空は淡い青色。薄い雲がゆっくりと流れる冬。
年を越した一月末、やっとこの日は来てくれた。
父の運転する車より降りた先に広がるのは、平屋建ての建物。受付をし、父が手慣れたようにチャイムを鳴らして内鍵を開けてもらい、中へと入っていく。
余計な物がなく整理された廊下。壁に貼られた掲示物は平仮名になっており読めるように配慮されている。そんな場所を過ぎていき一室に辿り着くと、私と同じ背格好をした女性が同じ顔を向けてきた。
「み、みーちゃん。みーちゃん!」
私の姿を見た途端に走り出し、力強く抱きしめてくれる姉。耳元より啜り泣く声が聞こえ、どれほど我慢してきたのかを感じ取れる。
「お姉ちゃん……、ごめんね」
私が一人で世話を続けたから、姉を苦しめてしまった。もっと早く、支援に繋げるべきだった。
そう思い、姉の体をギュッと抱き締める。
「みーちゃん、おめでとう。京子先生みたいになるんだよね?」
ポケットに入っていたハンカチを出し自分で拭った姉は、呼吸を整えてそう言葉にしてくれた。
分かってくれていたんだ。
姉を抱き締める力は、より強くなっていた。
「違うよ。京子先生みたいになりたいから、勉強しに行くんだよ」
「大地と一緒?」
「うん。五十嵐くんは看護師さんになりたいから、春から勉強しに行くんだよ」
十二月上旬、うちに合格通知が届いた。私は来年四月から短大生として、二年勉強に励むことが出来る。
小論文と面接。勿論頑張ったけど、澤井先生が書いてくれた推薦状のおかげだろう。
父は以前の会社でお世話になっていた先輩が起業していたらしく、そこでシステムエンジニアとして働き始めた。
テレワーク対応の職種により、以前より身動きが取りやすい。姉が体調不良などの緊急時でも対応がしやすいと、就職を決めた。
困っていたなら、もっと早く声をかけてくれたら良かったのに。
そう言われた父は、もっと人に甘えたら良かったと呟いていた。
姉が生まれ、障害を理由に親族に絶縁された父。その傷は深かったのだろう。
だれも信じられなくなるぐらいに。
「お世話になり、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる姉の表情は凛々しく、そんな姿に私は瞬きを忘れるぐらいにまじまじと見つめてしまった。
「また、遊びに来てねー」
見送りの職員さんは、笑顔で手を振ってくれる。
その言葉は社交辞令ではなく、定期的に短期入所したら良いという意味。レスパイトと呼ばれるらしく、介護者の休息の為にある制度とのことだった。
姉の場合は一ヶ月に一週間利用出来るらしく、繁忙期に重なる時や疲れた時に利用すると父は決めている。
もう自分を見失わない為に。
「家、家、楽しいお家ー」
行きとは違い明るくなる車内。
可愛らしい性格は変わっていないようで、陽気に歌を歌う。
良かった。それまで変わっていたら姉じゃないから。
ニコニコと笑う姉を、私は目を細めただ眺めていた。
海岸道路より田舎道に入れば、うちの家が見えてくる。
姉は久しぶりの家に気分は上がりキャアキャアと喜ぶも、車が止まっても感情のままドアを開けようとしない。
「ほれ」
「うん!」
父が姉に手を伸ばし、その手をギュッと握る。
互いを見つめ合ったかと思えば、途端に表情が緩む。
本当に二人の中にあった蟠りはなくなったんだ。
父が姉の手を握り、私が鍵を開ける。私が姉を見ている間に父が荷物を下ろして、それを姉と私が相談しながら片付けていく。片付けが終われば、出来ている夕飯。
二人でやるって、こんなに頼りになることなんだ。
姉にはカレー、私にはシチューが用意されていて、それを三人で食卓を囲んで食べる。
顔に傷を付けて帰ってきたあの日から、父は毎日施設に通い姉と顔を合わせてきた。
叩かれて引っ掻かれても、嫌いと言われても、就職活動が大変でも、父は姉に向かい、もう一度家族で暮らしたいと頼み続けたらしい。
母が病気になり父も余裕がなかったこと。亡くなってから立ち直れず私達を支えられなかったこと。姉に拒絶され仕事に逃げたこと。その仕事に呑まれてしまったこと。
姉に分かるように噛み砕いて、何度も何度も話した。
相手の気持ちが分かるようになっていた姉は父も母を亡くして苦しかったのだと理解したようで、手を出したこと拒絶したことを謝ったらしい。
父が姉に毎日会いに通って、二ヶ月後のことだった。
年を越した一月末、やっとこの日は来てくれた。
父の運転する車より降りた先に広がるのは、平屋建ての建物。受付をし、父が手慣れたようにチャイムを鳴らして内鍵を開けてもらい、中へと入っていく。
余計な物がなく整理された廊下。壁に貼られた掲示物は平仮名になっており読めるように配慮されている。そんな場所を過ぎていき一室に辿り着くと、私と同じ背格好をした女性が同じ顔を向けてきた。
「み、みーちゃん。みーちゃん!」
私の姿を見た途端に走り出し、力強く抱きしめてくれる姉。耳元より啜り泣く声が聞こえ、どれほど我慢してきたのかを感じ取れる。
「お姉ちゃん……、ごめんね」
私が一人で世話を続けたから、姉を苦しめてしまった。もっと早く、支援に繋げるべきだった。
そう思い、姉の体をギュッと抱き締める。
「みーちゃん、おめでとう。京子先生みたいになるんだよね?」
ポケットに入っていたハンカチを出し自分で拭った姉は、呼吸を整えてそう言葉にしてくれた。
分かってくれていたんだ。
姉を抱き締める力は、より強くなっていた。
「違うよ。京子先生みたいになりたいから、勉強しに行くんだよ」
「大地と一緒?」
「うん。五十嵐くんは看護師さんになりたいから、春から勉強しに行くんだよ」
十二月上旬、うちに合格通知が届いた。私は来年四月から短大生として、二年勉強に励むことが出来る。
小論文と面接。勿論頑張ったけど、澤井先生が書いてくれた推薦状のおかげだろう。
父は以前の会社でお世話になっていた先輩が起業していたらしく、そこでシステムエンジニアとして働き始めた。
テレワーク対応の職種により、以前より身動きが取りやすい。姉が体調不良などの緊急時でも対応がしやすいと、就職を決めた。
困っていたなら、もっと早く声をかけてくれたら良かったのに。
そう言われた父は、もっと人に甘えたら良かったと呟いていた。
姉が生まれ、障害を理由に親族に絶縁された父。その傷は深かったのだろう。
だれも信じられなくなるぐらいに。
「お世話になり、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる姉の表情は凛々しく、そんな姿に私は瞬きを忘れるぐらいにまじまじと見つめてしまった。
「また、遊びに来てねー」
見送りの職員さんは、笑顔で手を振ってくれる。
その言葉は社交辞令ではなく、定期的に短期入所したら良いという意味。レスパイトと呼ばれるらしく、介護者の休息の為にある制度とのことだった。
姉の場合は一ヶ月に一週間利用出来るらしく、繁忙期に重なる時や疲れた時に利用すると父は決めている。
もう自分を見失わない為に。
「家、家、楽しいお家ー」
行きとは違い明るくなる車内。
可愛らしい性格は変わっていないようで、陽気に歌を歌う。
良かった。それまで変わっていたら姉じゃないから。
ニコニコと笑う姉を、私は目を細めただ眺めていた。
海岸道路より田舎道に入れば、うちの家が見えてくる。
姉は久しぶりの家に気分は上がりキャアキャアと喜ぶも、車が止まっても感情のままドアを開けようとしない。
「ほれ」
「うん!」
父が姉に手を伸ばし、その手をギュッと握る。
互いを見つめ合ったかと思えば、途端に表情が緩む。
本当に二人の中にあった蟠りはなくなったんだ。
父が姉の手を握り、私が鍵を開ける。私が姉を見ている間に父が荷物を下ろして、それを姉と私が相談しながら片付けていく。片付けが終われば、出来ている夕飯。
二人でやるって、こんなに頼りになることなんだ。
姉にはカレー、私にはシチューが用意されていて、それを三人で食卓を囲んで食べる。
顔に傷を付けて帰ってきたあの日から、父は毎日施設に通い姉と顔を合わせてきた。
叩かれて引っ掻かれても、嫌いと言われても、就職活動が大変でも、父は姉に向かい、もう一度家族で暮らしたいと頼み続けたらしい。
母が病気になり父も余裕がなかったこと。亡くなってから立ち直れず私達を支えられなかったこと。姉に拒絶され仕事に逃げたこと。その仕事に呑まれてしまったこと。
姉に分かるように噛み砕いて、何度も何度も話した。
相手の気持ちが分かるようになっていた姉は父も母を亡くして苦しかったのだと理解したようで、手を出したこと拒絶したことを謝ったらしい。
父が姉に毎日会いに通って、二ヶ月後のことだった。



