「巫女様。今宵は、誠にめでたき事でございます」
神社に仕える下女と髪結いの方に、濡羽色の黒髪を襟足から結い上げ、憧れだった白粉と紅を施され、姉様と同じように純白の花嫁衣装を纏いました。
そして、母から渡された、絹地に包まれた小さな瓶を懐に忍ばせます。床に入る直前に口にするという、祝い酒の代わりなのだそうです。
三日三晩、神社の地下の神水で身を清め、口にしたのは、その水だけ。断食という禁欲を行って、心身共に、なるべく俗世と離れた、清いまま嫁ぐ事が重要だからです。
虚ろな頭で重い身体を懸命に動かし、棺に横たわると、しばらく外を目にしなかった眼に滲みる位に、澄んだ青空が映ります。白黄金色に眩く輝く太陽の、やけに哀しいこと……
サクラの守神様、貴方は今、どのような面持ちで、私を待って下さっているのですか?
顔見知りの村の方から、私の胸元や腹に、次々と純白の折り鶴や、色とりどりの美しい春の花が投げ入れられます。ふわり、ふわり、と舞い落ちる、花嫁の幸を願う贈り物。私が大好きな花ばかり……
皆様、泣いておられます。
「巫女様、有難うございます」
と、手を合わせながら繰り返し呟かれている方、必死に祈りを捧げておられる方、そして、人目を憚るように、口元を手拭いで押さえていらっしゃる方が、数人……
毎年、神社に祈りに来られる方々と、同じ風合いの瞳が、幾つも見えます。
家族と離され、十を過ぎた頃から、何時も思っておりました。万能のお力を持つ守神様は、何故、この方々を、今すぐ助けて差し上げないのでしょうか? 先に嫁いでゆかれた、姉様のお力だけでは、何故足りないのですか?
今、この方達は、あなたの救いが必要なのでしょう? 何故、あなたは、何も手を差し延べないのでしょうか?
目に見えぬ恐怖に晒され、どんなに泣き叫んでも、どんなに苦しめられても、為す術を持たない。そんな弱き無力な方々を、あなたはお救いになるのだと、幾度も、幾度も、幼い頃から聞きました……
村の男衆に棺ごと担がれ、守神様のおられる桜の木へ向かいます。
ガタ、ガタン、と時折、揺れる棺。道行く途中、数少ない友だった、幼なじみの子が唇を噛みしめながら、彼女の家の玄関先から、こちらを見ているのが分かりました。
村を抜け、山道に入り、段々と奥深く進む頃には、視界の青空が黄昏に変わり、御神木に着く頃には、いつの間にか宵に落ちておりました。
ちらほらと視界に入る、幼い頃と変わらず、美しい薄紅の花吹雪。星が瞬く宵闇に映え、尚、幻想的に衣替えた夜桜の光景……
ぼんやりと魅了され見入っているうちに、予め、木の周りに掘られた寝所に、ぴたりと嵌め込むように、棺が置かれていたようです。
すっかり夜の帳が落ちた、視界一面に映る星空に、少しずつ封がされ、目の前が闇に染まっていくのが判ったので、渡された布包みを開き、中の小瓶の中の水を、一気に飲み干します。心地好さが強まり、意識が遠退く頃、初めて守神様と御対面できるそうです。
続いて、微かに漂う、土の匂い。神様は、どちらから現れるのでしょう……
薄らいでゆく意識に比例して、息苦しい感じも増します。守神様、早くいらして下さい…… 目の前は真っ暗で、何も見えません。
花に囲まれ、棺に横たわる白装束の女…… 花嫁衣装ではございますが…… これでは父様が着ていらした、死装束のようです……
心許なくなり、ふと、手元の花を手に取ると、独特の小さな丸い形の、花弁が開かれていない花が……
千日紅。好きな花でした。暗がりでも濃い紅色なのが分かります。摘まれてもあまり枯れないことから、確か花言葉は、色褪せぬ愛、そして、不死、不朽……
「……ふ、ふ……あは、は……」
気づいたら零れていた、力無く掠れた笑い。幾日ぶりに聞いた、自分の声……