夕焼け色の空。蝉時雨と共に響く、虫の鳴き声。
 季節は巡り、どこか淋しげな夏の終わりへと変貌していた。

「おう」
「……あ」
 五十嵐くんはいつものように家に来てくれたけど、一つ違うのは姉が居ないこと。だから今日は姉に送る視線はなく、その瞳は私にだけ向けられる。

 口を開くけど、出てこない言葉。
 せめて身勝手な行いを謝りたいけど、出ない声。
 そんな私から顔を背けた五十嵐くんは「行くぞ」とだけ声を出し、前方をゆっくり歩き出す。
 返事も出来ない私は、黙って付いて行く。この大きな背中を眺めながら。

 田舎道から海岸道路へ、そして五十嵐くんが姉を保護してくれたあの浜辺へ。
 オレンジ色した夕陽は一層に広がり、海まで一面に染め上げる。

 もしこの海で消えてしまっていたら、私は五十嵐くんとこの空をもう一度見ることが出来なかっただろう。
 そう思いながら、暮れが早くなった夕日を石垣に並んで座りただ眺めた。

「……どうした?」
 こちらに目をやらず、真っ直ぐに海を眺めたままの五十嵐くんは軽い口調でそう聞いてくれる。
 深刻にすると私が身構えてしまうから。そんな優しさが滲み溢れてくる。

 だけど私の心に閉じた蓋はギュウギュウに閉まっていて、僅かな緩みもない。姉に発した酷い言葉、衝動的な行動。それが怖くて、私の体さえもガチガチに固まっていた。

 どうしよう。何も言えない。言葉が出ない。
 ……私はやっぱり、変わることが出来ないようだ。

 その事実に膝に顔を埋め大きく息を吐くが、次の呼吸が出来ない。私は、もう……。

「俺さ。今はこんなんだけど、子供の頃は死ぬかもしれないって言われてたんだよな」
 何でもないようにボソッと呟く内容に、思わず息を飲んだ私はまた息を吐き出す。五十嵐くんの方に顔を向け、いつの間にか呼吸を繰り返していた。

「心臓病ってやつ? 母親の腹にいる頃から分かってたみたいでよ。無事に生まれられるか分からない、育つかも分からない。産まないのも一つの選択だと言われたらしいが、母親は俺を産んで育ててくれたよ。世話が大変だと言われていたのにな。体力なくて口からミルクとか飲めねーから鼻から胃に向けて管を入れてそこから注入とか、常に鼻カニューレ付けて酸素吸入とか、酸素濃度測定とかの機械付けて管理して。極め付けには赤ん坊相手に心臓に負担かかるから泣かすなとか、もう無茶苦茶だろ? どれだけ気をつけていても俺は頻回に発作を起こして、親は救急車を呼び入退院を繰り返していた。死亡率が高いとされる赤ん坊の時期が過ぎても、幼児期も気が抜けないしな。運動どころか感情の起伏も心臓に負担がかかるし、だから喜ぶことも泣くことも出来なくて。当然外なんか出られるわけねーし、病院か家で過ごすしかなくて。窓から外を見れば、俺と同じぐらいの奴らはみんな遊具で遊んでてよ。……俺、生きる為に生きているだけじゃねーかって、意味が分からなくなってたな」
 目を細め海を眺める横顔はあまりにも切なくて、どれほど過酷な人生を送ってきたのかを感じ取れる。
 外に出られなくて、笑うことも泣くことも制限されるなんて。

「でもな、唯一の救いは家族の理解があったことだった。俺の為に循環器の名医が居る大学病院付近に引越ししてくれ、父はその為に転職しても母は俺の世話により退職して生活変わっても、文句言わねぇ。兄なんかいつも俺の側に居てくれて、外に出られねー俺に、室内遊びを教えてくれたんだ。 ……まあ今考えると、発作に備えてくれたのも一つの理由だろうな。当時は唇真っ青になって急に倒れるから、母親も気が気じゃなかったみてーだし。だから、そんな母親と俺の為に側に居てくれたんだよ。たった三つしか変わらねーのに。それだけじゃない、毎日の健康観察、薬の管理、酸素を使いながらの入浴。料理、洗濯とかの家事まで、俺の看護疲れで体調を崩した母親の代わりにやってくれていたんだよ。父親は仕事が忙しいからと気を使いながらな。すげーだろ、俺の兄。同級生らが遊んでいる間、そんなこと小学生がやってたんだから」
 お兄さんの話になった途端、海に向けていた視線は私に向かいまじまじと話してくる。
 まるで、お兄さんに語りかけてくるみたいに。

 そして、人の話を聞いて初めて気付く。
 小学生が家事をして、家族の世話をする。その異常さに。