凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「何をしているのですか!?」

 琴音の一喝に、水桶(みずおけ)を手に提(さ)げた女学生がふり返る。青いリボンをつけた髪がひるがえった。

「あ~ら、誰かと思えば琴音さんじゃありませんの。ごきげんよう」

 余裕ぶった口調で応じたのは、海藤千賀子(ちかこ)。

 琴音の実父である市松の長女で、数え十六歳の四年生である。西洋の絵画から抜け出してきたような艶(あで)やかさをまとってはいるが、冷たい目元に癇性(かんしょう)の気が感じられる。
 そして、吐き気を催すほど黒い霧を発散させている張本人だ。

「何をしているのかと尋ねているのです」

 怒りのあまり、声が震える。
 土下座させられている女学生が顔を上げて、すがるような目つきで琴音を見た。

「あなたは、二年生の……」

 見覚えのある顔だった。苗字は失念したが、たしか幾江(いくえ)という名だったはずだ。何度か恋文を渡されたことがある。

 千賀子は水桶を置いて、自らの髪をいじくりまわしながら、
「これは私たちの問題よ。口出ししないでいただきたいわ」
 と言い放った。

 それで引き下がる琴音ではない。元来の気の強さが顔を覗かせる。

「見てしまった以上、そういう訳にはいかないわ。下級生に水をかけて、土下座までさせて、どういうおつもり?」

 琴音が詰問すると、千賀子はようやく説明した。

「幾江さんを可愛がってあげようとしただけよ。そうしたら、『他に想い人がいるから……』って頑として受け入れないんですもの。この私の気持ちを無下(むげ)にするなんてあり得ないでしょう? だからお仕置きをしていたのよ」

 あまりの身勝手さに、琴音は言葉を失った。
 これが……腹違いとはいえ自分の妹なのかと眩暈(めまい)がする。もしも自分が海藤家に迎え入れられていたら、同じ屋根の下で暮らしていたであろうに。
 その辺の事情もわかった上で、千賀子は不遜(ふそん)な態度をとっているのである。

 すると、近づいてくる足音が響いた。

「琴音さん! いったい、どうし……」
「――っ!」

 追いかけてきたよし江と弥生が中を覗き込み、異様な様子に息を呑む。千賀子の気がそれたのを見て、琴音は幾江を手招きした。

「幾江さん。こちらに来なさい」
「涼風さま!」

 立ち上がった幾江は、わっと琴音に駆けよった。
 千賀子が手を伸ばして引き戻そうとしたが、琴音は幾江を抱き止めて立ちはだかった。

「おやめなさい! 幾江さんには指一本ふれさせないわ」

 琴音の毅然とした態度に、千賀子は余裕を失って歯噛みする。

「幾江さんを連れていって、体を拭いてあげて。わたしは千賀子さんと話があるから……」
「わかったわ。さあ、行きましょう」

 ずぶ濡れの幾江をよし江と弥生にまかせて、琴音は千賀子と対峙した。

 しばらく睨み合いが続いたが、千賀子は息を吐きだし、皮肉な笑みを浮かべるや、
「そこをどいてくださる?」
 と、琴音の横をすり抜けようとした。

 だが、琴音はそれを許さない。

「お待ちなさい。まだ話は終わっていないわ」
「お説教なら聞くつもりはないわよ、おねえさま」

 皮肉な調子がこもった物言いに、琴音は頭に血がのぼった。千賀子に「おねえさま」なんて呼ばれたのは初めてだ。
 由松が呼んでくれる「おねえさま」とは、天と地ほどに違う。

「分家の人間が、本家の人間にお説教なんて差し出がましいと思わなくて?」

 とうとう家の事情まで持ちだし、上位に立とうとする千賀子には哀れみすら感じられる。

「そんなことは関係ないわ。同じ学校の生徒として、あなたに憤りを感じているだけよ」
「あらあら、ずいぶんと思い上がっているのね。〝深紅の姫君〟だなんてちやほやされて、勘違いしてしまっているみたいね」
「わたしは勘違いなんてしていないわ」
「どうだか」

 千賀子はすっかり開き直っていた。琴音としては千賀子から反省の言葉を引き出したいが、このままでは埒(らち)が明かない。