凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

 人ならざる異形のもの――あやかしは存在する。

 琴音は物心ついたときから、そのことに気づいていた。いや、旧都で芸妓をしていた雪乃の腹からこの世に生まれ出たときから、その無垢な瞳は、あやかしの姿を捉えていたかもしれぬ。

 蛇ノ目村の涼風家に引き取られてきた琴音は、村を自由に闊歩(かっぽ)するあやかしと意志疎通ができた。
 言葉を話せるようになると、琴音はそのことを両親に教えるようになった。

「明日の昼、地震があるんやて。蛇皮川の河童さんが教えてくれたんよ」
「神隠しに遭(お)うたはるちゃん、蛇淵沼を探したら見つかるって。烏(からす)天狗さんが言うてはった」

 琴音は無邪気に話すが、養父母の松之助と富美は絶句した。
 陰陽師や法力僧の家系ならいざ知らず、名家の令嬢があやかしと関わりを持つなど、ただ不吉なだけで世間体も悪い。

 そう思ったのか、琴音があやかしの話をすると怒った。由松が生まれると、両親の態度はより一層苛烈になり、琴音は遠慮してあやかしの話を避けるようになった。
 無意識にではあるが、琴音はあやかしから目をそらし、その声にも耳をふさぐようになっていく。

 すると、琴音は村の尋常小学校に入学する頃にはもう、あやかしを見ることもなければ、その声を聞くこともなくなっていた。成長によって異能が薄れたのか、自ら能力を封じたのか、琴音本人にもわからない。

 十七歳となった今、あやかしと触れ合っていたころの記憶は曖昧だ。

 だが、それを幼子の無垢なる妄想だったと片付けることはできないでいる。
 自分に辛く当たる養父母の顔色をうかがうことが癖になっていた琴音は、あやかしとの結びつきを失った代わりに、別の異能を得ていた。

 人が強烈な悪意を抱いたとき、その気配を目で捉えることができるようになったのだ。
 強烈な悪意は、黒い霧となって琴音の目に映る。

 もっとも、それは必ず発動するとも限らない。心の奥底に秘めた悪意まで見透かせるような保証もない。暴風にさらされている灯火のごとく頼りにならない。

 ただ……蛇ノ目村では、琴音はたびたび黒い霧を目にしている。それほどまでに悪意と欺瞞(ぎまん)に満ちた村だ。
 この村では数年に一度、美しい少女が神隠しに遭っていた。琴音を妹のように可愛がってくれた貧しい農家の娘、戸沢(とざわ)はるも、かつて消えてしまって戻らなかった一人だ。

 村の守り神である蛇神に生贄(いけにえ)を捧げるのが古来からのしきたりであったという。……が、大人たちは口をそろえて、
「そんなものは、とっくの昔に無くなっとる。蛇神さまは見返りを求めたりはせんのや。静かに眠りながら村を守ってくださっとる。せやから、蛇淵沼には近づいたらいかんぞ。怒りを買って、大変なことになるで」
 と子どもたちに言い聞かせた。

 その一方で、神隠しの件については誰もが口をつぐんだ。

 琴音が十五歳になった年には、一つ年上のツネという少女が消えた。桜町の商家に嫁ぐことが決まっていたほどの美貌の持ち主であったが、ついに見つかることはなかった。
 捜索した警察があれこれ詮索すると、村の大人たちは「蛇神さまとは無関係や」と口をそろえた。
 琴音の目には、その大人たちから発散される黒い霧が映っていたのだが……。


   ◆


 ――何をしているのですか!?

 琴音が見咎(みとが)めたのは、カフェーに行く計画を立てた翌日のことだ。
 生け花の授業が終わって作法室を出た琴音は、よし江や弥生といっしょに教室に戻る途中だった。

(なんだか嫌な感じだわ……)

 琴音の胸に、得体の知れない不快感が広がったのだ。
 廊下の一番奥――教材などが置かれている小部屋に、琴音の視線が注がれる。その小部屋から、真っ黒な霧のようなものが噴き出しているのが見えた。
 それは、琴音にしか見えない人間の悪意だ。

「先に戻っていて!」

 そう言い置いて走っていった琴音を、よし江と弥生が呆然と見送る。
 勢いよく小部屋の戸を開けると、びしょ濡れになった一人の女学生が土下座していた。