「俺が抱えていた心臓の病気は根本的な治療法はなく、生活習慣や薬で発作を抑える対処法しかなかった。改善させる方法は一つ、成長することだった。中学ぐらいになると安定し外に出られた事例が多いから、そうしたら外にも出れるし、学校にも通える。そう、医者に言われていた。んなわけねーだろとまた毒付いていたけどよ、本当なんだよな。十歳過ぎたぐらいから酸素いらねーし、バカ笑いしても息苦しくならない。動き回っても、心臓痛くねーの。嬉しかったが、逆の苛立ちも感じたな。他の奴らはそれが当たり前だったのかと。俺、外の世界知らないんだよな。五年の頃から体調に合わせて学校通い始めたけど、誰も知らねーし。同じクラスの奴らが知ってることでも、俺は知らねぇ。俺がずっと閉じこもっている間にも、当然ながらこいつらにも同じ時間が流れていて、有意義な時間を過ごしていた。俺は子供時代を失ったんだと気付いた途端に、俺はコイツらとは違うと話しかけられてもシカトした。当たり前だけどよ、俺は居場所を失くして孤立した。まあ、自業自得もいいところだよな。せっかく外に出れるのにどうでも良くなって、部屋に閉じこもってた。散々、悪態ついてな」
 目に光はなく、焦点は私に合っているはずなのにどこか遠くを見ているような気がする。おそらく、遠い昔をみているのだろう。

「そんな時に兄がよ、中学生でも遊べる遊具を探し出してくれたんだよ。行かねぇって言ってるのに半ば無理矢理連れて行かれ、滑り台やブランコの漕ぎ方を教えてくれた。高校生がバカみたいに楽しそうにするから、俺も根負けして滑り台をやったら。まあ、もう抗えないな」
 こちらを見る目はお兄さんから私に向けるものへと変わっていて、目付きは過去ではなく今を見ているように感じた。

「大人遊具を知ってたのは?」
「兄が連れて行ってくれたんだよ。それに飽き足らず芝滑りとか浜辺での砂山の作り方まで教えてくれ、向日葵が咲く畑、コスモス畑、木々のトンネルとか、あちこち連れて行ってくれたんだ。傍目には中高生が何やってんだって感じだっただろうけど、兄は堂々としてるし俺も良いやって。開き直ってしまえばこっちのもんだからな。それからはクラスの奴らの前でブスッとしているのがバカバカしくて、つるむようになってたな。一緒にバカやってた方が楽しかったからな」
 口元を緩めた五十嵐くんは頬杖を付き、さりげなく手のひらを口を隠す。
 よほど楽しかったんだろうな。だからこそ。

「私達を連れ出してくれた場所は、お兄さんとの思い出の場所だったの?」
 そう聞いていた。

「ああ。俺が外に出れるようになったらと、以前より良い場所を見つけてはメモしていたらしい。……兄は、優しい人だった。こうやって俺を喜ばせようと室内遊びを仕入れ、普通の生活が送れるようになってからのことまで考えてくれ。仕事で多忙だった父に気を使い、看病疲れで無気力になった母を気遣い家事と俺の世話までして。菓子も、おもちゃも、テレビも、何でも俺に譲ってくれた。だけど俺は性格捻じ曲がってるから、健康な兄を僻んで毒付いばかりいた。かわいくねー弟だっただろう。でもな、一つも嫌な顔をせずに何を言っても肯定してくれた。辛いのは病気を抱えた俺だって。代われるものなら、代わりたい。あの人は本当にそう思っていたんだろなって、今なら分かるぐらい自分を顧みない人だった。極め付けには、俺が心臓の病気を抱えていると知った幼少期から、親に治療薬を作って弟を治すと言っていた。まあ子供の頃だし、それぐらいならあることなんかもしれねーが、高校生になったら理系に進んで本当に進学先を薬学部にしてんの。家族の期待に応える為に。全く、どこまでのお人よしなんだよ、あの人は。……自分より弟の俺。自分より俺の世話に疲弊した両親。自分より見知らぬ他人。……だから、兄は死んだ。この海で」
 五十嵐くんが向けた先には夕陽に照らされ、穏やかな波が押し引きしていた。

 ……海で。五十嵐くんのお兄さんが。
 あまりの衝撃に胸は強く締め付けられ、声が出なかった。