ピー、ピー、ピー。
 聞き慣れた音で目を覚ますと、目の前にはスヤスヤと眠る姉。ハッとなりスマホを見ると、二十三時回っていた。
 やっちゃった。
 姉を起こさないようにそっと布団より抜け出してリビングに繋がる襖を開け、物音を立てないように出て和室の襖を静かに閉める。

「悪い、起こしたな?」
 台所に置いておいた食事を温めて一人食卓で食べているのは、父だった。
「ううん、お帰りなさい」
 食事をしているのに夜行灯の明かりのみで、物音を立てないように気を使っている。勿論、姉を起こさない配慮の為。

 父は運送会社に勤め、長距離トラックの運転手をしている。
 元々は中小企業でシステムエンジニアとして働いていた父は、実力を買われていたらしい。
 しかし世界を揺るがした流行り病の影響で、会社が倒産。企業側も人員を削減する中で四十代後半の父を雇ってくれる会社はなかなか見つからず、生活の為に畑違いの運送業で働き始めた父。
 長距離の為に拘束時間は長く泊まり込みもあり、家で休めない日もある。
 元々体力がなくあまり運転をしない父は、仕事をすることで疲弊し帰宅後や休みの日はずっと寝ている。
 これほど大変ならと転職を勧めたが、父は仕事を続けてくれている。
 父が働いてくれなかったら、当たり前だけどウチは生活出来ない。だから私が姉のお世話をすることにしている。

「いつも、ありがとうな」
 明らかな疲労混じりの声が、静かな台所に消えていく。
「お父さんも、ありがとう」
 それが私達が顔を合わせた時に合わせる会話。

 姉と私が小学五年生の時に母は癌で亡くなり、父は一人で私達を育てないといけなくなった。
 母方の祖父母は既に他界しており、親族は遠方の為頼ることは出来ない。
 父方の祖父母や親族は、姉に障害があると分かった時に一方的に縁を切られたらしい。
 だから身内は頼れず、父はより苦労しただろう。

「……ご飯とか、作るの大変だろ? 買い物行ってくれたなら、惣菜とかで全然良いからな?」
 優しさで言ってくれていると分かる。だけど。
「お姉ちゃん、食べてくれないから……」
 ははっと笑うしかない。だって、食べてくれないんだから。

「え?」
「どうやらお惣菜、食感変わったみたい。私は全然気付かなかったんだけどね」
「そうか……」
 父の言葉は、またリビングに消えていく。

 姉は食事の好みが激しい。これはワガママとかではなく、障害ゆえ。口の中で広がる味や食感で食べれないものが多く、姉が一番苦しいことだから仕方がない。

 明日のお米のセットし、お父さんが食べた食器を流しに持って行こうとするとそれを止める手。
「いい、これぐらいやるから」
「ありがとう、お願いして良い? じゃあ、おやすみなさい」
 父に背向け、和室の襖をそっと開ける。
「未咲」
「何?」
「いつも、ありがとうな」
「うん。お父さんも」
 ニコッと笑いかけ、襖をそっと閉じる。
 すると押し寄せる、ドッとした疲れ。
 このまま寝たい。
 宿題しないと。
 先生は出来る範囲でと言ってくれているから、良いじゃない?
 中間テスト控えているでしょう?
 頭の中で巡る、論争。休みたい脳と、この先の自分を考える脳が言い争っている。
 しかし勝手に下がってくる瞼がもう限界で、私は先を考えるのを止め姉の横に敷いた布団に包まる。

 私はこの時間が苦手だ。眠いはずなのにやることの無い脳は、勝手に色々なことを考えだす。
 今日姉が、道路に飛び出して危なかったこと。
 理由はどうあれ、泣かせてしまったこと。
 澤井先生に言われた、進路についてもう一度考え直すこと。
 ……本当にこのままで良いのかということ。
 そして。

『ムリして高校来なくて良いのにね? ずっと家で世話してろよ!』
『そうそう。良い子ちゃんぶってるの、ムカつくんだよね! あー、学校辞めてくんないかなー!』

 脳内で再生された言葉に、眠りに落ちかけていた瞼がパチっと開く。
 ……そうだ、やらないと。
 ムクリと体を起こした私は、そっとリビングに向かう。
 父は既に入浴しており、部屋はガランとしている。テーブルを再度拭き、広げるドリルとノート。
 しかし所々分からず、授業中の居眠りが原因だと気付いた私は小さく溜息を吐き、教科書をパラパラと捲る。
 宿題、どうしよう。テスト、どうしよう。
 こうやって夜更かしをするから授業中に居眠りをしてしまうのだと分かっているけど、こうでもしないと私に宿題する時間なんてなかった。