「んで、何があった?」
「え?」
「お前と姉さん。ま、嫌なら話さなくて良いけどよ」
 逃げ道を作ってくれる物の言い方に、私の肩はスッと軽くなっていく。

『人を支える為には、まずは自分を大切にしないといけない』
 京子先生の言葉が、ふっと過った。

 私は、五十嵐くんの力になりたい。
 お兄さんの死を自分のせいだと思って欲しくない。
 責めて欲しくない。
 淋しいなら、側にいて支えたい。
 だけど、それはダメなんだよね?
 それは泥濘みで共倒れになることなんだよね?
 だったら、私が変わらないといけない。

「聞いて……くれる?」
「聞くだけならな。言っとくけど、気の利いたアドバイスとか求めんなよ?」
 言い方はぶっきらぼうだけど、温かな言葉に心が温まっていく。

「……ブレスレットが、壊れたの」
 それを口にした途端、喉の奥がヒリヒリとして胸がズキンと痛む。まだ姉を恨む気持ちがあった自分を余計に嫌いになり、ただ目を閉じ手を握り締める。

「五十嵐くんが作ってくれたネックレス」
 息が、どんどんと苦しくなっていく。

「……あ。姉さんが壊したのか。でも、百円で作れるもんだろ? そんなの別に……」
「大切な物だったの! 五十嵐くんがくれたんだよ! 嬉しくて、だから壊れて悲しくて。……お姉ちゃんに、ひどいこと言ってしまっ……」
 言葉に詰まった私は、大きく息を吸って吐く。
 八つ当たりに近い言動を思い返し、一瞬息を止めてしまう。

「悪い……。そんなに大切にしてくれたなんて、思わなくて。……ん? 確か姉さんはピンクで、お前は赤だと決めてると言ってたよな? もしかして……」
 変わっていく声は、どんどんと小さくなっていく。

「うん。自分の物と間違えたんだと思う。なのに私は怒って……」
「マジかよ」
 大きく息を吐きながら目を閉じて俯き、髪をグシャとする。

「悪い、いらん物やって。お前らのケンカは俺のせいか……」
「違うよ」
 首を横に振るけど、半分は当たっている。……五十嵐くんが原因で、私達はケンカしてしまった。

「ブレスレットくれて、嬉しかったの」
「そうだろうな。お前、本当は赤よりピンクが好きみたいだし」
 こちらに向けてくれる目は全てを見透したようで、やはり私の本心に気付いてくれていたんだと分かる。

「ジュースは炭酸より、ミックスジュースのような甘い方が好きなんだろ?」
「どうして、ジュースまで?」
「お前、担任から貰ったジュース振ってただろう? サイダーなのに。無意識にお前はミックスジュースを望んでた。……バカだな、欲しいと言えばいいのに」
「本当、だよね」

「言えないんだろ? お前、親に甘えたことあるか? 我を通したことあるか? わがまま言ったことあるか? ないんだろ? だから何も言えねーんだよ。ずっと本当の自分を押し込めて生きてきたんだから!」

 押し込める……。本当の私を?
 じゃあ、今存在する私は何? 私は私じゃないの?
 だって、姉は好きなピンクじゃないと癇癪を起こすから、私は赤を選ぶしかなかったから。
 姉は食べれないものがあるから、外食は姉と違う食事を選ばないといけないから。
 ジュースは炭酸が好きだから、姉が飲めなかった時の為に似たような炭酸飲料にしないといけないから甘いジュースは選べなくて。
 だから私は、それらを好きになるようにした。
 そうしないと、いけなかったから。

 ……そっか。本当の私は、心の奥に押し込めてしまって蓋をしていたんだ。
 本当の私はとっくに。自分でも気付かない間に。ひっそりと息を止めていた。
 じゃあ、今を生きている私は誰なの? どんな人格なの?

 息苦しくて、どんどんと詰まっていく喉。熱くて、痛くて。それは目にまできて、前が見えなくて、目から一粒の涙が落ちていた。

「……ごめん。泣くつもりなかったのに……」
 ずっと泣いてこなかったのに。
 時折吹き出す気持ちは「本当の私」が僅かに息をして声を上げていたのに、それを「求められていた私」が蓋をして封じ込めていた。本当は泣き喚きたくて、仕方がなかったのに。

「泣け泣け! 子供の頃から泣いて来なかったんだろ? だから喚いて良いんだよ。腹に溜め込んだもん、吐き出したらいいんだよ! 蓋なんか外してしまえばいいんだからよ!」
 その言葉に、どんどんと溢れてくる涙。
 ずっと締めていた蓋は、完全に外れてしまったようだ。

「……本当は私も、抱き締めて欲しかった。お母さんとお父さんに一番に愛され、心配される存在になりたかった……」
 ずっと誰かに言いたかった本音が、涙と共に溢れてくる。

「お母さんに話したいこといっぱいあっても、お姉ちゃんの声に消されていたの。聞かないと怒って、それがパニックに繋がって。だから私は話しかけるタイミングを図っていたけど、お母さんはお姉ちゃんといつも一緒で。お姉ちゃんが寝た後に話そうとしても、お母さん疲れてて。お父さん、仕事で疲れてて。だから、いつも話せなかった……」
 だから自分の中で消化して、ペットボトルの容器にポタポタと入れて蓋をする。そうするしかなかった。お母さんもお父さんも、疲れていたんだから。

「私には、楽しみを持つことが出来ないの。期待した通りの未来は来ない。遊園地連れて行ってもらったけど、お姉ちゃんがパニック起こしてすぐに帰らないといけなかったから。周りにジロジロ見られて、すごく嫌な気持ちになって。両親は謝ってくれたけど、仕方がないから。だから、良いよと言ったの。誕生日だったのに。怒っても仕方がない。お姉ちゃんは分かってない。ずっと、そう自分に言い聞かせていた。保育参観とかお姉ちゃんの療育あったからムリだったし、友達の家族旅行の話が羨ましくても絶対ムリだし、せめてファミレスでお子様ランチとか食べてみたかったけど、両親を困らせると思って言えなかった。私が我慢したら全て丸く収まる。ずっと、自分にそう言い聞かせていたの。楽しかった思い出は、年長の時に入院した時。お姉ちゃんを預けて、お母さんは私に付いてくれた。一週間、ずっと一緒だったの。話をしたら聞いてくれて、背中痛いと言ったら摩ってくれて、夜は同じベッドで寝るの。その時、病室から見える星に願ってた。私も病気になりたい。そしたら両親は私を見てくれる。私をお姉ちゃんと入れ替えてください。病気になれば私も……」
 感情のままに放つ言葉に、ハッとなった私は口を噤む。
 絶対に言ってはならないと思っていたこと。
 病気になればだなんて。本当に病気で苦しんでいる人も居るのだから、絶対言ってはならないと分かっていたのに。
 しかも病気により子供時代を奪われた人に、言ってしまった。

「ごめんさ……」
「謝んなよ。健康体だったら、他に何があっても生きれるだけ幸せだと思えってか? そんな両極端な思考は持ってねーし。……いや、兄が教えてくれた。あの人は確かに体のどこも痛くなかったけど、心は痛かっただろう。お前のようにな」

 一瞬目が合ったけど、スッと逸らされる視線。
 泣き顔を見ないようにしてくれているのだと気付いた私も反対側を向き、指でそっと涙を拭う。