颯太が寝込んでいる間に、光は倉橋優姫と西野花梨の告別式に参列したらしい。二人とも大事な友人なのに、別れの挨拶すらできなかったことを颯太は悔やんだ。
数日後、光の提案で、颯太は優姫の家と花梨の家にお線香をあげにいくことにした。
本来ならそれだけでは足りない。少なくとも優姫の家族には、説明をしなければならない。
優姫の自殺の原因は、颯太にあること。颯太に別の人格があり、ニセくんが優姫と付き合うという言葉を交わした。そして颯太がそのことを知らなかったために、優姫をストーカー扱いしてしまったこと。たぶんそのせいで、優姫は自殺を選んでしまったことを。
しかし、まだ話すことはできなかった。全てが明らかになったなら、そのときは偽ることなく謝罪する。颯太はそう心に決めた。
花梨の家ではひやりとする出来事があった。花梨の母が、「颯太くんはついこの間花梨ちゃんと会ってたのよね、何か言ってなかった?」と訊ねてきたのだ。
花梨と会ったことは光には秘密にしていたので、颯太は肝が冷えた。
「僕は何も聞いてないです。に……花梨さんとは、大学の話と昔話しかしてないので」
嘘を交えながら答えた颯太のことを、光がじっと見つめているのは伝わってきた。きっと花梨と会ったという話について、何か言いたいことがあるのだろう。
常識を持ち合わせている光は、もちろん花梨の両親の前でそんなことを訊いたりはしない。颯太も光の視線には気づかないふりをして、花梨の母の話の続きに耳を傾ける。
「そう……。じゃああの子が事故にあった……水曜日の夜中、誰と会ってたかも……」
「誰かと一緒だったんですか?」
颯太にとっては初めて聞く情報で、思わず目を見開く。隣にいる光が、眉をひそめ、小声で情報を付け足す。
「一人で飲んでたわけじゃないらしい。誰かと一緒だった、って」
「え…………。じゃあ事故、のとき……」
「そのときには確かに一人だったみたいなの。トラックのドライブレコーダーには花梨しか映っていなかったから……。きっと、そのお友達は先に帰ったのね……」
もしかしたら花梨の両親は、事故の少し前まで一緒にいた友人を、責めたいのかもしれない。
もしあなたが隣にいれば、花梨は道路に飛び出したのを止められたのに、と。
しかし颯太の予想は外れた。
花梨の両親はどこまでもいい人で、「花梨ちゃんが亡くなったことで、そのお友達が自分を責めていないか心配なの」と泣きそうな顔で笑った。
自分たちの大事な愛娘を失って、それでもなお娘の友人を心配する。花梨がいつも明るく笑っていたのは、きっとこの優しい両親に育てられたからなのだろう、と颯太はぼんやり考えた。
花梨の家からの帰り道、颯太と光の間には重い沈黙が流れていた。まとわりつくような重い空気は、ため息をこぼすことすら許されない気がした。
沈黙を破ったのは、光の低い声だ。
「……花梨と会ったって、いつの話?」
必ず訊かれるだろうと思っていたことだ。花梨の母の口からその話が出たときから、颯太はずっと考えていた。花梨が亡くなり、ニセくんの存在を光も認めているのだから、隠す理由もない。カメラのことだけは伏せて、他は正直に答えるべきだろう。
「同窓会の翌日。倉橋さんが亡くなったって報せが入った、あの日だよ」
「聞いてねえよ。…………つまりそのときにニセくんについて花梨から聞いて、颯太は知ってたってこと?」
「ううん、はっきりとは聞いてないよ。ヒントをもらっただけ」
光は歩きながら空を見上げ、不満気な声を上げる。
光は颯太が花梨に何か言われないか警戒していたのだ。
結局颯太は光の忠告を無視して、花梨と会って話をしてしまった。せっかく心配してくれていたのに申し訳ないという気持ちは確かにある。しかし、花梨と会っていなかったら、颯太は今もニセくんの存在を知らないままだった。
「ごめん、光には内緒にしてほしいって、西野さんに頼まれてたんだ。……西野さん、光のことすごく心配してたよ」
颯太の言葉に、光は口を尖らせる。
「俺だって颯太くんのこと心配してたんですど?」
「ごめんって」
「それにしても、同窓会の次の日とはね。花梨の行動力を侮ってたな」
光の発言からは、できるなら颯太に別人格のことを悟らせたくなかった、という思いがひしひしと伝わってきた。
結果として颯太はショックこそ受けたが、ニセくんに乗っ取られずに済んだ。しかし光が心配していた最悪の可能性も、なかったとは言い切れないのだ。
心配させてごめん、と颯太が謝ると、光は小さなため息をこぼし、「まあ過ぎたことだしもういいよ」と笑ってみせた。
倉橋優姫の家についたのは、事前に連絡した通り、夕方過ぎだった。
緊張しながらインターホンを押すと、白髪の目立つ疲れ切った顔の男が出てきた。優姫の父です、と名乗ってくれたので、颯太も慌てて自己紹介をする。
「優姫さんの大学の友人の……笹木颯太です。……このたびは……」
「ああ…………、わざわざすみませんね」
声に覇気がなく、どうぞ、と家の中を指す手もかさかさに乾いていた。
ひどく疲れているように見えるのは、きっと目の下に色濃く残る隈のせいだろう。
優姫の遺影に手を合わせ、線香をあげる。写真の中の優姫は、颯太が好きだった優しい笑顔を浮かべている。
清楚でかわいらしい、優しくてお姫様のような女の子。
颯太は心の中で優姫に何度も謝った。
ごめんなさい。倉橋さんは嘘をついていなかった。たぶん本当に僕たちは付き合うことになったのに……、ストーカー扱いして本当にごめん。怖がって逃げて、ちゃんと話を聞こうとしなくてごめん。倉橋さんとの大事なやりとり、何も覚えていなくてごめん。倉橋さんに死を選ばせるほど追い詰めてしまって、ごめんーーー。
謝罪の言葉は次々と脳内に浮かび、閉じた瞼の裏が熱くなる。
光に肩を叩かれるまで、ずっと颯太は遺影の前で手を合わせていた。ごめん、と何度繰り返してみても足りない。どんなに悔いても、優姫は二度と帰ってこないのに。
涙の浮かぶ目をこすり、颯太は立ち上がった。
優姫の父は颯太と光のために紅茶を淹れ、ケーキまで用意してくれていた。事前に連絡しなければ失礼だと思って電話をしたのだが、かえって気をつかわせてしまったのかもしれない。
「生前は娘と……優姫と、仲良くしてくれてありがとうございます……」
「いえ……。優姫さんがいつも優しく声をかけてくれたんです」
「佐久間くん、式にも来てくれたのにありがとう」
「…………おばさんの調子はどうですか」
お礼を言われた光は、ためらいがちに質問する。
優姫の家に来る前、光から聞いた情報では、優姫の母は娘を亡くしたショックで精神を病んでしまったらしい。
「今日も病院に行ってきたんですよ。でも、現実を受け止めきれるまで、ゆっくり待つしかないようでね……」
優姫の父の声は、ひどく寂しそうだった。
突然の娘の死。それも自死だ。親にとっては相当ショックだったに違いない。娘の死を悲しむ間もなく、妻まで精神を病んでしまったのだから、優姫の父親が疲れ切っているのも無理はない。
今は白髪と隈が目立っているが、もしかしたら娘の死を聞くまでは、もっと若々しかったのかもしれない。颯太はそんなことを考えた。
「優姫の死は悲しくて堪らないんですが……今は、妻を支えることに必死で……何も考えられないんです。ダメな父親ですね……」
ぽつりと呟かれた言葉に、颯太は何も言えなかった。隣に座る光もまた、俯いて唇を噛んでいる。
そんなことないですよと言っても、きっと何の慰めにもなりはしない。
優姫が自殺してしまったことは変えようのない事実なのだ。
颯太はぎゅっと拳を握り、涙を堪えた。
泣いてはいけないと必死に言い聞かせながら、遺族の悲しみを正面から受け止める。それが、颯太の犯した罪に対する、罰なのだと信じて。