「中三のときのメンバーで集まるらしいんだけど、颯太、一緒に行かない?」
大学の講義の合間の休憩時間、光が颯太に問いかけてきた。メッセージアプリのトーク画面を見せられて、颯太はそこに並ぶやりとりに目を通す。光の言葉通り、プチ同窓会をするという内容だった。
颯太は大学を外部受験して、外の世界に飛び出した。
しかし、ほとんどの生徒はそのまま大学に進学しているはずだ。それなのにわざわざ同窓会をするのか、と颯太が考えていると、光が同じようなことを口にする。
「大半は同じ大学なのにな。外に出た身としてはありがたいけどさ」
「でも学部が違うと履修も違うし、そもそも通ってるキャンパスが違って会わないのかも」
そう言いながらも、颯太はなんとなく別の理由に気付いていた。きっとみんな、外部受験をして会えなくなってしまった光に会いたいのだろう。
「僕は不参加かな。でも光は行ってきなよ、きっとみんな喜ぶよ」
大学の友人、アルバイト仲間。その関わりだけで、颯太には十分だ。会いたい友人はいるが、同窓会に参加するほどではない。
颯太の言葉に、光は目を丸くした。それから心底不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げる。
「え? 颯太が行かないなら俺も行かないけど」
光は相変わらず颯太の行動に合わせてくれる。自分で決める決断力も光にはあるのに、なぜか颯太と同じにしようとするのだ。
いつだったか、一度だけ訊いたことがある。
どうして光は友達が多いのに僕なんかの真似をするの? 僕が可哀想だから合わせてくれるの? と。
そのとき光は大きな目を丸くして、それから恥ずかしそうに笑ったのだ。
『俺が颯太と同じ道を選ぶのは、俺のためだよ。颯太と一緒だと俺が安心するから』
光の言葉に嘘はないようだった。颯太を気遣う面がないわけではないだろう。しかし光自身が颯太と一緒にいて安心できると思っているのなら、それを否定する理由は颯太にはなかった。
光の意思で選んでいるなら問題はないし、何より颯太も嬉しかったからだ。
遠い記憶を思い返しながら、颯太は同窓会の話に意識を戻す。
「光が行きたいなら、僕も一緒に行くけど」
「えっマジ? 無理してない?」
「無理はしてないけど。でも一つ質問していい?」
きっと光は同窓会に行きたいのだろう。友達の少ない颯太に合わせようとしてくれているが、やはり会いたい友達がいるのかもしれない。
交換条件という訳ではないが、同窓会に参加するならばその前に訊いておきたい、と思ったことがある。
何? とためらいなく首を傾げる光に、颯太も迷わずその質問を投げかけた。
「あの頃かなり噂になってたけど……光って西野さんと付き合ってたの?」
西野花梨は颯太の初恋の人だ。
花梨はいつもクラスの中心にいるような美人で明るい性格の女の子だった。少し気の強いところはあったが、そんなところも含めて男子からは人気があった。
初等部の頃から光と花梨は仲が良かった。二人が付き合っていると噂になったことも、颯太はよく覚えている。
実際に二人が付き合っていたのか、颯太は知らない。光の性格上、もしも颯太の初恋の人と付き合い始めたなら、律儀に報告してきそうなものだが。
気まずい表情で、光が曖昧な口調で言葉を紡ぐ。
「いや……付き合って…………なかった、ような、そうでないような……」
いつもハキハキとしていて元気のいい、ともすればうるさすぎるくらいの光が、言い淀んでいる。そのことが珍しくて、颯太はつい身を乗り出した。
「大丈夫大丈夫! 初恋って言っても今も好きなわけじゃないし、あの頃もしも光が西野さんと付き合ってたとしても怒ったりしないから!」
「颯太、おもしろがってるな?」
「あ、バレた?」
思えば光の恋愛話というのはほとんど聞いたことがない。意外と恥ずかしがりなのかもしれない。
颯太にからかわれて、光は不貞腐れて口を尖らせる。子どものような仕草なのに、光がやれば絵になるのだから悔しい。
しばらく何やら文句を言っていた光だが、本当に答えれば一緒に同窓会に行ってくれんの? と訝しげに颯太に問いかけてくる。
その問いを聞き、颯太はようやく自分の勘違いに気がついた。光の目的は『颯太を同窓会に参加させる』ことだ。
「行くよ、約束する」
「んー、ならまあいいか。花梨に告られて、一回振ったんだよ。中一の冬だったかな……。でもその後、ちょっといろいろあって、付き合わされてた……?」
「えっ、なに、どういうこと!? 脅されてたとか!?」
端的に言うとそうなるな、と冷静に呟く光に、颯太は慌てて謝罪の言葉を口にした。
「ごめん。知らなかったとはいえ、面白がってからかったりして」
「ん? まあ言ってなかったし。それより颯太、約束は守れよ?」
同窓会、一緒に行くんだからな! と念を押す友人に、颯太は訊ねた。
どうしてそこまでして颯太を同窓会に連れて行きたいのか、と。
詳しく聞いたわけではないが、先の話を聞く限りでは、光は花梨と顔を合わせたくない可能性もある。それなのにどうして、と颯太は不思議に思ったのだ。
「あー、思い出してほしいことがあるんだよな」
「思い出す? 何を?」
「その上で許してほしいっていう。まあ、つまり俺の自己満足?」
光の言い分はさっぱり颯太には分からなかった。しかし話を聞く限りでは、光は無理をしているわけではなく、自分の意思で颯太と共に同窓会に行きたいと考えているのだ。
僕は何を忘れているのだろう。
颯太の不安な気持ちに気づいたのだろう。光がいつもの明るい笑顔で颯太を小突いた。
「そんな深刻なことじゃないから不安そうな顔すんなよー!」
光が嘘をついた。
嘘をつくときの癖には気づいているが、本人に指摘したことはない。
深刻なことではないと嘘をつくのなら、つまりそれは、颯太が大事な何かを忘れているということだ。
大事な何かって、なんだ?
自分の心に問いかけながら、颯太は光を安心させるため、笑顔を作った。
光の家のリビングのソファーはすっかり颯太の寝床になってしまっている。二週間も経てば、颯太はソファーで寝ても身体が痛くならない方法を身につけ始めていた。
バイトには復帰しているが、今も颯太は光の家に泊めてもらっている。そろそろ自分のアパートに帰らなければ、と思う気持ちはあるのだが、突然家の鍵を開けられたあの瞬間を思い出すと、どうしても帰るのが怖かった。
アパートの管理人に事情を説明して、念のため鍵を交換すればいい。もしくは家賃の安いアパートを探し、早急に引っ越すべきだろう。
やるべきことは分かっているのに、なかなか行動に移せないのは、光の家で過ごす時間が颯太にとって居心地がいいからだ。親友の優しさに甘えること二週間。
今日もアルバイトに向かった光を見送り、颯太はソファーに横になる。天井を眺めながら、翌日に控えた同窓会のことを考えた。
中等部三年のときのクラスメイト、といっても、高等部で顔を合わせていた人もいる。もちろん高校を卒業してから一年以上経つので、久しぶりの顔合わせにはなる。
中三のクラスメイトは誰がいたかな、と考えているうちに、颯太の意識は移ろっていき、気づけばずっと昔の記憶を思い起こしていた。
まだ初等部に通い始めて日も浅かった頃。光とも親友と呼べるほどの仲ではなく、まだただのクラスメイトだった頃の話だ。
初等部一年生のクラスは賑やかだったが、それでもみんなどこか品のようなものが備わっていた。同年代の他の学校の子どもに比べてどの子もお行儀が良く、さすが倍率の高いお受験に合格しただけある。
そんな中でも佐久間光は別格だった。
幼いながらにすでに整った顔立ち。
始めたばかりの勉強も、運動も、音楽や図工だって、光は何でも出来た。
どんなときも癇癪を起こすようなことはなくて、いつだって笑顔を浮かべている。泣いているクラスメイトには一番に駆け寄って、ハンカチを差し出した。
授業の時間だけでなく、休み時間も、登下校の時間にも、光の姿勢が崩れることはない。まっすぐ伸びた背筋。人の目をしっかり見て、はきはき話す。自分よりも年上の人には、きちんと敬語を使って話すことも出来た。
今にして思えば、あまりにも出来すぎた子どもだった。いつも笑顔を崩すことなく、大人の望む通りの行動を率先して選ぶ。大人だけでなく、クラスメイトからも絶大な人気を誇る男の子。
それが初等部一年のときの、佐久間光だった。
光の情報は子どもづてに親まで広まることになる。そして、ほとんどの保護者は光の親が誰なのか、分かってしまった。それが光の災難だった。
若手有望株の国会議員。甘いルックスと爽やかな笑顔でお茶の間のヒーローとなった男、佐久間徹。メディアの取材にも丁寧に応じ、真摯に対応する。
政治は政治家のためのものではありません、国民のために行うものです。そう言い切り、保守派の議員ならば絶対に触れない、政治家にとっては都合の悪い問題も考えようとしてくれる。
国民に寄り添った政治を提案する若手議員は、少しずつ、着実に応援され始めた。
結婚して一児の父となるが、妻は息子が五歳のときに死去。悲しみを乗り越え、国会議員として忙しく働きながらも、息子との時間も大切にする家族思いな父親。悲劇の主人公のような状況にも折れることなく、仕事と家庭を両立させる佐久間徹は、子を持つ親世代の支持を獲得した。
自身がシングルファザーとして子育てをしている経験から、離婚や死別など一人で子育てをする親を支援するための制度が必要だ、とテレビなどでも訴えてきた。
国会議員、佐久間徹の評判は上々だったようだ。当時幼かった颯太は何一つ理解していなかったが、両親が光の父親を絶賛していたことだけは記憶に残っている。
光の父親が国会議員として支持を得ることは誇らしいことだ。汚職や問題発言で辞任していく議員よりよほど素晴らしいのかもしれない。
でも光は父親のことが嫌いだった。外では絶対にそんなことを口にしたりはしなかったが、幼い頃からずっと嫌いだった、と仲良くなってから颯太は教えてもらった。
国会議員である佐久間徹の好評判。今後活躍することが期待できる、若手注目株の議員。
クラスメイトの保護者たちは自分の子どもに対し、光と特別仲良くするよう言い聞かせた。万が一のときに助けてもらえるよう、保険を作っておきたかったのだろう。
私立小学校を受験するような子どもにとって、親の言うことは絶対である。そして同時に、子どもは純粋だった。
「お母さんが、光くんのお友達になりなさいって! 光くんのお父さんはすごい人だから、おうちに呼んでもらえるくらい仲良くするのよって言ってたよ」
おそらく口にした本人は、その言葉の意味を半分も理解していないに違いない。もちろん悪気も一切なかったはずだ。むしろ大好きな光くんのことを自分の両親も好きになってくれたと思い、誇らしい気持ちで光に話したのかもしれない。
しかし光は理解してしまった。クラスメイトの言葉の裏に、保護者の汚い欲を感じながらも、光は望まれる通りに振る舞った。
クラスメイト全員を家に招いたのだ。手ぶらでいいから遊びに来てよ、みんなで遊ぼうよ、と。光が提案した誘いに、大人たちは食いついた。
我が子に高級菓子を持たせ、「いつも娘がお世話になっております」とメッセージカードにご丁寧に名前まで添えて。
明らかに父親宛の手土産を渡されても動じることなく、幼い光は慣れた様子でテーブルに並べていった。
光の父は家にいなかったが、数人のお手伝いさんがいて、美味しいお菓子を振る舞ってもらったのを颯太も覚えている。ボードゲームやトランプなどをしてみんなで遊び、食べたことのないようなおしゃれで美味しいお菓子を食べる贅沢な時間。子どもたちにとっては特別楽しい時間になった。あのときの光がどんな気持ちでいたのか、颯太には今でも分からないままだ。
帰り道、颯太は忘れ物に気がついて光の家に引き返し、背伸びしてインターホンを押した。お手伝いさんが光に繋いでくれて、颯太はバッグから小さなプレゼントを取り出した。
「これ、光くんにあげようと思って持ってきたんだ」
「あれ? 颯太くん、お菓子持ってきてくれてたよね」
「カステラは僕のお父さんから。こっちは僕の大好きなお菓子」
颯太が渡したのは駄菓子屋に売っているような小学生でも購入できる安価なお菓子だった。きっとこんなものを佐久間徹の息子に渡したと知られれば、両親は激怒したに違いない。
でも颯太は光に食べて欲しかったのだ。いつも優しくしてくれるクラスメイトへの、幸せのお裾分け。
光は颯太に断りを入れ、周囲の人目を確認してから見たことのないお菓子を口に入れた。食べたことのない味だ! と喜ぶ光は、いつも浮かべている笑顔よりもずっと幼く見えた。
「気に入ってくれたみたいだから僕の分もあげる! でも、光くんのお父さんとか、僕のお父さんには内緒ね」
「どうして?」
「ちゃんとしてないお菓子をあげたってバレたら、怒られちゃうから」
颯太がそう言って笑うと、光は目を丸くし、それから両手を口元に当てた。どうやら笑いを堪えているらしい。
ちゃんとしていないお菓子、という言い方が面白かったのだろうか。颯太は「いいところのお菓子じゃないやつね」と慌てて言い直した。
「ふふ、颯太くんって、おもしろいね」
「そうかな? 僕はおもしろい人より、光くんみたいにかっこいい人になりたいけどなぁ」
何気なく颯太が口にした本心は、光の表情を曇らせた。僕になってもいいことなんて何もないよ、と呟いた光の声は颯太には届かなかったが、颯太はそのまま言葉を続けた。
「光くんはなんでもできるし、いつもクラスのみんなのために何かしてるじゃん。かっこいいよ」
光が学校で今まで以上に颯太に話しかけてくれるようになり、二人が仲良くなったのは、確かその後からだった。