を返して逃げていっても、幻十郎は追うこともできなかった。
 カフェーで最初に目にしたとき、「侮れない娘だ」と抱いた印象は、何らかの先見が働いたのかもしれぬ。

(あの透き通った瞳で、本当に俺の正体を見透かしたのか)

 よし江の姿のまま校庭に出た幻十郎は、片隅にそびえ立っているクスノキにもたれて、今後どうしたものか思案に暮れる。
 じきに日没だ。空にはすでに三日月が出ている。

(彼女に正直に正体を告げて、協力を仰ぐか?)

 そう思ったとき――。
 ガラスが割れる音が響いて、幻十郎は校舎に視線を移した。