「いったいどうなってるんだ、今月に入って五人目だぞ」
新たな被害者の遺体を検分した矢島は、やれやれと頭を掻きながら歩き出した。現場は人通りも少なくない都内の小さな公園だ。そこの植え込みの影で、被害者は発見された。瀬乃夫婦の遺体と同じく、滅多刺しのボロカス状態だった。
「名乗りを上げてから急に数が増えましたよね」
三浦は、一通りの検視報告や、現場の様子をメモに取りながら、のろのろと後を追う。
「図に乗りやがって、狐野郎が」
瀬乃夫婦殺害事件から、二か月、同一犯と思しき殺人事件は、七件も続いている。最初の事件から五日後、立て続けに二件の殺しがあり、さらに三月に入って五件が相次ぐ。お陰で警察も大忙しだ。
事件の正式名称は「北新宿無差別連続殺人事件」とされているが、長すぎるし、わかりにくい。感情的にもしっくりこない。だから矢島は現場に残された署名の頭文字をとって、事件を「FOX事件」と命名した。
無差別なのに連続と判断したのは、現場に同じ署名、「Fiend Ogre Xeno-」というのが残されているからだ。
この話はマスコミにも漏らしていない。よって、模倣犯というのもあり得ない。同一犯でほぼ決まりだ。
Xenoの後に続く数字は、最初が二十六、次が二十七、その次が二十八と一つずつ大きくなっている。おそらくは何かのカウントだろうと思うが、なぜ二十六からなのかは不明だった。
「これが一つずつ減ってくってんなら、カウントダウンと思うところなんですけど、なんで増えてくんでしょうねえ」
「そりゃカウントダウンじゃねえからだろうさ」
「じゃなんですか?」
「俺が知るか、犯人に聞け」
「聞きたいですよ、けどどこにいるかわからないじゃないですか」
「だから探してんだろ!」
いまだ呑気な声の三浦に、思わず怒鳴った。この超新人類は、自分の身に降りかからない火の粉など怖いとは思わないのかと苛々する。矢島のイラつきを知らずか、三浦はさらにぼやいた。
「けどこう手がかりなしじゃはどうにも……」
二人は、二月始めに瀬乃夫婦殺害事件が起きてから、ほとんどつきっきりで捜査にあたってきた。三月に入ってからは公休も取れないほどかかりきりだ。だがいまだ、指紋も凶器も発見出来ていない。悲鳴や物音を聞いたという証言はいくつかあるが、肝心の目撃証言がまるで出て来ない。たまになにか見ている者がいても、女子高生がいたとか、小学生くらいの子供がいたとか、いや、フードを被った若い男だったとか、まちまちで当てにはならない。完全にお手上げ状態だった。
だが矢島はふんと鼻を鳴らす。
「手がかりはあるだろ、例の署名だ」
「署名ったって、アレじゃあなんのことだか」
「Fiend Ogre Xeno それぞれの頭文字を繋げるとFOXとなる」
「それはもうわかってますよ、けど……」
「けどじゃねえ、頭働かせろ、FOXとはなんだ?」
「なにって、狐、でしょ?」
「ああ、そして、狐と言えば突き当たる奴がいるじゃねえか」
矢島の指摘に、三浦はああと頷いた。
二人の管轄する新宿区には、いくつかの指定暴力団と、それに類似する組織がある。その中の一つに、サウス商会という商社があった。
表向きは輸入雑貨を扱うスタートアップカンパニーだ。だが実際は違う。
雑貨や家具、煙草などを輸入販売しつつ、裏では金貸しや、違法、合法ドラックも扱う。
さらに業務提携、アドバイザーなどの名目をつけて、界隈の飲食店や会社から、顧問料、コーディネイト料、提携上納金などを取り立てる。やっていることは暴力団と同じだ。顧客は最下層のクズがほとんどだが、なぜか政財界、芸能界の大物も多い。それに、最近ではごく普通の一般家庭にまで、手を広げ始めたらしい。
なぜ、ごく普通の家庭がそんな奴らの餌食になるのか、その理由は簡単だ。連中は輸入雑貨やダイエットドラッグなど、暇と金を持て余した主婦やOLが飛びつき易い商品を安価で取り扱っている。そしてもう一つ、社員、構成員がみな若く、物腰も柔らかい、ホスト紛いのイケメン揃いだからだ。
彼らの容姿を見て、その優男ぶりに、女性はのぼせ上がり、男性は自分のほうが強そうだと安心して深みに嵌まる。しかし、彼らが頭も尻も軽いチャラ男に見えるのは最初だけだ。いったん捕まえてしまえば態度は豹変、たちまち猛獣と化す。
しつこく陰湿な取り立てや脅し、たまに思い切って警察に駆け込む者がいても、相手のほうが一枚上手、ただの痴話喧嘩、じゃれてただけだと説明すれば、みな信じて帰ってしまう。警官が帰った後には、より恐ろしい報復があり、被害者は口を閉ざす。その繰り返しで、彼らは勢力を広げて来ていた。
そしてそのサウス商会の代表取締役社長をしているのが、新貝幸人《しんかいゆきと》という男だ。歳は三十二だが、見た目は二十代半ばくらいにしか見えない。明るい金髪に、派手で安っぽいスーツやスカジャン姿が多いこともあって、知らない人間は彼を社長とは思わないだろう。
そこが付け目で、新貝は自ら取り立てや売買に顔を出すことも多い。一見、気の弱そうなチャラ男だが、その実ズル賢く、残忍な一面を持っていて、狡猾な性格とも相まって、その世界では狐と呼ばれ、恐れられていた。
「狐ってのが嵌まるだろ?」
「嵌まり過ぎじゃないですか? それじゃバレバレだ」
「バラしたいのかもしれねえだろ」
「なんで?」
「俺が知るかよ、自慢したいんじゃねえのか、今、世間を騒がしてる連続殺人犯は俺だぞってな」
「まさか、それほどバカじゃないでしょう」
「バカだよ、でなきゃこの東京で縄張り荒らしなんぞ思いつかねえさ」
サウス商会は商社だ。暴力団紛いの営業はあっても暴力団ではない。だがやっていることは暴力団と同じであり、関係者から見れば越権行為、立派な縄張り荒らしとなる。連中と縄張りが被っている筒井組からしてみれば、サウス商会は目の上のコブ……いや、目障りなガキだ。今はまだ小競り合い程度で済んでいるが、いつか抗争に発展するだろう。すでにあちこちで一触即発の状態だった。
「矢島さんは、新貝がFOXだと?」
「どうかな、だが無関係とも思えんだろ」
「でも奴にそんな度胸ありますかね、チンピラでしょう?」
FOXによる被害者は、いずれも酷い死に様を晒している。目玉やら脳みそやら内臓やら、全て、これでもかというほど傷つけられ、ぐちゃぐちゃだ。その手口は回を追うごとに残酷さを増し、先日など、抉り取られた目玉が、パクリと割れた被害者の腹に突っ込まれていた。
「奴の目を見たことがあるか? 正気じゃねえぞ」
「ドラッグですか?」
「さあな、だがまともじゃないってのはわかる、まともだったら筒井組に喧嘩売ったりはしない」
そんな大げさなと三浦は思った。
新貝幸人と直に話したことはないが、遠目からなら見たことがある。背もそう高くないし、体つきも痩せていて貧弱なほうだ。確かに目つきは鋭いが、どう見ても粋がったチンピラか、その成れの果てといったところに見えた。とてもこんな猟奇的殺人を犯すようには見えない。
三浦が疑っているのを察したのか、矢島は三浦の背をぽんぽんと叩きながら足を速める。
「だから、これから調べようじゃねえか、お前もその目で確かめろ、白か黒か」
「見てわかれば苦労しませんよ、だいたい令状はあるんですか?」
「ちょっと会って話を聞くだけだ、んなもんいらんだろ」
ちょっと話すようなことか? 相手が取り合わなかったらどうするんだ、その可能性のほうが高いぞと、ぶつぶつ言いながら、三浦はそのあとに続いた。
***
「サウス商会……ここですか?」
北新宿の大通りから一本中へ入った細い路地に、古びた四階建てのビルがあった。サウス商会と書いてある安っぽいブリキの看板は、半分錆びていて、文字が読み難い。周りにはピカピカの新築ビルや高層マンションが建ち並び、小奇麗な街となりつつあるのに、そこだけが昭和のようだ。
正面にガラス張りのウインドウがあり、中にはアンティークというよりは、廃棄物のような家具や小物がディスプレイされている。全体的にアメリカの片田舎といった雰囲気だ。
入り口の自動ドアはガタがきていて、開くときにがくがくと震えた。
中もウインドウと同じくアメリカンな小物や雑貨、家具で埋め尽くされ、かなり雑多なイメージだ。足の踏み場もない。
転がる雑貨を乗り越えながら奥へ進むと、突き当りに狭いエレベータがあった。それに乗り込み四階まで上る。そのビルは他に非常口くらいしか通路がなく、上に行くにはどうしてもそのエレベータを使うことになる。中は大人が四人入ると窮屈に感じる狭さで、ちょっと息苦しい。古いこともあるが、あきらかに消防法違反だろう。
「狭いですね」
「ああ」
「それに、なんか臭う」
「葉っぱだろ、連中、隠す気ねえな」
「合法ってやつなんでしょ、見つかっても摘発はされない」
「危険ドラッグっていうんだよ、あんなの、法の目掻い潜ってるだけじゃねえか、結局は麻薬だ」
「でも逮捕は出来ないですよね」
「うるせえな」
やけにゆっくりと上るエレベータに焦れながら矢島は毒づく。それをいつものことと眺める三浦は、また別のことを考えていた。
もし、今ここに、拳銃を持った暗殺者が来たら逃げられない。拳銃を持っていなくても、刃物一つでやられるかもしれない。中が狭く、身動きが取れないうえ、出入り口も狭い。前から誰か来たら、ぶつからずにはすれ違えない。エレベータという事情で考えれば、ドアが開いた途端、ハチの巣にされそうだ。
もしかしたら新貝は、そういうことも考えて、こんな狭くて古いビルに居を構えているのかもしれない。だとしたら、かなりズル賢い奴だ。
だが、逆に考えれば、それほど用心深い奴があんなバレバレの見え透いた署名を残すだろうか? それに、動機がない。被害者たちと新貝に接点があるとも思えない。
外れじゃないのか? そう思い始めるころ、鈍いエレベータは、ようやく四階についた。
扉はそれまでガタついていたとは思えないほどスムーズに開き、正面にいる新貝のニヤけた顔が目に入る。エレベータを出ると直接社長室になっているようだ。不用心だなと思い、それまでの構えた気持ちが萎えた。
これはなにも考えていない見た目通りのチンピラに違いない。やはり外れだ。
「なんだ、矢島さんじゃないですか、これはまた我が社へなにしに? 座り心地のいい椅子でもお探しですか?」
矢島らを見た新貝は、異名通りの狐のような顔で、ニタリと笑った。金髪に白いシャツ、金ぴかに輝いた丈の短い上着と、目立つ金鎖のアクセサリー。下はビンテージのジーンズと白い革製の靴で、とても社長というなりではない。だがなぜか、有無を言わせない迫力があった。
「それもいいがな、今日はちょっと聞きたいことがあんだよ」
「怖いですね、うちのモンがなにかしましたか?」
「それを聞きてえんだよ、逸らすんじゃねえ」
「はいはい」
「ここ数か月、この界隈で猟奇殺人が相次いでんだ、でな、俺はその下手人がお前かお前の子分じゃねえかと踏んだんだが、どうだ?」
矢島はいきなり核心を突いた。いきなり過ぎて三浦も驚く。これでは相手を警戒させるだけだ。もう少し遠回しに探れないのかと呆れる。だがそれが功を奏したのか、新貝は表情を崩した。張り付いたような笑顔は消え、憮然とした真顔だ。
「それはいきなり過ぎですね、うちは商社ですよ、そんな物騒なことしませんね」
「そうかい、じゃ昨日の夜中十二時ころ、どこで何してたか聞かしてくれ」
「アリバイですか? まあいいですけどね、うちで寝てましたよ」
「それを証明できるか?」
「できませんね、一人だった」
「ふうん……」
矢島は疑い深そうに鼻を鳴らした。彼の身長は新貝と同じくらいなのだが、それをわざわざ腰を曲げて屈んでまで、下から見上げるように新貝の顔を覗きこむ。かなりの至近距離だ。新貝は渋い顔で、少し面倒臭そうに片手を振り、半歩下がった。
「私は独身だ、一人住まいの真夜中、証人がいるほうがおかしいでしょう? まさかそれで怪しいとか言わないでくださいよ?」
「ま、そこまで無慈悲じゃねえよ」
「どうも」
少し機嫌の悪そうな表情で、新貝は早口にしゃべった。これは怪しいと三浦は目を見張る。
彼が犯人ではないだろう。だが、あきらかに動揺している。深く追及もしないうちから言い訳を並べるのがおかしい。なにか隠している証拠だと思った。
だが矢島はそこからの追及をしない。
「俺も別に本気で疑ってんじゃねえんだ、けど、この若いのが気になるって言うもんだからよ」
「えっ?」
矢島は言い出しっぺはこいつだと三浦を指さす。新貝はちらりを顔を上げ、横目で三浦を睨んだ。酷く冷たい目だ。人を傷つけることなどなんとも思っていない、人外の空気を感じる。
こんな奴に遺恨を持たれたくない。咄嗟にそう考え、言い出したのはそっちでしょと反論しそうになった。しかしこれはなにかの作戦かもしれないと考え、すんでのところで口を閉ざす。
「気を悪くせんでくれ」
「大丈夫ですよ、職務ってヤツだ、それも疑いは晴れた、もうお終いでしょう?」
「そうだな」
「ではごきげんよう、また来てください、今度はいい椅子を買いに」
「おう、そうさせてもらうわ、三浦、ほら、帰るぞ」
「あ、はい」
矢島に促され、三浦はそそくさと身を翻した。その途端、背中にゾッとするような冷気を感じ、思わず振り向く。
「なにか?」
「ぁ、いえ……」
新貝は、異様に細められた目で、にんまりと微笑んでいた。顔は笑ってるのに、ゾッとする。先日友人と観に行った能舞台「黒塚」に出てくる鬼女のようだ。殺人鬼というのは、こんな目をしてるんじゃないかと思った。
「すみません」
彼の背後に、死神の大鎌が見える。早く帰らないと、この場で切り殺される。そんな気がして、三浦は慌ててエレベータに乗り込んだ。
がくがくと震える三浦に驚き、矢島は目を見開く。どうしたと訊ねられ、ただすみませんとだけ、答えた。
彼がFOXかもしれない……なんの根拠もなくそう思った。
*
「糞が! 調子乗ってんじぇねえぞ!」
エレベータのドアが閉まると同時に、新貝は苛々と机を蹴飛ばした。さらに気持ちの治まらないまま、隣の部屋に控えている柄シャツを着た男を呼びつける。
別に用などない。ただ苛々を発散したいだけだ。
なんでしょうかとやってくるそいつの頬をぴしゃりと平手打ちすると、男はなんで自分がと気の弱そうな顔でおどおどと見返してくる。その態度が気に障り、もう二発、往復ビンタを食らわせて、ついでに机の上の灰皿を投げつけた。柄シャツの男はひいと悲鳴をあげ、しゃがみ込む。
そいつを横目で睨み、まだ治まらないので、今度は蹴ってやろうかなと考えたところで、別室からもう一人出てきた。短めの髪をオールバックに固めた背の高い男だ。
「どうしました幸人《ゆきと》さん?」
「あ? うるせえよ塚原《つかはら》、出てくんな」
「すみません、大きな音がしたもので、田中が不始末をしでかしたんなら私の責任です、処分は任せてください」
「ひっ……っ」
処分と聞いて柄シャツの男、田中は、また悲鳴を上げた。新貝も別にそこまでしたいわけではない。だいたい田中は悪くない。これは八つ当たり、単なる憂さ晴らしだ。仕方なく持ち上げかけた足は下ろした。
「……せえな、そんなんじゃねえよ」
「おや、ではただの八つ当たりですか?」
「ただの八つ当たりだよ!」
バツ悪く答えると、背の高い男、塚原は、僅かに口角を上げ、小さな笑いを噛み殺す。それにムッとした新貝は、用はないなら出てけと怒鳴った。だが塚原は聞こえぬふりだ。
「刑事が来ていたようですが?」
「ああ、見当違いの話さ、最近起きてる連続殺人の犯人はお前じゃないのか、だとさ」
「ああ、それはたしかに濡れ衣ですね、なんでまた」
「さあな、適当に言ってんだろ、俺が目障りなんじゃねえの? ったく、あっちもこっちも敵ばっかだ」
「始末、しますか?」
イラつく新貝と反対に、塚原は静かだった。なにを考えているのかわからない黒く淀んだ瞳で、刑事を排除するかと訊ねる。これが世辞やノリでなく、本気だから怖い。
新貝は、こっちもやれやれだと息を吐きつつ、そこまでしなくていいと答えた。
「俺はちょっと出かけて来る、連中がまた来たらお前適当に相手しといてくれ」
「どちらへ?」
「散歩だよ散歩」
「最近筒井組の動きが激しい、無用な散歩は控えてください」
「大丈夫だって、奴らも白昼堂々やりに来るほど暇じゃねえだろ」
「それはわかりません、私たちはそれだけ彼らを怒らせてる」
「向こうが勝手に怒ってるだけだ、俺たちはまっとうなビジネスをしてる」
「そんな言い訳が通用するような相手ではないと思いますが?」
「だいじょぶだって、すぐ戻る、じゃ、あとは頼んだぜ」
机の引き出しから愛用のクラッチバッグを取り出した新貝は、急ぎ足でエレベータへ向かう。心配した塚原は、護衛を連れて行ってくれと引き止める。だがそうはいかないのだ。あそこに他人は連れて行けない。
甘い顔をしていると、本当について来そうな塚原を牽制するため、新貝は少し機嫌の悪い表情を作り、睨みを効かせた。
「奴らが仕掛けて来たら返り討ちにしてやるさ、とにかくついてくんな」
「幸人さん!」
新貝は足早にエレベータに乗り込み、素早く閉じるのボタンを押した。扉は追いかけてくる塚原の鼻先でぴしゃりと閉まる。他に下へ降りる手段がないわけではないので、その気になればついて来ることは出来るが、塚原は頭が固い。そうはしないだろう。組織のボスがついて来るなと言っているものを、部下が違えるわけにはいかないと考えるはずだ。
事務所で一人焦れているだろう塚原を想像し、新貝は箱の中でクスリと笑った。
塚原とはボスと部下の関係だが、実は幼馴染でもある。子供のころ、気が弱くてイジメられっ子だった塚原を、よく庇ってやったものだ。彼はそれを恩にきて、ずっと傍に侍り、ボディガードを務めてくれている。少々頭が固いのが難点だが、頼りになるいい男だ。力も強い。
だが忠誠心が強すぎて、時々暴走するのが欠点だった。心配はありがたいが、時として迷惑だ。
「さてと……」
エレベータを降りた新貝は、首を振らずに目だけであたりを覗ってから歩き出した。その後を、矢島と三浦の両刑事がつけてくる。わかりやすい挑発は、それに乗った新貝がどう動くか見るためのモノだったらしい。
新貝もそれは気づいていた。知らぬふりをしているのは、無駄に騒いで余計な注目を浴びたくないからだ。それに、どうせ彼らは真相には辿り着けない。放っておいて害はないだろうと踏んでいた。
ただ問題は、彼らの推理があながち外れでもないというところだ。
「ったく、面倒臭えことになってきやがったな」
つけてくる二人を意識しながら、腕時計を確認し、ビルの陰で携帯を取り出す。コールすること十三回で、相手は出た。
「ゼノか? ああ俺だ、今日の取り立ては済んだか?」
「ずいぶん早い催促ですね、まだ昼過ぎたばかりじゃないですか、これからですよ」
「なんだ、さっさとやれよ、それが済んだらちっと話したいことがあんだよ」
「話したいこと?」
会いたいと言うと、電話では話せないのかとゼノは聞き返してくる。もちろんそれはだめだ。
「どうしても、顔を見て話したい、それに、人に聞かれちゃ困る、俺も……お前もな」
他人に聞かれたら困る話と聞いて、ゼノは沈黙した。どうやら相談中らしい。
彼らの話し合いは長引くことが多い。もともと性格が違い過ぎるのだ。だから新貝も急かしはしなかった。煙草を吹かしながらのんびりと待つ。そして二本目の煙草が半分ほど消費されたころ、ようやく返事が返ってきた。
「わかった、ではマンホールで会おう」
返事をしてきたのはオウガのようだ。ゼノは引っ込んだらしい。なにか揉めたかなと思ったが、そこは追及しなかった。それよりもまずは会うことを優先したい。
「懐かしいね、いいぜ、じゃ時間は今から二時間後だ、それまでに仕事は済ませて来いよ?」
「努力はしてみる、期待はしないでくれ」
「努力ってのは目に見えねえもんなんだよ、結果が全てさ、結果を持って来いよ?」
「後で会おう」
「ああ、期待してるぜ」
背後に迫る数名の影を意識しながら、新貝は通話を終えた。
新たな被害者の遺体を検分した矢島は、やれやれと頭を掻きながら歩き出した。現場は人通りも少なくない都内の小さな公園だ。そこの植え込みの影で、被害者は発見された。瀬乃夫婦の遺体と同じく、滅多刺しのボロカス状態だった。
「名乗りを上げてから急に数が増えましたよね」
三浦は、一通りの検視報告や、現場の様子をメモに取りながら、のろのろと後を追う。
「図に乗りやがって、狐野郎が」
瀬乃夫婦殺害事件から、二か月、同一犯と思しき殺人事件は、七件も続いている。最初の事件から五日後、立て続けに二件の殺しがあり、さらに三月に入って五件が相次ぐ。お陰で警察も大忙しだ。
事件の正式名称は「北新宿無差別連続殺人事件」とされているが、長すぎるし、わかりにくい。感情的にもしっくりこない。だから矢島は現場に残された署名の頭文字をとって、事件を「FOX事件」と命名した。
無差別なのに連続と判断したのは、現場に同じ署名、「Fiend Ogre Xeno-」というのが残されているからだ。
この話はマスコミにも漏らしていない。よって、模倣犯というのもあり得ない。同一犯でほぼ決まりだ。
Xenoの後に続く数字は、最初が二十六、次が二十七、その次が二十八と一つずつ大きくなっている。おそらくは何かのカウントだろうと思うが、なぜ二十六からなのかは不明だった。
「これが一つずつ減ってくってんなら、カウントダウンと思うところなんですけど、なんで増えてくんでしょうねえ」
「そりゃカウントダウンじゃねえからだろうさ」
「じゃなんですか?」
「俺が知るか、犯人に聞け」
「聞きたいですよ、けどどこにいるかわからないじゃないですか」
「だから探してんだろ!」
いまだ呑気な声の三浦に、思わず怒鳴った。この超新人類は、自分の身に降りかからない火の粉など怖いとは思わないのかと苛々する。矢島のイラつきを知らずか、三浦はさらにぼやいた。
「けどこう手がかりなしじゃはどうにも……」
二人は、二月始めに瀬乃夫婦殺害事件が起きてから、ほとんどつきっきりで捜査にあたってきた。三月に入ってからは公休も取れないほどかかりきりだ。だがいまだ、指紋も凶器も発見出来ていない。悲鳴や物音を聞いたという証言はいくつかあるが、肝心の目撃証言がまるで出て来ない。たまになにか見ている者がいても、女子高生がいたとか、小学生くらいの子供がいたとか、いや、フードを被った若い男だったとか、まちまちで当てにはならない。完全にお手上げ状態だった。
だが矢島はふんと鼻を鳴らす。
「手がかりはあるだろ、例の署名だ」
「署名ったって、アレじゃあなんのことだか」
「Fiend Ogre Xeno それぞれの頭文字を繋げるとFOXとなる」
「それはもうわかってますよ、けど……」
「けどじゃねえ、頭働かせろ、FOXとはなんだ?」
「なにって、狐、でしょ?」
「ああ、そして、狐と言えば突き当たる奴がいるじゃねえか」
矢島の指摘に、三浦はああと頷いた。
二人の管轄する新宿区には、いくつかの指定暴力団と、それに類似する組織がある。その中の一つに、サウス商会という商社があった。
表向きは輸入雑貨を扱うスタートアップカンパニーだ。だが実際は違う。
雑貨や家具、煙草などを輸入販売しつつ、裏では金貸しや、違法、合法ドラックも扱う。
さらに業務提携、アドバイザーなどの名目をつけて、界隈の飲食店や会社から、顧問料、コーディネイト料、提携上納金などを取り立てる。やっていることは暴力団と同じだ。顧客は最下層のクズがほとんどだが、なぜか政財界、芸能界の大物も多い。それに、最近ではごく普通の一般家庭にまで、手を広げ始めたらしい。
なぜ、ごく普通の家庭がそんな奴らの餌食になるのか、その理由は簡単だ。連中は輸入雑貨やダイエットドラッグなど、暇と金を持て余した主婦やOLが飛びつき易い商品を安価で取り扱っている。そしてもう一つ、社員、構成員がみな若く、物腰も柔らかい、ホスト紛いのイケメン揃いだからだ。
彼らの容姿を見て、その優男ぶりに、女性はのぼせ上がり、男性は自分のほうが強そうだと安心して深みに嵌まる。しかし、彼らが頭も尻も軽いチャラ男に見えるのは最初だけだ。いったん捕まえてしまえば態度は豹変、たちまち猛獣と化す。
しつこく陰湿な取り立てや脅し、たまに思い切って警察に駆け込む者がいても、相手のほうが一枚上手、ただの痴話喧嘩、じゃれてただけだと説明すれば、みな信じて帰ってしまう。警官が帰った後には、より恐ろしい報復があり、被害者は口を閉ざす。その繰り返しで、彼らは勢力を広げて来ていた。
そしてそのサウス商会の代表取締役社長をしているのが、新貝幸人《しんかいゆきと》という男だ。歳は三十二だが、見た目は二十代半ばくらいにしか見えない。明るい金髪に、派手で安っぽいスーツやスカジャン姿が多いこともあって、知らない人間は彼を社長とは思わないだろう。
そこが付け目で、新貝は自ら取り立てや売買に顔を出すことも多い。一見、気の弱そうなチャラ男だが、その実ズル賢く、残忍な一面を持っていて、狡猾な性格とも相まって、その世界では狐と呼ばれ、恐れられていた。
「狐ってのが嵌まるだろ?」
「嵌まり過ぎじゃないですか? それじゃバレバレだ」
「バラしたいのかもしれねえだろ」
「なんで?」
「俺が知るかよ、自慢したいんじゃねえのか、今、世間を騒がしてる連続殺人犯は俺だぞってな」
「まさか、それほどバカじゃないでしょう」
「バカだよ、でなきゃこの東京で縄張り荒らしなんぞ思いつかねえさ」
サウス商会は商社だ。暴力団紛いの営業はあっても暴力団ではない。だがやっていることは暴力団と同じであり、関係者から見れば越権行為、立派な縄張り荒らしとなる。連中と縄張りが被っている筒井組からしてみれば、サウス商会は目の上のコブ……いや、目障りなガキだ。今はまだ小競り合い程度で済んでいるが、いつか抗争に発展するだろう。すでにあちこちで一触即発の状態だった。
「矢島さんは、新貝がFOXだと?」
「どうかな、だが無関係とも思えんだろ」
「でも奴にそんな度胸ありますかね、チンピラでしょう?」
FOXによる被害者は、いずれも酷い死に様を晒している。目玉やら脳みそやら内臓やら、全て、これでもかというほど傷つけられ、ぐちゃぐちゃだ。その手口は回を追うごとに残酷さを増し、先日など、抉り取られた目玉が、パクリと割れた被害者の腹に突っ込まれていた。
「奴の目を見たことがあるか? 正気じゃねえぞ」
「ドラッグですか?」
「さあな、だがまともじゃないってのはわかる、まともだったら筒井組に喧嘩売ったりはしない」
そんな大げさなと三浦は思った。
新貝幸人と直に話したことはないが、遠目からなら見たことがある。背もそう高くないし、体つきも痩せていて貧弱なほうだ。確かに目つきは鋭いが、どう見ても粋がったチンピラか、その成れの果てといったところに見えた。とてもこんな猟奇的殺人を犯すようには見えない。
三浦が疑っているのを察したのか、矢島は三浦の背をぽんぽんと叩きながら足を速める。
「だから、これから調べようじゃねえか、お前もその目で確かめろ、白か黒か」
「見てわかれば苦労しませんよ、だいたい令状はあるんですか?」
「ちょっと会って話を聞くだけだ、んなもんいらんだろ」
ちょっと話すようなことか? 相手が取り合わなかったらどうするんだ、その可能性のほうが高いぞと、ぶつぶつ言いながら、三浦はそのあとに続いた。
***
「サウス商会……ここですか?」
北新宿の大通りから一本中へ入った細い路地に、古びた四階建てのビルがあった。サウス商会と書いてある安っぽいブリキの看板は、半分錆びていて、文字が読み難い。周りにはピカピカの新築ビルや高層マンションが建ち並び、小奇麗な街となりつつあるのに、そこだけが昭和のようだ。
正面にガラス張りのウインドウがあり、中にはアンティークというよりは、廃棄物のような家具や小物がディスプレイされている。全体的にアメリカの片田舎といった雰囲気だ。
入り口の自動ドアはガタがきていて、開くときにがくがくと震えた。
中もウインドウと同じくアメリカンな小物や雑貨、家具で埋め尽くされ、かなり雑多なイメージだ。足の踏み場もない。
転がる雑貨を乗り越えながら奥へ進むと、突き当りに狭いエレベータがあった。それに乗り込み四階まで上る。そのビルは他に非常口くらいしか通路がなく、上に行くにはどうしてもそのエレベータを使うことになる。中は大人が四人入ると窮屈に感じる狭さで、ちょっと息苦しい。古いこともあるが、あきらかに消防法違反だろう。
「狭いですね」
「ああ」
「それに、なんか臭う」
「葉っぱだろ、連中、隠す気ねえな」
「合法ってやつなんでしょ、見つかっても摘発はされない」
「危険ドラッグっていうんだよ、あんなの、法の目掻い潜ってるだけじゃねえか、結局は麻薬だ」
「でも逮捕は出来ないですよね」
「うるせえな」
やけにゆっくりと上るエレベータに焦れながら矢島は毒づく。それをいつものことと眺める三浦は、また別のことを考えていた。
もし、今ここに、拳銃を持った暗殺者が来たら逃げられない。拳銃を持っていなくても、刃物一つでやられるかもしれない。中が狭く、身動きが取れないうえ、出入り口も狭い。前から誰か来たら、ぶつからずにはすれ違えない。エレベータという事情で考えれば、ドアが開いた途端、ハチの巣にされそうだ。
もしかしたら新貝は、そういうことも考えて、こんな狭くて古いビルに居を構えているのかもしれない。だとしたら、かなりズル賢い奴だ。
だが、逆に考えれば、それほど用心深い奴があんなバレバレの見え透いた署名を残すだろうか? それに、動機がない。被害者たちと新貝に接点があるとも思えない。
外れじゃないのか? そう思い始めるころ、鈍いエレベータは、ようやく四階についた。
扉はそれまでガタついていたとは思えないほどスムーズに開き、正面にいる新貝のニヤけた顔が目に入る。エレベータを出ると直接社長室になっているようだ。不用心だなと思い、それまでの構えた気持ちが萎えた。
これはなにも考えていない見た目通りのチンピラに違いない。やはり外れだ。
「なんだ、矢島さんじゃないですか、これはまた我が社へなにしに? 座り心地のいい椅子でもお探しですか?」
矢島らを見た新貝は、異名通りの狐のような顔で、ニタリと笑った。金髪に白いシャツ、金ぴかに輝いた丈の短い上着と、目立つ金鎖のアクセサリー。下はビンテージのジーンズと白い革製の靴で、とても社長というなりではない。だがなぜか、有無を言わせない迫力があった。
「それもいいがな、今日はちょっと聞きたいことがあんだよ」
「怖いですね、うちのモンがなにかしましたか?」
「それを聞きてえんだよ、逸らすんじゃねえ」
「はいはい」
「ここ数か月、この界隈で猟奇殺人が相次いでんだ、でな、俺はその下手人がお前かお前の子分じゃねえかと踏んだんだが、どうだ?」
矢島はいきなり核心を突いた。いきなり過ぎて三浦も驚く。これでは相手を警戒させるだけだ。もう少し遠回しに探れないのかと呆れる。だがそれが功を奏したのか、新貝は表情を崩した。張り付いたような笑顔は消え、憮然とした真顔だ。
「それはいきなり過ぎですね、うちは商社ですよ、そんな物騒なことしませんね」
「そうかい、じゃ昨日の夜中十二時ころ、どこで何してたか聞かしてくれ」
「アリバイですか? まあいいですけどね、うちで寝てましたよ」
「それを証明できるか?」
「できませんね、一人だった」
「ふうん……」
矢島は疑い深そうに鼻を鳴らした。彼の身長は新貝と同じくらいなのだが、それをわざわざ腰を曲げて屈んでまで、下から見上げるように新貝の顔を覗きこむ。かなりの至近距離だ。新貝は渋い顔で、少し面倒臭そうに片手を振り、半歩下がった。
「私は独身だ、一人住まいの真夜中、証人がいるほうがおかしいでしょう? まさかそれで怪しいとか言わないでくださいよ?」
「ま、そこまで無慈悲じゃねえよ」
「どうも」
少し機嫌の悪そうな表情で、新貝は早口にしゃべった。これは怪しいと三浦は目を見張る。
彼が犯人ではないだろう。だが、あきらかに動揺している。深く追及もしないうちから言い訳を並べるのがおかしい。なにか隠している証拠だと思った。
だが矢島はそこからの追及をしない。
「俺も別に本気で疑ってんじゃねえんだ、けど、この若いのが気になるって言うもんだからよ」
「えっ?」
矢島は言い出しっぺはこいつだと三浦を指さす。新貝はちらりを顔を上げ、横目で三浦を睨んだ。酷く冷たい目だ。人を傷つけることなどなんとも思っていない、人外の空気を感じる。
こんな奴に遺恨を持たれたくない。咄嗟にそう考え、言い出したのはそっちでしょと反論しそうになった。しかしこれはなにかの作戦かもしれないと考え、すんでのところで口を閉ざす。
「気を悪くせんでくれ」
「大丈夫ですよ、職務ってヤツだ、それも疑いは晴れた、もうお終いでしょう?」
「そうだな」
「ではごきげんよう、また来てください、今度はいい椅子を買いに」
「おう、そうさせてもらうわ、三浦、ほら、帰るぞ」
「あ、はい」
矢島に促され、三浦はそそくさと身を翻した。その途端、背中にゾッとするような冷気を感じ、思わず振り向く。
「なにか?」
「ぁ、いえ……」
新貝は、異様に細められた目で、にんまりと微笑んでいた。顔は笑ってるのに、ゾッとする。先日友人と観に行った能舞台「黒塚」に出てくる鬼女のようだ。殺人鬼というのは、こんな目をしてるんじゃないかと思った。
「すみません」
彼の背後に、死神の大鎌が見える。早く帰らないと、この場で切り殺される。そんな気がして、三浦は慌ててエレベータに乗り込んだ。
がくがくと震える三浦に驚き、矢島は目を見開く。どうしたと訊ねられ、ただすみませんとだけ、答えた。
彼がFOXかもしれない……なんの根拠もなくそう思った。
*
「糞が! 調子乗ってんじぇねえぞ!」
エレベータのドアが閉まると同時に、新貝は苛々と机を蹴飛ばした。さらに気持ちの治まらないまま、隣の部屋に控えている柄シャツを着た男を呼びつける。
別に用などない。ただ苛々を発散したいだけだ。
なんでしょうかとやってくるそいつの頬をぴしゃりと平手打ちすると、男はなんで自分がと気の弱そうな顔でおどおどと見返してくる。その態度が気に障り、もう二発、往復ビンタを食らわせて、ついでに机の上の灰皿を投げつけた。柄シャツの男はひいと悲鳴をあげ、しゃがみ込む。
そいつを横目で睨み、まだ治まらないので、今度は蹴ってやろうかなと考えたところで、別室からもう一人出てきた。短めの髪をオールバックに固めた背の高い男だ。
「どうしました幸人《ゆきと》さん?」
「あ? うるせえよ塚原《つかはら》、出てくんな」
「すみません、大きな音がしたもので、田中が不始末をしでかしたんなら私の責任です、処分は任せてください」
「ひっ……っ」
処分と聞いて柄シャツの男、田中は、また悲鳴を上げた。新貝も別にそこまでしたいわけではない。だいたい田中は悪くない。これは八つ当たり、単なる憂さ晴らしだ。仕方なく持ち上げかけた足は下ろした。
「……せえな、そんなんじゃねえよ」
「おや、ではただの八つ当たりですか?」
「ただの八つ当たりだよ!」
バツ悪く答えると、背の高い男、塚原は、僅かに口角を上げ、小さな笑いを噛み殺す。それにムッとした新貝は、用はないなら出てけと怒鳴った。だが塚原は聞こえぬふりだ。
「刑事が来ていたようですが?」
「ああ、見当違いの話さ、最近起きてる連続殺人の犯人はお前じゃないのか、だとさ」
「ああ、それはたしかに濡れ衣ですね、なんでまた」
「さあな、適当に言ってんだろ、俺が目障りなんじゃねえの? ったく、あっちもこっちも敵ばっかだ」
「始末、しますか?」
イラつく新貝と反対に、塚原は静かだった。なにを考えているのかわからない黒く淀んだ瞳で、刑事を排除するかと訊ねる。これが世辞やノリでなく、本気だから怖い。
新貝は、こっちもやれやれだと息を吐きつつ、そこまでしなくていいと答えた。
「俺はちょっと出かけて来る、連中がまた来たらお前適当に相手しといてくれ」
「どちらへ?」
「散歩だよ散歩」
「最近筒井組の動きが激しい、無用な散歩は控えてください」
「大丈夫だって、奴らも白昼堂々やりに来るほど暇じゃねえだろ」
「それはわかりません、私たちはそれだけ彼らを怒らせてる」
「向こうが勝手に怒ってるだけだ、俺たちはまっとうなビジネスをしてる」
「そんな言い訳が通用するような相手ではないと思いますが?」
「だいじょぶだって、すぐ戻る、じゃ、あとは頼んだぜ」
机の引き出しから愛用のクラッチバッグを取り出した新貝は、急ぎ足でエレベータへ向かう。心配した塚原は、護衛を連れて行ってくれと引き止める。だがそうはいかないのだ。あそこに他人は連れて行けない。
甘い顔をしていると、本当について来そうな塚原を牽制するため、新貝は少し機嫌の悪い表情を作り、睨みを効かせた。
「奴らが仕掛けて来たら返り討ちにしてやるさ、とにかくついてくんな」
「幸人さん!」
新貝は足早にエレベータに乗り込み、素早く閉じるのボタンを押した。扉は追いかけてくる塚原の鼻先でぴしゃりと閉まる。他に下へ降りる手段がないわけではないので、その気になればついて来ることは出来るが、塚原は頭が固い。そうはしないだろう。組織のボスがついて来るなと言っているものを、部下が違えるわけにはいかないと考えるはずだ。
事務所で一人焦れているだろう塚原を想像し、新貝は箱の中でクスリと笑った。
塚原とはボスと部下の関係だが、実は幼馴染でもある。子供のころ、気が弱くてイジメられっ子だった塚原を、よく庇ってやったものだ。彼はそれを恩にきて、ずっと傍に侍り、ボディガードを務めてくれている。少々頭が固いのが難点だが、頼りになるいい男だ。力も強い。
だが忠誠心が強すぎて、時々暴走するのが欠点だった。心配はありがたいが、時として迷惑だ。
「さてと……」
エレベータを降りた新貝は、首を振らずに目だけであたりを覗ってから歩き出した。その後を、矢島と三浦の両刑事がつけてくる。わかりやすい挑発は、それに乗った新貝がどう動くか見るためのモノだったらしい。
新貝もそれは気づいていた。知らぬふりをしているのは、無駄に騒いで余計な注目を浴びたくないからだ。それに、どうせ彼らは真相には辿り着けない。放っておいて害はないだろうと踏んでいた。
ただ問題は、彼らの推理があながち外れでもないというところだ。
「ったく、面倒臭えことになってきやがったな」
つけてくる二人を意識しながら、腕時計を確認し、ビルの陰で携帯を取り出す。コールすること十三回で、相手は出た。
「ゼノか? ああ俺だ、今日の取り立ては済んだか?」
「ずいぶん早い催促ですね、まだ昼過ぎたばかりじゃないですか、これからですよ」
「なんだ、さっさとやれよ、それが済んだらちっと話したいことがあんだよ」
「話したいこと?」
会いたいと言うと、電話では話せないのかとゼノは聞き返してくる。もちろんそれはだめだ。
「どうしても、顔を見て話したい、それに、人に聞かれちゃ困る、俺も……お前もな」
他人に聞かれたら困る話と聞いて、ゼノは沈黙した。どうやら相談中らしい。
彼らの話し合いは長引くことが多い。もともと性格が違い過ぎるのだ。だから新貝も急かしはしなかった。煙草を吹かしながらのんびりと待つ。そして二本目の煙草が半分ほど消費されたころ、ようやく返事が返ってきた。
「わかった、ではマンホールで会おう」
返事をしてきたのはオウガのようだ。ゼノは引っ込んだらしい。なにか揉めたかなと思ったが、そこは追及しなかった。それよりもまずは会うことを優先したい。
「懐かしいね、いいぜ、じゃ時間は今から二時間後だ、それまでに仕事は済ませて来いよ?」
「努力はしてみる、期待はしないでくれ」
「努力ってのは目に見えねえもんなんだよ、結果が全てさ、結果を持って来いよ?」
「後で会おう」
「ああ、期待してるぜ」
背後に迫る数名の影を意識しながら、新貝は通話を終えた。