笹木颯太の元にその話を運んできたのは、小学校からの友人である佐久間光だった。
 光は遠くからでも分かるほど派手な金色の髪で、食堂に入ってきた瞬間、光に視線が集まる。その上よく通るテノールの声で颯太を呼ぶので、必然的に颯太も注目されてしまった。

「あっ、光くんだ!」
「光って大型犬みたいでかわいくない?」
「あはは! 光くんは相変わらず笹木くんのこと大好きだよねぇ」

 どこからか聞こえてくる女子の声に、颯太は赤面する。駆け寄ってきた大型犬、もとい光は、颯太の顔を覗き込んできた。女子のお喋りの声は絶対に光の耳にも届いていたはずなのに、ブラウンの瞳はまっすぐに颯太だけを見つめている。光は周りの声など一切気にしていないのだ。

「颯太! そーうーた! 聞いてる? 俺の話!」
「はいはい、聞いてるよ。ドッペルゲンガーが出たんでしょ」
「驚くところなんだけど!?」

 超冷静じゃねえか! と光が激しめにツッコミを入れる。それだけで近くにいた女子からくすくすと笑いが起きた。

 ここは颯太と光の通う大学の学生食堂だ。
 食堂と名はついているが、昼食時以外は実質フリースペースだ。多くの学生が各々好きに過ごしている。
 颯太は食べかけのサンドイッチを口に押し込み、広げていた課題を片付けた。空いた正面の席に座った光は、笑い声の聞こえた方にどうもどうもー! と笑いながら手を振っている。
 学年、学部、年齢、性別。そんな括りは光の前では関係がない。目を引く容姿に明るく人懐っこい性格。入学してすぐに人気者になった光は、大学二年になった今も周りに人が絶えない。
 何か問題を起こすわけではない。ただ、佐久間光はとにかく目立つのだ。

「颯太、マジで興味ないの?」

 腹立たしいほど整った顔が、颯太の顔を覗き込む。光がキャンパス内で人気を獲得した一つ目の理由は、無駄に人目を引く、アイドルのような容姿のせいだ。
 髪を金色に染めたことも、もちろん目立つ理由の一つではある。しかし光は髪を染める前から目を引く存在だった。
 容姿が整っていることに加え、人目を集めるような不思議な存在感が、光にはあるのだ。

 光以外には友人の少ない颯太とは大違いだ。
 地毛のままの黒髪は、光のアドバイスでマッシュヘアにカットしてもらった。しかし光のように特別顔立ちがいいわけでもないので、大学のキャンパスに溶け込んでいる。言い換えると、あまり存在感がないのだ。
 そんな自虐的なことを考えて落ち込みそうになるが、光の目はまっすぐに颯太を見つめている。
 颯太はため息をこぼし、先の光の質問に答えを返した。

「だってドッペルゲンガーって誰のだよ。まさか光の?」

 それだったらちょっと会ってみたいけど、と颯太が付け足すと、光は不満気な表情を浮かべてみせた。

「なんだよ颯太。俺っていう完璧な男が目の前にいながら、俺のドッペルゲンガーに会いたいとか! 妬いちゃうだろ!」
「だって光はうるさいし」
「そーちゃん辛辣!」

 颯太と光の掛け合いに、周囲からまた笑いが起こる。
 光に人気がある理由、二つ目。いつでも明るくおちゃらけていて、周りを笑顔にさせてくれる。ときどきうるさすぎて静かにしてほしいと思うこともあるが、颯太も光の明るさに救われている人間の一人だ。

「いやいや違うんだって。俺じゃなくて、颯太のそっくりさん。しかも目撃されたのはキャンパス内」
「えっ、僕?」

 てっきり自分に関係のない誰かの話だと思っていたので、颯太は目を丸くする。それから光の話をもう一度頭の中で繰り返し、苦笑をこぼした。

「キャンパス内にいたなら、それは僕に似てる誰かじゃなくて、たぶん僕でしょ」
「俺もそう思ったんだけどさ、雰囲気が颯太とは全然違ったらしいぜ?」
「雰囲気ねぇ……」

 颯太にはあまり友達がいない。つまり颯太がどんな人間かを知っている人は、大学内にほとんどいないということだ。
 颯太のことを一方的に見たことのある学生はたくさんいるだろうが、『光の友達』として認識されているのは簡単に想像できた。

 派手で人目を引く、人気者の光。その友達の笹木颯太も、きっと光と同じように明るい性格だろう。
 そんな風に勘違いされることは少なくない。しかし颯太は人付き合いは苦手だし、特別明るい性格でもない。
 だから光の話を聞いて颯太が一番に思ったことは、きっといつもの勘違いだろう、という可能性だった。

「僕のドッペルゲンガーを見たって人、誰だか知らないけどさ、たぶん僕の性格を勘違いしてるんじゃない?」
「んー? なになに、どういうこと?」
「その人は光といるときの僕しか見たことがなかった。だから僕のことも光に似たタイプだと思い込んでいた」

 しかし実際に学内で見かけた颯太は、俯いて歩く地味で暗い男だった。別人のように見えたのは、きっと抱いていた先入観と現実のギャップに驚いたからだ。

 颯太の説明を聞き、光はなるほどな、と呟く。「筋は通ってるでしょ」と返しながらも、颯太の頭には別の可能性も浮かんでいた。
 ドッペルゲンガーを見た、という話自体がそもそも嘘というパターンだ。女の子が光の気を引きたくて、光の食いつきそうな話題をでっち上げた。十分にありえる話だ。
 正直なところ、真実はこちらなのではないか、と颯太は思っている。しかしこの可能性について、颯太は光に話さなかった。もし颯太の想像が当たっていた場合、その女子は間違いなく光に嫌われてしまうからだ。

 光は羨ましくなるくらい女の子にモテるが、彼女はいない。どんなにかわいい子にアプローチされても、すれ違う人々を魅了するような美人に告白されても、光は全く興味がなさそうだった。
 俺が本気で好きになった人じゃなきゃ付き合っても意味ないじゃん、と光は言う。その通りだと思う反面、一度くらい試しに付き合ってみればいいのに、とも颯太は思う。

 しかしモテすぎる、というのもきっと大変なのだろう。光は人に好かれやすいがために、ある程度仲良くなるとこれ以上踏み込んでこないでほしい、と壁を作る癖がある。それは女性相手に限らない。男女関係なく、友人としてほどほどに親しくはするが、明確に壁を作っている。
 光が壁を作っていない相手は、それこそ幼馴染の颯太くらいのものだろう。

 だから光と特別な関係になりたい人は、ときどき颯太を利用する。光との仲を取り持って欲しい、と頼んでくるならかわいい方だ。
 あれは高校二年生のときのこと。颯太に好意があるふりをして近づき、光に相談に乗ってもらうが、実はその子の本命は光だった、ということがあった。すっかり騙されてその気になっていた颯太は、ひどく落ち込んだ。
 光は何も悪くないのに、とても気まずそうな顔で謝られたことを、颯太は今でも覚えている。あれ以来、颯太を利用して近づいてくる人間を、光は特別に嫌うようになった気がする。

「颯太? なんか別世界に行ってない?」
「え、ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「ほら、やっぱり本当は気になってるんだろ? ドッペルゲンガー!」

 光の予想は大外れだが、颯太は適当に頷くことにした。

「まあ十中八九勘違いだと思うけど、ちょっとは気になるかな」

 ようやく颯太が話題に食いついたので、光は嬉しそうだ。ご機嫌な様子で光はとんでもない情報を後出ししてきた。

「勘違いじゃないって! だって颯太のドッペルゲンガーを見たの、倉橋さんだぜ?」

 颯太は「そういう大事な情報は先に言ってよ……」と頭を抱えた。