「大地!」
 五十嵐くんの姿を見た途端にニコッと笑った姉は、その体に飛び込む。

「こないだ会ったばっかだろ? オーバーな奴だな」
 姉の体を支えつつ突き放したりしない様子から、まんざらでもないのだろうか?
 不意に過ぎった考えに、チクッと痛む胸の奥。
 最強のライバルだ。

 淡い青色の空に薄い雲が広がる、三月下旬。
 卒業式が終わり、町を出て一人暮らしをする亜美と渚を見送り、地元に残りつつも四月から別々の人生を生きていく私達は三人で海岸道路を歩いていた。
 五十嵐くんは私達姉妹をお祝いをしてくれるらしく、どこに行きたいと聞かれて二人で相談していたら、あの海に行きたいと姉が提案してきた。
 寒いからと全力で拒否したけど、その理由が分かったから行き場はあの浜辺と二人で決めた。

「寒っ! なんで海なんだよ! 他にドライブとか、ドライブとか、ドライブとかあるだろ?」
「全部、一緒!」
「やっぱり、寒いの苦手なの?」
 姉と私とで過剰なほど厚着をしている五十嵐くんをからかうと、「うるせー!」と飛んでくる小言。
 それに笑っていると次は姉より砂山を作ろうと提案され、私の体がどんどんと冷えていく。

「だとよ? 遊んでこいよ?」
「五十嵐くん、しない?」
「妹は寒いのが平気なんだろ?」
 その返しに、ぐうの音も出ない。
 ニコニコしている姉に引っ張られ、海付近の浜辺より二人で向き合いしゃがみ込む。
 冷たい砂を触ってあまりの冷たさにヒヤッとなっても、姉は一切の顔色を変えず山を積み上げていく。

『あの海を、お別れの場所するのは嫌』
 姉が、この浜辺に来ることを望んだ理由。
 この場所は姉と五十嵐くんが出会った場所であり、私の勝手で別れさせてしまった場所でもある。
 私の勝手で二人を離してしまった。
 二人が互いを大切な存在だと思っているのに、そんな気持ちをムシしてしまった。
 私はこれからも五十嵐くんと関わりたいし、姉とも本音をぶつけ合える姉妹で居たい。
 だから。

「五十嵐くんのこと、好き?」
 砂山で姉が私の顔が見えない時を狙って、その気持ちを尋ねてみた。

「うん!」
 顔を横よりニュッと出し、私の顔を覗き込んでくる。
 あまりにも素直で、真っ直ぐで、そこには一切の嘘や誤魔化しもない。
 そんな姉に、私も。
「私も五十嵐くん、……好きだから」
 姉の目を見つめ、そう言葉にする。

 以前の私なら、姉の大切に想っている人が居れば身を引いていただろう。母と父から、一歩引いた幼少期のように。

 ……だけど私は五十嵐くんから距離を取るつもりはないし、この気持ちに蓋をするつもりもない。
 大切な人への気持ちは、譲らないと決めたから。

「そうなんだ。大地は私も、みーちゃんも好き。みんなで仲良くしよ!」
「ううん、ダメだよ」
「……どうしてダメなの? 三人で仲良くしようよ!」
「好きな人は、一人じゃないとダメなんだよ。だからお姉ちゃんか私か。また全然違う人かは分からないけど、五十嵐くんが好きな人じゃないといけないの」

 姉は恋愛感情は持ち合わせていても、それを恋愛だと自覚していないのだろう。
 黙っていれば姉の中で通り過ぎていく一時的な感情なのかもしれないけど、私は姉に説明していく。
 だって、そんなのズルいもんね。
 その知識を持ち合わせていない姉に、教えないなんて。
 この純真な瞳を前に、そんなことは出来ない。

 だから私は説明をしていく。
 自分が感じた身を焦がすような恋心、自分を嫌いになるほどの嫉妬心、そして自分を変えてくれるぐらいに素敵なものだということを。

「えー! みーちゃん大丈夫? お医者さんに診てもらおう!」
 私の元に来たかと思えば、私の腕をグイッと掴んできた。
 こちらに向けてくるのは真剣な眼差しで、そこにいつもの戯け具合は一切なかった。

 ……ん?
 あまりにもオロオロとする姿に、全く話が通じていないと感じ取れる。
 とりあえず元気だからと安心させ、砂山を高く積み上げながらどうゆうことかと考える。

 ……もしかして。

「ねえ。五十嵐くんのこと、どう思う」

「お兄ちゃんみたいで、大好きだよ!」
 満面の笑みで返してくる顔は無邪気で、ただ可愛らしかった。
 だけど、私はその顔にヘナヘナと力が抜けていく。
 ……好きって、そういう意味だったんだね……。

 勝手に怒って、嫉妬して。私は何をしていたのだろうか? こうやって聞けば、姉は嘘も言わず本心を教えてくれたのに。

「……お姉ちゃん。ごめんね」
「何が?」
 純真な姉には、私の醜い嫉妬心なんてまず理解出来ないだろう。
 このままで良い、このままであって欲しい。
 純粋で、綺麗な瞳をしていて、心優しい。
 それが私の大好きな姉なのだから。

「寒い中、何してるの?」
 その声に同じタイミングで振り返ると、五十嵐くんの隣には春物のコートを着た女性が立っていた。

「京子先生だー!」
 姉がニコッと笑って駆けていくのに気付いた私は全力で追いかけるが、砂浜に足を取られ全然間に合わない。
「お姉ちゃん、手、手!」

 べちゃ。
 止める間もなく姉は京子先生に抱きつき、コートに砂が付いてしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 ペコペコと謝る姉と私に、払えば大丈夫だからと笑ってくれる。
 本当に変わらないんだよな、この無邪気さは。

「あーちゃん、一緒に遊ぼうか?」
「うん!」
 京子先生は当たり前のように姉の手を引いて、先程の砂山の方に駆けていく。

「五十嵐くん、大丈夫?」
「んなわけ、ねーだろ! どうゆう皮膚してんだ、お前ら?」
 厚手のコートをこんもりと被り小さくなっている姿に、思わず声をかける。学校でも異様に着込んでいるなと思っていたけど、まさか寒いのがここまで苦手だったなんて。
 笑いながら五十嵐くんが座っている石垣の隣に座ると、ポケットを弄り何かを取り出した。

「ん!」
「え?」
「やる」
 差し出してきたのは、手の平サイズよりやや大きい細長い長方形の箱。

「姉さんの分もプレゼントを用意しているから、気にすんなよ」
 頬杖を付いたままブスッとした表情を浮かべ、顔を背けてしまった。

 私達双子は本来より三ヶ月早く生まれていて、予定日は六月下旬だったらしい。
 もし予定通り生まれていたら一学年違っていて、亜美と渚、五十嵐くんとはもしかしたら出会えなかったかもしれない。
 正直小さく生まれて発育も遅い中の早生まれは負担で、特に幼少期は苦労した記憶しかないけど、今初めて良かったと思えた。

 箱を開ければそれはネックレスで、金属に鎖にキラキラと輝く石の飾りだった。
 ネックレス? え? これ結構高いんじゃ……。
 疎い私でも分かる。高校生が頑張ってバイトして買うぐらいの物だというぐらいは。

「大事に仕舞っておけよ、また間違われるから」
「ありがとう」
 それはピンクのキラキラとした物で、姉と私が付けているブレスレット同様に太陽に照らされ光り輝いていた。

『これ直しておいたよ。大切な物を壊されたから許せないだろうけど、せめて形だけは戻った方が良いかなって』
 そう言って渡してくれたのは、姉によって壊されたブレスレットを新たに繋ぎ合わせてくれた物だった。
 それは五十嵐くんがくれた物と見た目が全く同じで、壊れたと思っていた思い出や気持ちまで戻ってきてくれたような気がした。

 ……冷静になれば直せることぐらい分かっていたのに、あそこまで怒ってしまった。
 だけど京子先生は私の気持ちを理解してくれて、直ったから良いじゃないと軽く扱わなかった。
 私が怒った気持ち、許せなかった気持ちを理解してくれたからこそ、姉を許せた。
 また先生に救われたな、私。

「京子先生ね、四月から保育園でまた働くんだって」
「そうか、やっぱ好きなんだろうな子供が」
「うん」
 姉と遊んでくれている姿は満面の笑顔で、子供が好きなのだと滲み溢れている。

 失われた時間は戻らないから、今を生きると決めたの。
 そう、言ってたな。

「じゃあ二年後は先輩かもしれないな」
「うん。あの保育園で働きたいしね。先生厳しいからなー」
 大切な子供に関しては絶対に譲らない京子先生だからこそ、私は尊敬しているのだから。

「最近ね。お父さんとお姉ちゃん、仲良いんだ」
 ずっと顔を合わせて来なかった父と娘。
 だけど今は人参を食べないと言う姉と、じゃあジュースもなしだと一歩も譲らない父が毎日楽しそうにケンカしている。
 お菓子にこっそり人参を擦った物を入れられているのに美味しいと食べる姉に、こっそりジュースを飲まれているのに減りが早いなと呟くだけで全く気付いていない父。
 毎日の攻防戦に、私は笑いを堪えるのに必死だ。

 空を見上げれば小さな入道雲が所々浮いていて、季節は巡り春へと変わっていく。

「また桜でも見に行かねーか?」
「いいね。あまり人がいない場所は……」
「二人で……、行かねーか?」
「え!」
 改めて二人でと言われた私は、思わず隣に座る五十嵐くんの方に目をやる。
 するとプイッと顔を背ける耳は、やはり赤かった。

「……寒いの、本当に苦手なんだね?」
「は?」
 気の抜けた声を発しながらこちらに顔を向けた顔も、真っ赤だった。

「どこの桜見に行く?」
「良い場所があんだよ」
「お出掛け、お姉ちゃんに気付かれないようにしないとね」
「お前の姉さん、鋭いからな……」
 ははっと笑ったら暖かな春風がふわっと、頬を撫でる。
 春はもう来てくれている。
 私は初めて、新たな季節の訪れを歓迎出来た。