凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~

「不吉な……」

 十一月も半ばを過ぎて、吐く息は白くなる。
 今このとき、鄙(ひな)びた農村の片隅で、新たな命が誕生しようとしていた。されど父親となる卯吉(うきち)の顔は険しい。

 かろうじて雨風をしのげるだけの家屋では、夕刻から産気づいた妻が苦しみの声をあげている。男は邪魔だ、と村の産婆(さんば)に外に追い出された卯吉は、訝(いぶか)しげに冬の夜空を見上げていた。
 いつもなら村全体が闇に覆われている時刻だが、この日ばかりは昼と見紛(みまが)うばかりに明るい。

「なして、こんな時に箒星(ほうきぼし)が来るんじゃ」

 巨大な彗星が尾を引いて、天空を滑るように流れていくのを、卯吉は恨めしそうに見つめる。

「箒星が来よったぞ!」
「災いをもたらす凶星(きょうせい)じゃ!」
「恐ろしや、恐ろしや……」
「見んほうがええ! 魂を持っていかれる!」

 近隣の家々からは、村人たちの狼狽(ろうばい)した声が上がった。

 異国ではすでに、彗星の軌道計算をした科学者の名にちなみ、ハレー彗星と呼ばれていたが、まだこの国では不吉な箒星だ。
 およそ七十六年に一度やってきては、地震や疫病などの厄災をもたらす凶星――。

「――っ!」

 卯吉は見た。彗星の尾から、ひとすじの光が村に下りてくるのを。
 それはたちまち、卯吉の背後の家屋めがけて落ちてきた。
 刹那(せつな)、家屋は閃光に包まれた。卯吉は言葉を発することも出来ずに目をつむる。

 すると、中から「おぎゃあ! おぎゃあ!」と元気のいい声が響いて、卯吉は目を見開き、慌てて家屋に飛び込んだ。

「ほれ、見てみい。元気な女子(おなご)じゃ」

 汗と血にまみれた産婆が赤子を抱えている。光が落ちてきたことなど、まったく気づいていない。

「…………」

 卯吉は黙って、赤子を自らに引き寄せた。

(待ち焦がれた、おらたちの子じゃが……)

 卯吉は貧しい小作人ながら、村で一番の器量好しのヒサを娶(めと)ることができた。しかし、なかなか子に恵まれなかった。家を継がせる男児が欲しいというのに。

 子授けの御利益があるという隣村の神社まで、夫婦はそろって毎日のように願掛けに訪れた。

 そして、ようやくヒサが身籠(みごも)ったとき、卯吉は歓喜の涙を流したのだが……。

「安心せえ。母体は無事じゃ。初産にしてはすんなりと出てきてくれたでな。これからもようけ産めるじゃろうて」

 夫婦が男の子を望んでいたことを知る産婆が、励ますように言う。
 ほっとして微笑む妻を見て、卯吉は「よう頑張ったのう」と声をかけたが、心ここにあらずだ。

 天井を見上げても、穴一つあいていない。あの箒星の尾から降ってきた光は、藁葺(わらぶ)き屋根をすり抜けて、ヒサの腹に入っていったに違いない。

 もはや、この赤子が男だろうと、女だろうと、どちらでも良かった。
 凶星から授かってしまった子なのだ。卯吉たちに厄災をもたらす存在ではないのか。自分たちだけならまだいい。村全体にも禍(わざわい)が降りかかるのではないか。

 この子は〝凶星の子〟として疎(うと)まれる運命にある。
 ならば、このまま息の根を止めてやったほうが、この子の為になりはしないか。

 だが、「生きたい」と必死に声をあげる我が子に手をかけることは、卯吉にはできなかった。

「おっかあみたいな別嬪(べっぴん)に育ってくれや」

 これは卯吉の心からの願いだ。せめて美人に育って、こんなせせこましい村は出て、金も地位もある男に愛され、守ってもらえばいい。

「じゃけど、おっとう。血にまとわりついた因果(いんが)は厄介やで」

 赤子にそう言われた気がして、卯吉は思わず叫びだしそうになった。背筋に冷たいものを感じながら、卯吉はわかってしまったのだ。これから何十年にもわたって〝凶星の子〟の因果が続いていくことを……。

 生まれたばかりの娘から、世代を超えて因果は引き継がれていく。
 そして、忌まわしい凶星は、また再びやってくる。

 それは今から七十五年後――明治四十三年の春である。