凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「君たち! 喧嘩はやめたまえ」

 割って入ったのは、若い英語教師の丹羽(にわ)吉則(よしのり)だった。よし江たちが呼びに行ってくれたようだ。
 厳しい年配の教師が揃っている女学校にあって、丹羽だけは柔和であった。海外に留学経験があることから先進的な考えの持ち主で、長身の体躯(たいく)に三つ揃いのスーツがよく似合っており、生徒の人気も高い。

 琴音も密かに好感を抱いている教師であり、丹羽が来てくれたのは心強かった。
 ところが……。

「丹羽先生!」

 千賀子は丹羽にすがりつき、涙を流してみせたのだ。

「幾江さんと少し仲違いしただけなのに、琴音さんが鬼の形相で責めてくるのです」
「で、出鱈目(でたらめ)です!」

 琴音は声を荒げ、千賀子が下級生に折檻(せっかん)していたことを訴える。
 丹羽は狼狽し、その目線は千賀子と琴音を行ったり来たりするばかりだ。

「折檻だなんて、あんまりな言いようだわ。琴音さんは私に嫉妬しているのです。幾江さんから恋文をもらっておきながら無下にしていたくせに、いざとなったら私に渡すまいと……」

 千賀子の口からは、流れるように自己弁護の言葉が出てくる。しばらく二人が言い合うのを丹羽はうんざりとした様子で聞いていたが。

「ふむ……。双方の言い分は聞いた。幾江くんも事を大きくしたくないようだった。喧嘩両成敗だよ。二人とも頭を冷やして、もう教室に戻りなさい。ここは用務員に掃除してもらうから」

 水浸しになっている床を見やると、丹羽は幕引きだと言わんばかりに戸を閉めた。

「丹羽先生! それではあまりに……」
「琴音くん、シャラップ!」

 丹羽の英語が、三人以外に誰もいない廊下に響いた。
 桜町の支配者ともいうべき海藤家の長女の機嫌を損ねることは、教師の職を失うことに直結しかねない――。そういった判断が働いたらしい。

「この件は、もう終わったことだ」

 迷いを断ち切るように丹羽に言われて、琴音は黙るしかなかった。
 丹羽の背後で勝ち誇った表情をしている千賀子が、声を発することなく口を動かす。
 それは、琴音に追い打ちをかける言葉であった。

 ――芸妓の娘の分際で……。

 冷笑で歪んだ千賀子の唇は、確かにそう言っていた。


   ◆


 幻十郎たちが旧都にたどり着いた翌朝――。

 任務に出ていた第二小隊の成田曹長と飯島軍曹が、司令部の庁舎に戻ってきた。
 そのとき、幻十郎と能登は会議室で待機していた。

「お待たせして申し訳ありません。我々は、帝都から指令を受けて、蛇ノ目村の調査に行っておりました」

 開口一番、謝罪した成田曹長は幻十郎より二つ年上だが、階級は下なので敬語だ。二人は帝都で何度か言葉をかわしたことがあった。

「蛇ノ目村……?」
「ええ、ここから西に十里ほど行ったところにある小さな村です。三方を山に囲まれていて、かなり閉鎖的な土地柄でしてね。我々の軍服を見るや警戒されてしまって、難儀しました」

 そう言って、成田曹長は苦笑いを浮かべながら口ひげを撫でた。

「その村には、どういう調査で?」

 幻十郎が尋ねると、代わりに若い飯島軍曹が説明した。こちらは初めて見る顔だ。

「大昔から蛇神が守護していると言い伝えられている村なんです。他の村じゃ日照り続きで不作の年も、その村だけ大豊作だったりで……。それは蛇神の加護のお陰だと、村人たちは今も信じているようでして……」
「は~ん、ずいぶんと親切な神さまがいたもんだ」

 だるそうに口を挟んだ能登は、ついさっきまで寝ていたところを幻十郎に叩き起こされたので機嫌が悪い。
 幻十郎は咳払いをして能登を威嚇すると、「それで?」と飯島軍曹に続きを促した。

「蛇ノ目村では、伝統的に生贄を捧げていたようですが……」

 珍しい話ではなかった。帝国内の各地で行われていたことだ。
 神の怒りを鎮めるため、加護を得るため、何らかの恩恵を得るため、生贄を捧げることはよくあることだった。動物の場合もあれば、人身御供(ひとみごくう)として人間を差し出すこともあった。それも大抵、幼い少女が犠牲となった。

 ただし、そんな残酷な因習は、いまや遠い過去のことだ。