「つまり、普通にデートしただけでまだ付き合ってるわけでもないのに、倉橋さんが急に家に訪ねてきたってこと?」
「訪ねてきたんじゃなくて、入ってきたんだよ……!」

 全てを説明するのは骨が折れた。光の理解力がないのではなく、颯太が興奮してうまく説明できなかったのだ。光は首を傾げながらも、一つ一つ事実確認をしていく。

「招き入れたんじゃなくて?」
「なぜか合鍵を持ってたんだって! 僕がくれた、とか意味分かんないこと言ってたけど作った覚えないし……!」

 急に彼女を自称し始めた優姫。渡した覚えのない合鍵と教えていない住所。
 それだけでも恐ろしいのに、優姫は当たり前のように家に入ってきた。優姫の様子がおかしかったなら、少しくらいは理解できたかもしれない。
 しかし優姫はいたっていつも通りだった。颯太が好きになった、誰にでも分け隔てない、優しくてかわいらしいお姫様のような笑顔。
 いつも大学で見ていた憧れの彼女の笑顔が、場所と状況が変わっただけで、あんなにも狂気に感じられるなんて、颯太は考えたこともなかった。

 つぎはぎだらけの話になってしまったが、ようやく光に全てを伝えることができた。颯太の話を聞き終えた光は、いつもより低い声で、ドッペルゲンガー、と呟いた。

「えっドッペルゲンガー……? もしかしてあれ、倉橋さんのドッペルゲンガー!?」
「いや、たぶんそれは本人。颯太のドッペルゲンガーに倉橋さんが騙されたのかなって思ったけど、これも違う」

 整った顔に険しい表情を浮かべ、光は思考を巡らせる。颯太の頭では光の思考スピードに追いつけず、どういうこと? と颯太は訊ねた。
 光は人差し指を立てて、手で一の形を作る。一つ目、と光が語り始めたので、颯太は耳を傾けた。

「まず考えたのは、颯太のドッペルゲンガーが倉橋さんに接触した可能性。ドッペルゲンガーは喋らないって言われてるけど、実際どうかは分からないじゃん。颯太のフリして、倉橋さんの彼氏になって、合鍵を渡したってこともあるのかな、って」
「え……じゃあ倉橋さんは嘘をついてなくて騙されただけ?」
「まあこの場合はね。でも合鍵が手に入るはずもないし、なによりそこまでして颯太のドッペルゲンガーが倉橋さんに近づく意味もない。だからこの可能性はほぼないだろうな」

 颯太は肩を落とす。あれだけの恐怖体験をしておきながら、まだ心のどこかで何かの間違いであってほしいと思っているのかもしれない。
 きっと颯太の考えは光にはお見通しだろう。しかし光は指摘することなく話を続けた。二つ目に挙げられたのは、颯太が先ほど考えた可能性だった。

「二つ目は家に押しかけてきたのが倉橋さんのドッペルゲンガーの場合。これもやっぱり鍵の入手方法とか普通に会話してるあたりが気になる。それを差し引いてもありえないけどな」
「うーん。ドッペルゲンガーが人間ではない何かだと仮定するならありえる気がするけど……」

 人間ではない、霊的な何か。正体が人間ではないならば、常識では考えられないような不可思議なことも起こりえるのではないか。颯太はそう考えた。
 しかし光は、「タイミングが良すぎるんだよな」と呟く。

「ほら、この間倉橋さんの前に颯太のドッペルゲンガーが現れたじゃん? それだけでも不思議だったのに、今度は颯太の前に倉橋さんのドッペルゲンガー?」
「…………確かに。本当にドッペルゲンガーなら、本人の前に現れる……?」
「うん。あとは、全く違う誰かに目撃されるならまだ分かる。でも、颯太と倉橋さん、二人がお互いのドッペルゲンガーを見たっていうのは、さすがに話が出来すぎじゃん?」

 光の話に納得し、颯太は頷いてみせる。
 確かに光の言う通り、家を訪ねてきたのが優姫のドッペルゲンガーだとしたら、あまりにも都合が良すぎる。
 他の誰にも目撃されることなく、颯太は優姫に、優姫は颯太にだけ、見られたことになってしまうからだ。

 颯太の家に突然入ってきて、自分は彼女だと言い、合鍵を持っていた優姫。おかしな状況と、いつも通りの笑顔。
 あれは優姫のドッペルゲンガーだった、と言ってもらえた方が、まだ納得できたかもしれないな、と颯太はぼんやり考える。

「俺としては三つ目の可能性が一番高いと思う。倉橋さんのことが好きだった颯太には悪いけどさー」

 光の言い方に少し引っかかるところがあったが、颯太はあえて言及しなかった。代わりに「三つ目って?」と話の続きを促した。

「三つ目。ドッペルゲンガーを見たっていう話自体が倉橋さんの作り話だった、ってパターン」

 予想していなかった言葉に、颯太は口をあんぐりと開けたまま固まる。ドッペルゲンガーが作り話だとしたら、それは何のために? 回らない頭で必死に考えるが、颯太に近づくため、というありえない理由しか思いつかなかった。
 アホ面になってるぞ、と光に笑われて、颯太はようやく我に返る。慌てて口を閉じ、気持ちを落ち着けるために光が出してくれた麦茶を飲んだ。

「たぶん倉橋さんは、颯太のことが好きなんだろ。あと、かなり思い込みが激しい」

 思い込みが激しい、というのは間違いないだろう。実際に昨日颯太と優姫が出かけたとき、恋人になろう、という言葉は交わしていない。もちろん颯太は告白もしていないし、優姫からそれらしき言葉をかけられた覚えもない。
 それでも優姫はなぜか、颯太と付き合い始めた、と思っているのだ。これを思い込みと呼ばず、何と呼ぶのだろう。

 颯太が頭を抱えていると、光がとても分かりやすく言い換えてくれた。

「つまり…………ストーカー?」

 ストーカー。
 自分には一生縁のないと思っていた単語を突然突きつけられ、颯太の頭から血の気が引いていった。

「ストーカーって…………。確かに彼女だとか言ってたけど……。合鍵とかもちょっと何で持ってるのか分かんないけど……。でも僕、倉橋さんに好かれてるなんて一度も思ったことないよ」

 颯太はずっと優姫に想いを寄せていたのだ。もしも優姫が颯太に対して気のあるそぶりを見せていたなら、颯太は気づいていたのではないか。
 そう思って控えめに主張するが、颯太の言葉はあっさりと親友によって切り捨てられた。

「気づいてなかっただけだろ。デートして勘違いが悪化したんだろうな。合鍵は……たとえば鍵の入ったバッグを置いて、倉橋さんのそばから離れたりしなかった?」

 光の指摘に、颯太は昨日の記憶を掘り起こす。いかんせん緊張していたこともあり、全ての出来事をはっきりと覚えているわけではない。
 しかし、待ち合わせから順番に思い返してみて、颯太は「あ」と声を漏らし、顔を強張らせた。

 映画の上映前。
 待ち合いホールに設置されているソファーに、二人は並んで座っていた。入場までは少し時間があったので、ドリンクを買いに行こうと颯太は立ち上がった。優姫も着いてこようとしてくれたが、颯太は断ったのだ。
 できれば奢ってあげたかったし、二人で席を立っている間にソファーが埋まってしまったら、入場まで立ったまま待たなければいけなくなってしまう。ヒールを履いている優姫は、きっと座っている方が楽に違いない。
 そう考えた颯太は、「倉橋さんはここで荷物を見ててくれる?」と優姫にお願いしたのだ。少ない手荷物の中から財布だけを持ち、颯太は二人分のドリンクとポップコーンを買いに行った。

「……映画前。倉橋さんに荷物を預けて、飲み物を買いに行った、かも……」
「ちなみにその後倉橋さんが一人で行動は……してるか。映画前後にトイレに行くのなんて普通だし、出入口を見てるはずもない」

 まさに光の言う通りだった。女性はトイレに行く際に化粧直しをすることもある、と颯太も知っていたので、帰ってくるまでに時間がかかっても気にしていなかった。
 もちろんトイレの出入口を見て待っているのは失礼なので、優姫がどこか別の場所に足を運んでいたとしても、颯太は気づかなかったに違いない。

 映画館の入っているショッピングモール内に店があったなら、合鍵は簡単に作れただろう。映画の前にトイレに行くと偽り、合鍵作成の依頼をする。そして映画が終わった後、どこかのタイミングで引き取りにいけばいいだけだ。元の鍵だって、颯太のバッグにこっそり戻せばいい。行動に移す度胸さえあれば、思いの外簡単かもしれない。