ギィ、と音を立てて朝日が射し込む木製の窓を開く。
 早朝の爽やかな空気を吸い込み、ティアリーゼは僅かに残る微睡みを吹き飛ばした。

「さあ、次は冤罪を晴らさなくてはね」
「ピピピ!」

 同じく目を覚ましていたピューラにこれからやるべきことを告げる。

 あの後、無事に洗礼を受けることが出来たのは日も傾き空の色が変わった頃だった。
 神官としての衣を受け取り、泊る場所がないため神殿内に部屋を用意してもらって一晩を過ごしたのだ。

 貴族の令嬢が一人で洗礼を受けに来た上に、泊まる場所がないというのもおかしな話。
 だが、神殿長は何か訳ありと見て深くは追及してこなかった。
 むしろ多大な聖霊力を見せつけてしまったからだろうか?
 大げさなほどへりくだられて逆に困った。

 側仕えがいなくとも身の回りのことは自力で出来る。
 魔術も神術も使えるティアリーゼにとっては手間がかかるという以上の不便はない。

 質素で申し訳ないが、と用意してくれた朝食を部屋で取りながら、ティアリーゼは整理するために今までのことを思い出していた。

 神々と人が近しい世界・ハイリヒテル。
 そんな世界の中立国・アインツの公爵令嬢として生を受けたのがティアリーゼだ。
 地位も魔力も申し分なかったため、王太子の婚約者とされてしまった。

 政略結婚とはいえ、王太子であるフリッツとはそれなりに信頼関係を培ってきたはずだ。
 なのに、一人の子爵令嬢が彼と親しくし始めたことにより二人の関係が崩れてしまった。

 フリッツは王太子。
 いずれ王となるからには側妃の一人や二人はいてもおかしくはない。
 だからティアリーゼも口をはさむつもりはなかったのだが、その令嬢メラニー・ムバイエに問題があった。

 自分よりも高位の貴族に気安く接し、フリッツ以外にも婚約者のいる男性に近付いたりと評判が悪い。
 フリッツの側妃になりたいのであれば態度を改めるようにと注意せざるを得なかった。
 だが、注意した途端彼女は泣いたのだ。

 そして泣く彼女を慰めるようにフリッツ含め彼女と親しくしている貴族の令息達が集まりティアリーゼを非難した。
 詳しい事情も聞かず一方的に告げる男達に、ティアリーゼは呆気に取られてしまった。
 しかもメラニーに注意するたびに似たようなやり取りを見せられるのだ。
 もはや喜劇にしか見えない。

 だが、そんなことを繰り返すうちにフリッツの心は自分から離れてしまったのだろう。
 ないがしろにされることも増え、ティアリーゼを良く思わない令嬢からの噂も相まってすっかり悪女扱いされるようになってしまった。

 国の上層部はそのような噂を信じてはいなかったが、流石に対策を考えねばと思い始めていた頃。
 国王夫妻と宰相が揃って国を空けているとき、事件は起こってしまった。

 何でも、ティアリーゼがメラニーに渡した茶葉に毒が混入していたというのだ。
 毒見した側仕えが死んだように眠りずっと目覚めないと涙を流しながらメラニーは訴えていた。

 だが、その茶葉はティアリーゼとフリッツのお茶会に乱入してきたメラニーが、フリッツにねだって無理矢理持っていったものだ。
 しかもその場で急遽渡したもの。
 直前まで二人が飲んでいた茶葉なのに毒など入れる暇などある訳がない。

 なのにいつもの茶番劇を繰り返した彼らはティアリーゼを問答無用で拘束した。
 そのまま極刑に処す、と王城からほど近いあのテシュール湖に連行されたのだ。
 桟橋でフリッツから婚約破棄を一方的に宣言され、彼の魔術によって落とされた。

 信頼関係はあったはずなのに何故? と思わなくもない。
 だが、自分を落とす直前の憎々し気な翠緑の目を見て僅かな希望も消えた。
 フリッツはもう、自分の知っている彼ではないのだ。

 ふぅ、と息を吐き肩を落とすと、ピューラが「ピピ?」と心配そうに鳴く。

「あら、心配をかけてしまったかしら? 大丈夫よ」

 指先で小さな頭を撫でながら、ピューラを預けてくれたストラを思う。

(助けてくださったのがあの方で良かった)

 冤罪を着せられ信頼していた人の手で湖に落とされた。
 その悲しみや悔しさは今も胸の内に渦巻いている。
 だが、焦がれていた推し神のストラに助けられ、側にいたいという自分の願いを叶えるため聖女という道を示してくれた。
 そのおかげで今自分は悲しみの沼に沈むことなく前に進むことが出来ている。

「……やるべきことを整理しなくてはね」

 ピューラに宣言し、ティアリーゼは思考を切り替えた。

 冤罪を晴らすための鍵は毒を飲んだというメラニーの側仕えだ。
 自作自演なのは分かり切っている。
 ただ、その側仕えが自ら進んで協力したのか、それとも騙され毒を口にしたか。
 可能性としては後者の方が高い。
 メラニーがフリッツの側妃に相応しいか調べる過程で、彼女の普段の振る舞いも聞き及んでいる。
 彼女は自分より下の身分の者には愛想の欠片もなく、道具のようにしか思っていない節がある。

 ティアリーゼもそのような振る舞いを見かけることがあった。
 なので、自ら進んで毒を飲むような側仕えはいないだろうと予測する。

(騙されたか、無理矢理か。何とか毒を特定して目覚めさせることが出来れば証言してもらえるはずよ)

 確かメラニーの側仕えは豪商の娘だったはずだ。
 今は実家に帰されているとメラニーが話していたのを思い出す。
 目覚めない娘を見て彼女の両親も悲しんでいたと涙を誘っていた。

「……そうね、まずはその娘の状態を診てみることにしましょう」

 今日の行動を決めて立ち上がると、「ピピピ!」とピューラも元気よく鳴いた。

***

「今日仕入れたばかりの商品だ、見てってくれ!」
「どうだいお嬢さん、安くしとくよ!」

 客引きの声を笑顔で断りながら、街娘に扮したティアリーゼは慣れた様子で街を歩いていた。

(最後にお忍びの街歩きをしたのはかなり前だけれど、問題はなさそうね)

 お妃教育に明け暮れていたとはいえ、気晴らしもなく続けるのはいくらティアリーゼでも無理だ。
 たまにしか出来なかったが、お忍びで街に出ては人々の活気に元気をもらっていた。
 今は例の商人の店へ向かうところだが、久々に見る民の様子にまた元気をもらえているような気がする。

 ドレスは神殿長に頼み今着ている服と小金に変えてもらった。
 冤罪を晴らすため暗躍するにはドレスで動き回るのは目立ちすぎる。

 また、神官の衣も別の意味で目立つ。
 聖霊力が多い神官は時に人々の祈りの代理をすることもあるため、代わりに祈りを! と群がられてしまうのだ。
 だからお忍びと同じように街娘の姿で歩いていたのだが……。

「姉ちゃんべっぴんさんだなぁ。いい仕事があるんだ、ちょっと話を聞いてかねぇか?」
「え? いえ、私は……」

 一人で歩いていた所為だろうか。
 少し乱暴そうな男に絡まれてしまった。

 思えばお忍びのときは誰かが近くにいた。
 あれは単純に護衛のためだけではなく、このように絡まれないためだったのだなと今更ながら理解する。

「ほら、こっちだ」

 やんわり断ろうとするが、強引な男はティアリーゼの手首を掴み人気のない方へと連れて行く。

(困ったわ。あまり大きな騒ぎは立てたくないのだけれど……)

 ティアリーゼには魔術と神術どちらも使える力がある。
 その力を使えば不届き者から逃れるのは簡単だ。
 だが、普通の街娘はそよ風を起こす程度の術しか使えないため目立ってしまうだろう。

「ピピピ!」
「わっ、なんだこの鳥?」

 ティアリーゼの危機と見たのか、ピューラが男に纏わりつくように飛ぶ。
 だが、男の太い腕に振り払われそうなのを見てティアリーゼの方が慌てた。
 こんな太い腕に当たったら、ピューラのような可愛い小鳥はひとたまりもない。

「ピューラ! 大丈夫よ、こっちにおいで」

 呼ぶと、「ピュー」と不満そうに鳴きながらピューラはティアリーゼの肩に止まる。

(大丈夫。人気のないところに行けば術を使っても目立たないわ)

 肩に止まったピューラのくちばしを指先で撫で小声で伝えると、頃合いを見て魔術を行使出来るように魔力を集中させた。
 だが――。

「すまないが、私の連れをどこに連れて行くつもりだ?」
「え?」

 突然掛けられた男の声。
 聞き覚えのある、耳に心地よい低音にティアリーゼはその姿を見ることなく誰か分かった。