空はどこまでも青く、入道雲があちこちに浮いている初夏。時刻は三時十五分で、時間は十五分しかない。
 徒歩二十分の時間を短縮する為、私は今日も走る。
 初夏の気候とはいえ走れば汗が流れてきて、そうなると喉も乾いてくるけど、水筒からお茶を出して飲んでいる時間なんてない。
 喉がヒリヒリして、せめてこの暑さだけはなんとかしてくれないかなと思ったら、空に広がる入道雲が太陽を隠してくれ、まるで私の味方をしてくれるような気がした。

 ビュンビュンと車が通り過ぎる海岸道路。
 左に目をやれば青い海が太陽に照らされてキラキラと輝いているが、今の私にそんな景色に心穏やかに眺める余裕もなく、ひたすらに右側に目をやりながら歩行者用道路を駆けていく。
 すると車道より私を追い越していくのは、水色のバス。スクールバスだ。
 百メートル先には海に遊びに来た人が車を停車させられる駐車場があり、スクールバスの停留所としても使用を許可されているらしい。
 そこにいつものようにバスが停車し、一人一人が降りてくる。そこに迎えに来ているのはウチだけではなくこのバス停で降りるのは四人だけど、今は三人しか居ない。私が居ないからだ。

「すみません! 渡辺、迎えに来ました!」
「あ、運転手さん。渡辺さんの所、迎えに来られました!」
 そう声をかけてくれたことによりギリギリ間に合い、四人目の生徒がバスより降りて来た。

「みーちゃん!」
 私を見てニコッと笑う姉はバスから駆け足で降りようとして、私は乗降口に駆け寄る。
「すみません、遅くなりました。降ります」
 運転手さんに頭を下げ、早々と姉の手を引いてバスより下車する。
 すると姉は無邪気に笑い、私に抱き付いてきた。だから私も、自分と同じぐらいの体にギュッと返す。
 そっと離れた私は姉の手を強く握り、運転手さんを呼び止めてくれたお母さん方にお礼を伝える。

「いいの、いいの。今日も学校終わって、直ぐ来たんだよね?」
「本当に未咲ちゃんは頑張ってるよ、えらいね」
 こちらに向けてくれる温かな視線に私の心臓がドクドクと鳴り続けるのは、走ってきたからだ。
 そう思いながら止まらない汗を、スカートのポケットから出したハンカチでそっと拭う。
 そこからはサイダーの甘い香りがして、あのペットボトルから吹き出したサイダーが頭の中で過ぎる。
 私はハンカチで汗を拭う振りをして、また目を閉じる。

「痛いよ、みーちゃん!」
「あ、ごめん!」
 姉の手を握る力が無意識に入っていたと気付いた私は、慌ててその力を緩める。
 外では目を閉じてはならない。分かっていたのに、やってしまった。


「じゃあ、買い物行こっか?」
「うん!」
 ようやく心臓の音と汗が引いた私は、青い空ではなく姉の方に目をやる。
 私の通う高校はブレザーだけど、姉が通う高校はセーラー服。私は学校指定の手提げ鞄だけど、姉は荷物を一つにまとめられる大きなリュック。
 同じ顔だけど服装も持ち物も違う。それが私達だ。

「お姉ちゃん、勉強頑張ってきた?」
「うん! 今日ね、滑り台したよ!」
 繋いでいた手を離し飛び跳ねる姉に、私は慌てて手を掴む。道路での約束を確認するとハッとした表情して、私の手をギュッと握り返してくる。
 飛び跳ねたい感情を抑えた姉は嬉しい気持ちを表す為に繋いでいた手をブンブンと振ってきて、楽しかった学校生活を話してくれる。
 それに対し、「滑り台良いね」「勉強頑張ったね」と返していく。

 だけど、こんなひと時でも気は抜けない。私が道路側を歩き、手を強く握る。一瞬でも気を抜くことは許されないからだ。

 渡辺明日香(あすか)、高校三年生。私達は双子の姉妹で一卵性双生児らしく、背丈や顔付きが似ている。
 一五五センチもない身長、胸元までの黒髪ストレートヘアをポニーテルにし、クリクリとした可愛い目。笑っていることが多く全体的にふわふわしていて、可愛らしい子だとよく言ってもらえる。

 姉は重度知的障害を抱えていて、その知能は主治医より三歳から五歳程度だと宣告されている。そうなった原因はハッキリしていて私達は予定日より三ヶ月早く産まれたらしく、普通なら乳児は三キロ前後で生まれてくるけど私達は一キロにも満たなかったらしい。
 私はなんの問題もなかったけど姉は生後一週間の時に脳出血を起こしたらしく、その後遺症で知的障害と自閉スペクトラム症を併発し、脳障害を抱えたと説明を受けている。
 だから現在高校三年生の姉は、特別支援学校と呼ばれる病気や障害を抱える児童生徒が通うとされる学校に通っている。そこでは一人一人に合わせた対応をしてくれ、姉に合わせた勉強を教えてくれる。
 明るくて、笑顔が可愛くて、私を妹と理解して、「みーちゃん」と呼んでくれる。たった一人の姉で、かけがえの存在だ。