「――しかし、これは幸運だな。貴女たちは【桜高女】の生徒でしょう? いやね、小耳に挟んだのですよ。この町の華だってね」
石清水は、よし江の袴の腰紐に目をやりながら言う。
【桜高女】の生徒たちが腰紐につけたバックルは、桜花をあしらった徽章になっている。旧都周辺の乙女ならば、誰しもが憧れる徽章だ。
「元々は旧都を旅の最終目的地と定めていたのですが、桜町まで足を延ばして正解だったな。こんなに美しいお嬢さん方とお近づきになれたのですからね」
「まあ……」
よし江と弥生は顔を赤らめ、もじもじしているが、琴音は冷めていた。
「でも旅をする方にとっては、この町は見どころがなくて退屈でしょう? 旧都のほうが面白かったのではございません?」
「いやいや、そんなことはありませんよ。旧都の女は別嬪が多かったけれど、どうも気位ばかり高くてね……」
琴音の皮肉にも動じず、石清水は軽口を叩いてみせる。
身なりは立派でも、どうにも胡散臭い男ではあるが……。帝都や旧都の金持ちの放蕩息子が旅に出て、嫁や妾探しをするという話は、琴音も耳にしたことがあった。
(この人も、そういった類かもしれないわね)
すると菊地が咳払いを入れて、割り込んできた。
「国吉さまは帝都で生まれ育ちましたので、程よく栄えていて、落ち着けるこの桜町がいたく気に入ったそうです」
菊地の説明に、弥生が気持ちを昂らせる。
「まあ、嬉しい! 石清水さま、お泊まりはどちらですの?」
「館山堂ですよ」
「あら悔しい! 商売敵ですわ」
弥生が口をとがらせると、よし江も口を開いた。
「弥生さんのお家は旅館ですのよ」
「へえ、なんていう旅館だい?」
「岩崎屋ですわ」
「よし、今夜から、そちらに移ろう」
石清水は調子よく言うと、コップに並々と麦酒をついで、また飲み干す。
「お酒が好きでしたら、地酒も飲んでくださいな。うちから弥生さんの岩崎屋におろしておりますから」
よし江も石清水の気を引こうとしている。
「ええ。よし江さんのお家は造り酒屋ですの。長谷川酒造といえば、桜町一ですわ」
弥生が言うと、よし江は満足げにうなずいた。さりげに二人で連携し、名前を教えるばかりか、ちゃっかり家柄まで売り込んでしまった。
「ほう、ぜひ頂きましょう。えっと……岩崎弥生さんに、長谷川よし江さんでしたね。貴女は……」
石清水が、琴音のほうに顔を向ける。
心の中で嘆息した琴音が口を開くより先に、弥生が教えてしまった。
「琴音さんですわ。涼風家の御令嬢ですのよ」
「弥生さんったら!」
(おしゃべりなんだから!)
「まあまあ、せっかくの交流ですもの。ほら、菊地さんが名前を知りたそうにしてらっしゃったから……」
よし江がにんまりすると、菊地の鉄仮面は崩れた。
「涼風……琴音……」
ひとりごとのように呟いたかと思えば、「いや、失礼!」と、うろたえて目を泳がせる菊地を見て、よし江と弥生がくすくす笑う。菊地の意外な反応に、琴音の心にも温かいものが流れる。
石清水も上機嫌になって、
「涼風琴音さんか。よし、全員の名前を教え合ったところで、菊地! おまえも何か話題を提供しろ」
と言って、菊地のコップに麦酒をついだ。
「はあ……。皆さんは西国訛りがないようですが……」
「ん? そういえばそうだな……」
菊地の疑問に、石清水も同調する。普段あまり意識していなかっただけに、よし江と弥生は答えに窮した。代わりに琴音が答える。
「女学校では地元の言葉を使うと叱られます。『上品な淑女たれ』ということで、帝都の山の手言葉が教え込まれますので……」
「なるほど」
菊地はうなずいたが、どこか釈然としていない表情だ。
「おや、西国訛りの女性は可愛らしいと思いますがね」
石清水は大袈裟に肩をすくめて見せた。
殿方には今ひとつ理解しにくいだろうけれど、それも無理からぬこと……と琴音は薄く笑う。
女学校は教育機関である一方で、花嫁の育成機関という側面もある。生徒たちは少しでも格式の高い名家に嫁ぐことを夢見ており、教師もまた、そうなることを望んでいる。学問を教え、裁縫や生け花を修得させるのは、嫁いでいく「家」に見合った「妻」にするためだ。
恋い慕う男性と結ばれるなど、夢のまた夢――。
菊地は、まっすぐに琴音を見つめて言い放つ。
「私も、何もかも帝都に合わせる必要はない、と存じます。ただ……淑女を目指して努力されている琴音さまたちは素晴らしいです」
「もったいないお言葉。ありがとう存じます」
琴音は、しっかりと目を合わせながら菊地と言葉をかわし、己の行く末を思って物憂げな表情を見せる。
(菊地さまは、わたしを恋うてくださるでしょうか? わたしを、あの村から連れ出してくださるでしょうか?)
菊地が大きくうなずいたのは、琴音の心の声に反応したわけではなかろうが……。
石清水は、よし江の袴の腰紐に目をやりながら言う。
【桜高女】の生徒たちが腰紐につけたバックルは、桜花をあしらった徽章になっている。旧都周辺の乙女ならば、誰しもが憧れる徽章だ。
「元々は旧都を旅の最終目的地と定めていたのですが、桜町まで足を延ばして正解だったな。こんなに美しいお嬢さん方とお近づきになれたのですからね」
「まあ……」
よし江と弥生は顔を赤らめ、もじもじしているが、琴音は冷めていた。
「でも旅をする方にとっては、この町は見どころがなくて退屈でしょう? 旧都のほうが面白かったのではございません?」
「いやいや、そんなことはありませんよ。旧都の女は別嬪が多かったけれど、どうも気位ばかり高くてね……」
琴音の皮肉にも動じず、石清水は軽口を叩いてみせる。
身なりは立派でも、どうにも胡散臭い男ではあるが……。帝都や旧都の金持ちの放蕩息子が旅に出て、嫁や妾探しをするという話は、琴音も耳にしたことがあった。
(この人も、そういった類かもしれないわね)
すると菊地が咳払いを入れて、割り込んできた。
「国吉さまは帝都で生まれ育ちましたので、程よく栄えていて、落ち着けるこの桜町がいたく気に入ったそうです」
菊地の説明に、弥生が気持ちを昂らせる。
「まあ、嬉しい! 石清水さま、お泊まりはどちらですの?」
「館山堂ですよ」
「あら悔しい! 商売敵ですわ」
弥生が口をとがらせると、よし江も口を開いた。
「弥生さんのお家は旅館ですのよ」
「へえ、なんていう旅館だい?」
「岩崎屋ですわ」
「よし、今夜から、そちらに移ろう」
石清水は調子よく言うと、コップに並々と麦酒をついで、また飲み干す。
「お酒が好きでしたら、地酒も飲んでくださいな。うちから弥生さんの岩崎屋におろしておりますから」
よし江も石清水の気を引こうとしている。
「ええ。よし江さんのお家は造り酒屋ですの。長谷川酒造といえば、桜町一ですわ」
弥生が言うと、よし江は満足げにうなずいた。さりげに二人で連携し、名前を教えるばかりか、ちゃっかり家柄まで売り込んでしまった。
「ほう、ぜひ頂きましょう。えっと……岩崎弥生さんに、長谷川よし江さんでしたね。貴女は……」
石清水が、琴音のほうに顔を向ける。
心の中で嘆息した琴音が口を開くより先に、弥生が教えてしまった。
「琴音さんですわ。涼風家の御令嬢ですのよ」
「弥生さんったら!」
(おしゃべりなんだから!)
「まあまあ、せっかくの交流ですもの。ほら、菊地さんが名前を知りたそうにしてらっしゃったから……」
よし江がにんまりすると、菊地の鉄仮面は崩れた。
「涼風……琴音……」
ひとりごとのように呟いたかと思えば、「いや、失礼!」と、うろたえて目を泳がせる菊地を見て、よし江と弥生がくすくす笑う。菊地の意外な反応に、琴音の心にも温かいものが流れる。
石清水も上機嫌になって、
「涼風琴音さんか。よし、全員の名前を教え合ったところで、菊地! おまえも何か話題を提供しろ」
と言って、菊地のコップに麦酒をついだ。
「はあ……。皆さんは西国訛りがないようですが……」
「ん? そういえばそうだな……」
菊地の疑問に、石清水も同調する。普段あまり意識していなかっただけに、よし江と弥生は答えに窮した。代わりに琴音が答える。
「女学校では地元の言葉を使うと叱られます。『上品な淑女たれ』ということで、帝都の山の手言葉が教え込まれますので……」
「なるほど」
菊地はうなずいたが、どこか釈然としていない表情だ。
「おや、西国訛りの女性は可愛らしいと思いますがね」
石清水は大袈裟に肩をすくめて見せた。
殿方には今ひとつ理解しにくいだろうけれど、それも無理からぬこと……と琴音は薄く笑う。
女学校は教育機関である一方で、花嫁の育成機関という側面もある。生徒たちは少しでも格式の高い名家に嫁ぐことを夢見ており、教師もまた、そうなることを望んでいる。学問を教え、裁縫や生け花を修得させるのは、嫁いでいく「家」に見合った「妻」にするためだ。
恋い慕う男性と結ばれるなど、夢のまた夢――。
菊地は、まっすぐに琴音を見つめて言い放つ。
「私も、何もかも帝都に合わせる必要はない、と存じます。ただ……淑女を目指して努力されている琴音さまたちは素晴らしいです」
「もったいないお言葉。ありがとう存じます」
琴音は、しっかりと目を合わせながら菊地と言葉をかわし、己の行く末を思って物憂げな表情を見せる。
(菊地さまは、わたしを恋うてくださるでしょうか? わたしを、あの村から連れ出してくださるでしょうか?)
菊地が大きくうなずいたのは、琴音の心の声に反応したわけではなかろうが……。

