颯太は電気屋に寄って、カメラを探した。長時間録画で音声にも対応、そして充電しながら録画できるもの。店員に相談すると、小型の防犯カメラがいいのではないか、と言われた。
 ペット用の防犯カメラなどでは、スマートフォンから録画映像を見ることもできるらしい。颯太は悩んだ結果、一番性能の良さそうなものを購入した。

 颯太が光の家に着く頃、ようやく光からメッセージの返信があった。ちょうどカメラをリビングに仕掛けようとしているときで、颯太は驚いて飛び上がってしまった。

『話を聞いてもらえるのは嬉しいけど、あんまり無理すんなよ!』

 親友からのメッセージは颯太を気遣う優しいものだ。今自分がしている行為を、颯太が恥ずかしいと思ってしまうくらいに。
 光からのメッセージをしばらく眺め、それでもカメラの設置をやめなかったのは、花梨の言葉を思い出したからだ。
 『それ』は、光が一人で抱えて生きていくには重すぎる。このままじゃいつか光が狂ってしまうかもしれない。
 光の背負っている秘密がどんなものなのか、颯太には皆目見当もつかない。しかし、光を押し潰してしまうかもしれない何かがあるというのならば、颯太は『それ』を一緒に背負いたいと思うのだ。

 颯太はリビングに置かせてもらっている自分の荷物の隙間にカメラを隠してみた。
 光の性格上、おそらく颯太がいないときでも勝手に荷物を漁ったりはしないはずだし、ここならばいつでも颯太が回収できる。
 カメラを起動した後、何度か位置や角度を調整し、問題なく撮れるように固定をした。そしてレンズだけは覆わないよう気をつけながら、罪悪感の塊を自分の荷物で見えないように隠すのだった。


 アルバイト中、颯太はカメラのことが気になって堪らなかった。
 カメラの存在が見つかれば、間違いなく颯太と光の関係にヒビが入ってしまう。覚悟を決めた上でカメラを設置したはずなのに、颯太は不安と恐怖で落ち着かなかった。

 バイトが終わった深夜一時。
 光の家まで走る颯太の元に、一件の着信があった。知らない番号からの電話は、いつもなら絶対に出ない。詐欺やセールスの電話だったら面倒だからだ。でも颯太はなんとなく、急いでいた足を止め、通話の文字をタップした。
 なぜか、胸騒ぎがした。

「…………もしもし?」

 颯太が電話に出ても、相手からは何も応答がない。間違い電話か、もしくはいたずら電話かもしれない。
 何か嫌な予感がして、知らない番号からの電話に出てしまったが、やはり出るべきではなかっただろうか。

「もしもし? どちら様ですか?」

 電波が悪くて声が届いていない可能性も考え、颯太はもう一度電話の相手に呼びかける。相手の返事を待ちながら、一度止めた足を再び動かし、夜の暗闇の中を颯太は歩き始めた。
 少しの間待ってみたが、電話口からは返答がない。しかしよく聞くと、遠くから誰かのすすり泣く声がしている。颯太は驚いて再び電話の相手に呼びかけた。

「どうしました、大丈夫ですか?」

 適当に番号を押して電話をかけた、誰かのSOSかもしれない。
 昔、両親が殺されたあの事件の日、泣き叫ぶことしかできなかった颯太。あの日の颯太のような誰かが、電話の向こうで泣いているのかも、と一度想像してしまえば、放っておくことはできなかった。

「大丈夫ですか? 泣いてますよね。とりあえず落ち着いて深呼吸をしてみませんか」

 状況が分からないながらも、何とか相手が落ち着けるよう呼びかけてみると、今度ははっきりと泣き声が聞こえてきた。女性の声だった。
 ぐす、ひぐ、と嗚咽をこぼす声を聞いていると、呼吸をできているのか心配になってしまう。颯太が再び声をかけようとしたときだった。電話口から細い声が、颯太の名前を呼んだ。

『さ、さき、くん……』
「えっ……?」

 まさか知り合いだったとは。慌てた颯太は再び名前を訊ねるが、電話口の女性は答えることなく、泣きながら何かを話し始める。

『見つかったの……でも、もう…………しん、じゃって、て……』
「あの……?」
『優姫ちゃんっ、死んじゃった…………!』

 その言葉の意味を理解した瞬間、颯太の全身に怖気が走った。手から滑り落ちたスマートフォンは、弾みでスピーカーに切り替わる。

『山の中で……今朝、見つかったって……。私、電話もらって……、でも、信じられなくて……』

 倉橋優姫が、死んだ?
 行方不明だったはずの優姫が、今朝、山の中で見つかった。それもなぜか、死体の状態で。
 全身の血の気が引き、颯太は道の端にしゃがみ込む。震える手でどうにかスマートフォンを拾い上げ、スピーカーをオフにする。再び耳に押し当て、颯太は電話の相手と思しき女性の名を呼んだ。

「真野、さん……?」

 優姫の友人である、真野絵梨花。どうして絵梨花が颯太の連絡先を知っているのかは分からない。しかし話の内容、声や喋り方、今ある情報をかき集めると、電話の相手は絵梨花以外にあり得なかった。

『笹木くん……優姫ちゃんが、いなくなっちゃった……死んじゃったよぉ……!』

 電話の向こうで号泣する絵梨花に、かける言葉が見つからなかった。


 そこからの記憶は曖昧だ。
 颯太は混乱する頭で必死に絵梨花を宥め、居場所を聞き出した。タクシーで絵梨花の元まで駆けつけ、泣きじゃくる絵梨花の背中をさすっていたらしい。
 らしい、というのは、颯太も後から光に聞いた話だからだ。
 バイトが終わる時間をかなり過ぎているのに、なかなか帰ってこない颯太を心配し、光は颯太に電話をかけた。そして事情を聞いた光が、迎えに来てくれたのだった。

 颯太はそれから数日の間、抜け殻のように過ごしていた。バイトなどは事情を説明して休んだようだが、それもあまり記憶にない。
 光は颯太のことを心配して、かなり世話を焼いてくれた気がする。大学やバイトには休まず行っているが、光は出かける前に必ず颯太に「本当に一人で大丈夫か?」と訊いてくれた。
 親友の優しさがありがたくもあり、同時に心がひどく傷んだ。優しくしてもらえる価値など、颯太にはない。そう思えて仕方がなかった。
 
 倉橋優姫は自殺だったらしい。山の中で首を吊っているところを、登山客によって発見された。
 死後三週間は経っていて、逆算すると颯太の家に乗り込んできたあの日付近に死を選択したようだった。
 絵梨花が話していた通り、バイトを無断欠勤した後、本当に家に帰っていなかったのだろう。

 颯太に振られたこと。さらに自分の行為がストーカーのそれだと指摘され、優姫はショックを受けた。そして人に見つかりにくい山中で、首を吊ったーーー。

「…………僕のせいだ……」

 呟いた言葉は、広いリビングに溶けて消えていく。カチカチと鳴る時計の針の音だけが響いていて、颯太はただぼんやりと、その音を聞いていた。

 せめて颯太が逃げずにあの場で話をしていれば、結末は違ったのだろうか。友人の光を介して、優姫の存在を拒否してしまった。
 そんなのは、お前の顔なんて見たくないと言っているのと変わりがないのではないか。
 颯太の選んだ行動が、優姫に自殺という最悪の選択をさせてしまったような気がしてならなかった。

 遺品から身分証や財布などは見つかったが、優姫のスマートフォンだけは未だ見つかっていないと聞いた。もしかしたら颯太のアパートで電池切れのスマートフォンが見つかるかもしれないが、他の場所にないとも限らない。スマートフォンが見つかれば、優姫が死の直前にデートした相手が颯太だと分かるのも時間の問題だ。

 颯太は優姫の家族に事情を説明し、謝罪をしに行かなければならない。本当ならすぐにでもそうするべきだった。しかし颯太はずっと光の家から出られずにいた。やるべきことは分かっているのに、身体がひどく重い。頭もずきずきと痛んで、起き上がっていることすらままならなかった。
 優姫が失踪の直前に彼氏ができたと言っていたことや、これから会いにいくという発言。そしてその後連絡が取れなくなり、遺体として見つかったことから、家族からすれば彼氏とトラブルがあったと考えるのが自然だろう。
 優姫の家族の連絡先は分からないが、優姫の友人だった絵梨花が取り次いでくれるかもしれない。よく回らない頭で久しぶりにスマートフォンを手に取る。充電器に差しっぱなしになっていたので、電池は満タンになっていた。

 ロックを解除すると、メッセージアプリには見たことのない数の通知が溜まっていた。
 きっと同じ大学で学科だった友人たちが、優姫の死を悼んでいるに違いない。ぼんやりと考えながら颯太はアプリを立ち上げ、目を疑った。
 一番多く通知が来ているのは、先日集まった同窓会メンバーで作ったグループのトーク欄。そのメッセージに、颯太の知らない情報が記されている。

『西野花梨さんの通夜及び告別式のお知らせ』

 同窓会の幹事だったクラスメイトが送信したメッセージだった。
 そこには続けて詳細が書かれている。
 一昨晩、水曜日の深夜、西野花梨は泥酔状態で大型トラックの前に飛び出してしまった。すぐにトラックの運転手が救急車を呼んだが、救急隊員が到着したときにはすでに花梨は息を引き取っていた。
 花梨が一人だったこと。花梨の足元が覚束なかったこと。そして他の車の影からふらふらとトラックの前に飛び出してきたことが、ドライブレコーダーの映像で確認されたそうだ。

「…………なんで、倉橋さんに、西野さんまで……」

 答える人はどこにもいないのに、颯太は絶望を口にせずにはいられなかった。
 優姫の自殺は、おそらく颯太に原因がある。しかし花梨の死は事故で、颯太には直接的な関係はない。そう分かっていても、自分に関わる人が立て続けに亡くなったショックは大きかった。

「疫病神かよ……」

 最初に死んだのは両親だった。強盗は颯太だけを生かし、颯太の両親を刺し殺した。
 次は倉橋優姫。同じ大学の友人で、颯太の好きだった人。デートをするほど仲がよくなれていたのに、彼女は自ら首を吊ってしまった。颯太が優姫の行動に怯え、彼女を突き放したからだ。
 そして西野花梨。初等部から高等部まで同じ学校に通っていた、颯太の初恋の人。明るい笑顔と光に想いを寄せているところは昔と変わらなかった。確か花梨は日曜日に光と会う約束をしていた。光のことを救いたいと心配していた花梨は、光とのデートの約束を楽しみにしていただろう。酔っ払っていなければ、事故にあうこともなく、光ともまた付き合う未来があったのかもしれないーーー。


 ふと、颯太は思い出した。
 光の家のリビング。つまり今颯太がいるこの場所に、颯太はこっそりカメラを仕掛けていたのだ。花梨にアドバイスをされてカメラを仕掛けたが、その夜に優姫の死を知り、すっかり忘れてしまっていた。
 颯太はひどく重い身体でカーペットの上を這うように移動し、カメラを回収する。花梨が亡くなってしまったのなら、盗撮する意味はないだろう。
 光を救いたいという気持ちは確かに颯太の心にあったはずなのに、疫病神である自分が親友を救うことなどできるはずがない気がした。

 スマートフォンのアプリから、カメラで録画した映像を早送りで流していく。
 このカメラも、光のプライバシーを侵害しただけの意味のないものだったな、と颯太が考えていたときだった。

 早送りで流れる映像に違和感を覚え、颯太は少し巻き戻しをする。今度は倍速ではなく普通に再生するが、リビングで光と颯太が会話をしているだけの、普通の光景に見えた。

 違和感は気のせいだったのかもしれない。
 それにしても小型カメラだというのに、随分と画質がいい。光の嫌悪感たっぷりの表情まで、はっきりと録画されている。そこで颯太はようやく違和感の正体に気がついた。
 光は、颯太にこんな表情を向けたりしない。嫌いなものを、汚いものを見るような目で、颯太のことを見たことなんて一度もない。

 重かった頭が一気にクリアになった気がした。颯太はスマートフォンの音がオフになっていることに気づき、慌てて音量を大きくする。そしてもう一度動画を戻し、再生する。
 画面の中の光が、部屋から出てきて「お、颯太起きてるじゃん。なんか食えそう?」と優しい声をかけてくれている。その表情には心配の色が浮かんでいて、いつも通りの光に見えた。

「俺がお前の手作り料理を食うの? 勘弁してよ」
「うっわ……なんだ、ニセくんかよ」

 光の顔が嫌悪に歪む。颯太は混乱して、一時停止の文字をタップしていた。
 自分の耳に聞こえている声とは少し違うが、光に答えたのはきっと颯太の声なのだろう。
 でも、何かがおかしい。いや、違う。全てだ。全ておかしい。
 震える指で再生をタップすると、光は颯太の方を見ようともせず、それでも颯太に向かって話しかけた。

「つーか最近ニセくん率高いな。颯太かなり参ってる?」
「だろうな。だから言っただろ、お前のせいだって」
「事件の日の話をしちゃったのは悪かったと思ってるって。颯太にもちゃんと謝ったよ」

 二人は会話をしているが、全く目を合わせない。互いに興味がないとでも言いたげに、全く別の方向を見て話をしている。
 画面の中の颯太が振り返り、カメラに目線を送った。ニヤリと浮かべた笑顔は、生まれてこの方颯太が一度も見たことのない、自分でも知らない表情だった。
 この颯太はカメラの存在に気づいている。いや、知っているのだ。だってカメラを仕掛けたのは、他ならぬ颯太自身なのだから。

 颯太の顔と声をした、颯太ではない誰か。
 光が『ニセくん』と呼び、当たり前のように会話をしている相手は、誰だ?
 颯太と同じ姿形をしていて、颯太ではないもの。颯太の偽物。
 だから、『ニセくん』ーーー?

 この身体は、何かがおかしい。この身体の中に、別の誰かが住んでいる。別の人格が、存在しているーーー。

 寒くないはずなのに、全身に鳥肌が立っていた。颯太はやけに速い心臓の音を聞きながら、自分の身の回りに立て続けに起こった事件について、考えを巡らせた。