二人は夕飯を温め直して食べた。最後の晩餐だな、と光が笑うので、颯太も笑い返す。
最後にはならないよ、と言いたかったけれど、ギリギリのところで飲み込んだ。光の犯した罪は、決して軽いものではない。自首した後も、取り調べや現場検証など長い時間をかけて、事件の裏付けを取っていくに違いない。
光にどんな裁定が下されるのか、颯太には分からない。どうなるか分からないから、未来の話をすることは躊躇われた。
「俺、明日の朝イチに警察署に行く。……嫌かもしれないけど、颯太も着いてきてくれねぇ?」
「何言ってんの、そんなの当たり前じゃん」
「ありがとな。じゃあその前に美味いコーヒーでも飲んで行こうぜ」
明日自首をするというのに、光はやけに明るい声で笑った。たくさん泣いたせいで、光の目は腫れぼったくなっている。しかし憑き物が落ちたように、どこかすっきりした表情に見えた。
颯太が洗い物をしている間、光は「明日、何持っていくかなぁ」などと遠足に行く前の子どものような発言をしている。向かう先は警察署。しかも自首しに行くのだから、明るい気分でいられるはずもないというのに。
洗い物を終わらせて、颯太は光の部屋に足を踏み入れた。
「倉橋さんのスマホと……あと、使った道具とかは?」
「証拠品か。あ、そしたら颯太の実家から持ち出した宝石とかも、まとめて持って行った方がいいよな」
「うん、あるならその方がいいと思う」
光はスポーツバックの中に、犯行に使用した道具や車の鍵などを入れる。その後、光が小さな金庫から取り出したのは、颯太も見覚えのある宝石だった。母がよく身につけていたもので、事件の夜になくなったものの一つでもある。
光の手の中の宝石に、今でも母の指紋が残っているのかは分からない。それでも過去の写真や映像と併せれば、颯太の母が所有していたものと断定できるかもしれない。
他にも颯太の父が愛用していた財布、封筒に入った札束などが出てきた。持ち出したものは全て手付かずのまま金庫にしまっていたらしい。
光がさらに何かを取り出そうとして、「颯太あっち向いてて」と手をひらひらさせる。
颯太は素直に視線を逸らしながらも、「もしかしてエロ本?」と冗談を言ってみる。友達が多いからか、光はその手の冗談には慣れたもので、「俺はデジタル派です〜」といらない情報をくれた。
「よし、オッケー。もう全部しまったし、こっち向いて大丈夫」
「結局何だったの?」
「あー…………凶器?」
「…………あー、うちの事件のか」
「ん」
光は短い声で返事をして、カーペットの上に仰向けに倒れ込む。天井をぼんやりと眺めながら、光は颯太の名前を呼んだ。
「どうしたの、光」
「今晩さぁ、俺が眠るまでこの部屋にいてくれない?」
「…………いいけど、珍しいね」
「な、ビビってんのかな、俺」
そう言って笑う友人は、天井のライトの眩しさに目を細める。
明日、自首をするのだ。犯した罪を告白すれば、二度と元の生活には戻れない。怖くなるのは当然のことだろう。
実を言えば、颯太も不安だった。
明日、一緒に警察署に行く。でも、その後はーーー?
今まで通りの生活は送れない。間違いなく周りからは騒がれるし、また事件当時のように哀れみの目で見られるだろう。それ自体はきっと耐えられる。どうしても嫌なら、ほとぼりが冷めるまでは大学を休んでもいい。
祖父母はきっと悲しみ、心配してくれるだろう。優姫の両親にも改めて真実を話して謝罪をする必要がある。嘘を吐いてしまったので、真野絵梨花にも謝らなければいけない。でもどれも不安の原因ではなかった。
明日を過ぎれば、颯太の隣に、光はいない。
両親を殺されたときも。自殺を考えたときも。学校で浮いてしまっていたときも。
どんなときも、光は颯太のそばにいてくれた。周りが颯太への接し方に悩む中、光だけが当たり前のように笑いかけてくれた。それがどれほど颯太の支えになっていたのか、きっと光は知らない。
「久しぶりにホラー映画鑑賞会でもする?」
「やだよ、最後の夜に隣にいる相手がニセくんとか!」
「あはは。それは僕もなんか悔しいかな。でもたぶん、入れ替わらないよ」
颯太の言葉に、光は首を傾げた。確信はない。今もきっとニセくんは颯太を通じて外の世界を眺めていて、颯太の心が悲鳴をあげればいつでも駆けつける準備はできているに違いない。
でも、だからこそ思うのだ。ニセくんが颯太のことを本当に大切に思ってくれているのなら、光と過ごす最後の夜を、きっと颯太から奪ったりはしない、と。
結局二人は夜通し起きていた。
眠るのが怖かったのかもしれない。寝て起きたら二人で警察署へ向かう。そう決めていたから、その時間がやって来なければいい、と心のどこかで思っていたのかも。
それに颯太は不安だった。もしも少しでも目を離したら、光が最悪の決断をしてしまうような気がして。
光が眠りについたとしても、颯太はずっと起きているつもりでいた。結局光も眠ることはなかったので、ぽつりぽつりと言葉を交わし続けたけれど。
時計の針がぐるりと半周する頃、さすがに眠くなってきたよね、と颯太が欠伸をこぼすと、光は困ったような顔で笑った。
「付き合わせちゃってごめんな。でも、大丈夫。自殺とかは、考えてねえから」
「…………なんで僕が不安に思ってること、分かったの?」
「なんとなく? 逆の立場だったら俺も絶対に目を離さないだろうし」
そう言いながら光も小さく欠伸をこぼした。
結局、朝の七時から九時までの二時間だけ、二人は仮眠をとった。先に目を覚ましたのは颯太だった。どうやら光の寝返りに反応して起きてしまったらしい。まだ眠気は去っていないが、颯太は光が起きるまでそのまま待っていた。
光が目を覚ますと、二人は朝の挨拶を交わし、まるで大学へ行く日の朝のようにいつも通り出かける準備をした。
家を出るとき、光は少しだけ名残惜しそうな顔を見せた。部屋を振り返り、じっと家の中を見つめた後、行ってきますと呟いた。
警察署に向かう颯太の足取りはひどく重かった。しかし光は一度も足を止めず、俯くこともなかった。
辿り着いた先が物々しい看板を掲げていても、光は躊躇わない。すでに覚悟は決まっているようだ。
そこからの記憶は曖昧だ。ニセくんに入れ替わったわけではない。たぶん、ずっと颯太のままだったはずだ。しかし、光の語る罪の話はやけにスローモーションに聞こえるのに、周りの警察の動きはひどく慌ただしく見えた。視覚と聴覚の情報がちぐはぐで、気持ち悪かったことは印象に残っている。
「自首しに来ました」と光が伝えると、最初に出てきたのは若い男の警察官二人組だった。詳しく話してくれる? と優しい口調で訊いてくれたので安心していたが、光の語る内容を聞いているうちに、様子が一変した。
それから他の警察官もやって来て、光は何度も同じ話を繰り返しさせられた。そして一人増えるたびに、付き添いの颯太を見て、なんだこいつは、という顔をする。
友達です、と颯太は答えたが、警官が被害者の遺族です、と付け加えた。
どれくらいの時間が経ったのか分からない。すっかり体力が削られ、疲れ切った頃、颯太だけが帰宅を許された。これは予想の範疇だった。別れ際、光が颯太の名前を呼ぶ。
「颯太! 元気でな。ニセくんに負けんなよ」
「……光こそ風邪ひかないでね。またね、光」
未来の約束を口にする颯太に、光は一瞬だけ泣きそうな表情を見せた。それから無理矢理笑顔を作り、「バイバイ、颯太!」と突き放す言葉を口にする。
颯太は涙を堪えて、もう一度またね、と繰り返してやった。二人がケンカになると、意見を曲げない光に颯太が負けてしまうことが多い。でも、これだけは負けてやるもんか、と颯太は強く思った。
別れの挨拶は、「バイバイ」じゃない。再会の願いを込めた「またね」だ。
警察署からの帰り道、やけにお腹が空いていることに颯太は気づいた。そういえば昨晩、カフェでモーニングを食べてから警察署へいこうと約束したのに、すっかり忘れてしまっていた。
何度も光と訪れたことのあるカフェに一人で入り、颯太はたまごサンドとコーヒーを注文した。何度も食べているたまごサンドは、お気に入りの味のはずなのに、今日はなぜかやけに、しょっぱく感じた。